『彼』というひと(2)

 正直『彼』がどうしてこんな真似をしたのか、とか。なんで『鍵』を見つけたのがわたしだったのか、とか。そこに意図はあったのか、とか。


 疑問も、聞きたいことも、言いたいことも、たっくさんある。

 あるんだけど――なんだろうな。

 ここにいる、みんなの顔を見たら、なんだかどうでもよくなった。結局のところ、いま、ここにいるみんなは――『彼』も含めて、現時点ではたぶん、ハッピーだ。


 だったらもう、それで十分じゃないか、って気がしてしまったんだ。


「……鍵は、持ってるかい?」


 微笑んでいた彼はそう言うと、大きな手をそっと差し伸べてくる。


「平澤」


 少し、わたしが躊躇ったのに気が付いたんだろう。マキちゃんが小さく声をかけてくれた。

 うん。分かってる。

 わたしはきゅっと唇を結んでから、ポケットに突っ込んでいた鍵を取り出して『彼』に近づいた。


 大きな手に、そっと、小さな『鍵』を置く。


 その『鍵』はいつのまにか、ティンカー・ベルの形ではなくなっていた。三つのマルが形どる、彼の一番大切なパートナーのマーク。


 大切そうにその『鍵』を握りしめ、『彼』はにっこりと微笑んだ。


 次の瞬間、背中にどどんっ、と衝撃がぶつかった。


「うぶふっ」


 何事だ、と振り返る。すぐに分かった。白雪姫と、鏡を抱えた女王が抱き着いてきていた。


「白雪姫、女王……」

『私もいます』

「うん、鏡も」


 ちゃっかり自己主張する鏡に笑って頷いて、それからふたりを剥がす。


「また、お別れですの?」


 寂しそうに、白雪姫が言う。


「そだね」

「また、会える?」


 と、泣きそうなのは……というか七割ほど泣いているのは女王だ。

 会える……会える、かなぁ。鍵、返しちゃうわけ、だし。


「――会えるわよ」


 そう言ったのはわたしじゃなかった。マキちゃんだ。


「会えるわよ、きっと。あっちもこっちも、意外とそんなに遠い世界じゃないみたいだし?」


 マキちゃんのほうを見て、女王は涙をぬぐったようだった。こくん、と子供みたいに頷く。


「ありがとう」


 わたしの言葉に、ふたりは大きくふるふるっと首を横に振ると、それからにっこり、と笑い返してくれた。


「――ありがとう、ございました」


 そう声をかけてくれたのは、チャーミング王子だった。


「ううん、こちらこそ。来てくれてありがとう」

「あなた方の、頼みでしたから」


 少し照れ臭そうに笑う彼からは、あの弱弱しい影は感じられない。きっともう、これからは何があっても大丈夫だろう。

 七人の小人たちが口々にはしゃぐ。真面目王子が真面目そうな顔で、小さく頭を下げる。

 丸い王様はぽよぽよした手をぶんぶんと振る。


「とぉっても、たのしかったわぁ」


 フェアリー・ゴッドマザーが白い頬を上気させながら笑っている。


「……最初はあなたに召喚☆ とやらをされたわけですけどね」

「あらぁ。それも、もともとは、ねぇ?」


 ちら、と彼女は『彼』を横目で見る。……まぁ、そんなことだろうな、とは思ってはいた。小さく笑い返して、わたしは肩をすくめてみせる。


「今回はいろいろ、ありがとうございました」

「いえいえ、ちょっと楽しんだだけよう」


 フェアリー・ゴッドマザーは笑いながら、弾むような足取りで『彼』の元へ近づいていく。

 それに倣うように――ゆっくりと、他のみんなも歩き出す。


「あのねっ、飛べるようにしてくれて、ほんとうにうれしかった!」


 そう可愛らしい声で言ってきたのはもちろんティンカー・ベルだ。ふわふわ、とわたしの周りを飛んでくれる。


「ううん、こっちこそ! 空、飛べちゃった」

「それはあなたの力だよ」

「……ん、ありがと」


 ティンクは満面の笑みを浮かべた後、すいっと『彼』のもとへ。そのあとを追うように、やっぱりどこか不機嫌そうなままのピーター・パンがとんとんっと軽い足取りで跳ねながらやってくる。


 何か言うのかな、と思ったけど、照れたようにそっぽを向いたまま通り過ぎようとして、次の瞬間、べっ、と大きく舌を出された。

 反射的にわたしも舌を出し返したら、マキちゃんに軽く小突かれた。

 ちぇ。最後までああなんだもんなぁ。

 ……ま、らしくていいけどね。


「世話になったな」


 渋い声でそう言ったのは、キャプテン・フック。


「あ、スミーのこと、いつから気付いていたの?」

「んぁ? 足に掴まった時だな」


 最初からばれてますやん。


「なのに掴まらせてたの、やさしいねぇ」

「ま、なんとなく変な勘が働いてはいたな」

「そっか」


 頷くと同時に、ぽすっと頭を撫でられた。


「……なに」

「いや。マキノがぽんぽん叩いてたからなぁ。なるほど、叩きやすい位置だなぁと確認しただけだ」

「マーキーちゃーんー」

「アタシにくるの、それ!?」


 ていっとフックの手を払うと、フックはそのまま大声で笑って歩き出す。

 そしてそのまま後ろ手に手を振りながら、あ、と声を上げた。


「おい、マキノ」

「……なによ」


 答えるマキちゃんは、相変わらずどこかつっけんどんに聞こえるけど、でも十分、やさしい響きの声だった。


「――?」

「……大きなお世話よ」


 何がだ、と思ったけどふたりはどうやら分かってるらしいので、まぁいいか。マキちゃんがものすごい苦い顔をしてるけど。

 フックはそのまま『彼』のもとへたどり着く。


 そして、ゆっくりと。

 全員が、こちらを向いた。


『彼』と。

『彼』の作り出したみんなが、こっちを見ている。シンデレラ城を背にして。


 何か言うべきなんだろう、と思う。

 でも、何を言うべきかなんて分からなくて。

 寂しいのかほっとしたのか何なのか、こみあげてくる何かを無理やり押さえつけながら笑顔を作るしか出来なかった。


「――お元気で」


 結局、言葉に出来たのはそんなバカバカしいほど単純な言葉だけだった。

 その言葉に『彼』らは笑ってくれて。


「ああ、そちらもみんな。どうか、元気で」


 当り前のようにそう言って。


 そして、消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る