『彼』というひと(1)

 何が起きたのか。見たまんまを言うなら、フックがスミーに剣を突き付けて、スミーはどこだ、と言った。

 何が起きたのか。どういうことなのか、と説明を求められればひとことだ。


 訳分からん。


「フ、フック?」

「ちぃと黙ってろ。何者だ、お前?」


 ぐいっと剣をさらに突き付けられて、スミーはヒィッと声を上げる。


「ままま、待ってくだせぇ、おやぶ――」

「それだ」


 フックが、スミーを遮った。剣の腹で、ぺちぺち、とスミーの頬を叩く。


「スミーはおやとは呼ばねぇ。おや、って呼ぶんだよ。語尾もな。さー、じゃなく、さァ、ってちぃと丸いんだよ。へたくそが」


 吐き捨てるようなフックの言葉に、スミーは――なのか、スミーに見える誰かか、なのか――は、ぽりぽり、と鼻をかいた。自分のぽよんぽよんのおなかを見降ろし、何故かつまんでみて、ゆっくりと首をもたげる。


「似てると思ったんだけどなぁ」


 え。


「ま、バレちゃったら仕方ないね」


 あっさりとした口調で言うと、スミーは跳ねるような足取りで橋のスロープを降り始める。フックを無視して。


 その、姿が。


 一跳ねごとに、変わっていく。丸くって小さい、可愛らしいおじさん海賊から――すらっとした、男性へ。


 えー。


「たーのしかった、たーのしかったぁ」


 ええええええ。


 キャッスルフォアコートに降り立ち、ニコニコしているのはもうスミーじゃなかった。


 背広を着た、にこやかなおじさん。


 わたしたちの職場のもとを作り上げた――今ここにいるあちらの世界のひとたちを作り上げた、創造主。


 マキちゃんが見下ろしながら、噛み締めるように呟いた。



「……ウォルト・ディズニー」



 あ。言っちゃった。




 キャッスルフォアコートの石畳の地面に、コツコツ、と靴のつま先を踊るように打ち付ける。こんな真冬の夜だというのにコートもなく、薄いスーツだけを着た彼は、けれど欠片も寒そうなそぶりは見せなかった。


 ……まぁ……現実生きてる人じゃないのは確かだからな。


 さと子さんやほかのキャストメンツがドン引きしたように固まっているのが見える。ああうん……フェイスじゃないガチプリンセスたちはいるし、わたしも空飛んだし、とどめでこれだし、もはやなんの言い訳もできないね……仕方ないね。


 まぁそれはいいんだけど、そのガチプリンセスたちも固まってるのが笑える。それ、君らのおとーさんにあたるひとです、たぶん。


 その『彼』は、はーっと大きく息を吐いて、それからシンデレラ城を見上げた。まぶしそうに目を細めて見つめる。


「うん。綺麗だ。守ってくれてありがとう、もう一人のアリス」

「え……ああ」


 一瞬何のことか、と思ったけれど、そうだった。そこにいる元影薄王子がシンデレラと結ばれたから、舞踏会が成功したから、シンデレラ城はまだあるんだ。


「上から、いつも見てた。キラキラ光っててさ」


 そう言って彼が楽しそうに笑う。シンデレラ城の尖塔の一本は、金色だ。もともとは『彼』が好きな色で、上から『彼』が見つけられやすいように、なんて、バックグラウンドストーリーがある。


「ほんとは、干渉するつもりはなかったんだけど。もう一人のアリスが、こっちの世界に来るなんて言うから、何それ楽しそう! って、ついてきちゃったんだよね」


 ちゃったじゃない、ちゃったじゃ。


「おい、ジジイ」


 低い声はフックだ。『彼』を見据えながら、今にもブチぎれそうなオーラを出している。ぶっちゃけ怖い。


「もう一度だけ聞く。スミーをどこへやった」

「ご想像の通り、船にいるよ。みんな消えてびっくりしてるとは思うけど」


 しれっと悪びれもなく答える『彼』に、フックは呆れたようなため息を吐く。「なら、いい」と、それだけを呟いて、フックはわたしにパタパタっと手を振った。……好きにしてくれ、ってこと、と受け取ってよろしいでしょうかね。


「平澤」


 ぽすん、と頭を叩かれた。マキちゃんだ。


 見上げると、困ったようにマキちゃんが笑っている。まぁ、そういう顔しか作れないよねぇ、この状況ねぇ……。


 さって、どうしようかな。


 いまだに空を飛んで遊んでいるピーター・パンとティンカー・ベルを見上げて。あらあらうふふ、と笑うフェアリー・ゴッドマザーと、その肩口からちょこんと顔を出して様子をうかがっている白雪姫の女王を見て。苦虫をかみつぶした顔をしているフックを見て。大口をポカーンと開けている花ちゃんと、何故か真顔の剛くんを見て。さと子さんたちキャストを見て。それから、あちらの世界の方々を見る。


 やっぱりなんだか泣きそうな顔をしている丸いおじさんは、チャーミング王子のところの王様だ。


 その隣に立つチャーミング王子は、若干ビビってそうな顔をしているものの、胸を張って立っている。


 さらにその隣のシンデレラは、瞳をキラキラさせている。


 あの時も助けてくれたメイドさんや従者さんたちは、怪訝な顔だったり面白そうな顔だったりいろいろだ。


 白雪姫は、隠しきれない好奇心が顔から漏れていた。


 七人の小人たちは相変わらず、それぞれがそれぞれらしい顔をしている。


 あのクソ真面目王子は口を真一文字に結んでびしっと立っている。


 それから。

 わたしは視線を少しずらす。


 ニコニコと子供みたいな笑みを浮かべる、やけに楽しそうな『彼』を見て。


 ――わたしはたまらず、声を立てて笑ってしまった。


「……ありすちゃん?」

「ふ、ふふふ、ふ。ごめんなさい、なんかもー、あっほらしぃってなっちゃって」


 あー、だめ。顔がにやける。腹筋が震える。おなかいたい。


 落ち着け落ち着け、平澤ありす。まだ終わってない、終わってない。


 はー、と大きくゆっくり息を吐いて、なんとか笑いを追いやって。


 ぱちん、と自分の頬を軽く打つ。


 それから、マキちゃんを見上げた。マキちゃんは一瞬きょとんとした顔をして、それから、くすっと笑って頷いてくれた。ハイハイ、とでも言うようなその表情が、なんだかすごく心地よい。


 ――さあ、行こう、マキちゃん。


 マキちゃんとふたりでゆっくりと、お城脇の橋のスロープを降りていく。


 歩きながらマキちゃんから誘導灯を受け取って、一度振り返ってチカチカ、と点滅させた。なんとなく分かってくれたみたいで、フックも、フェアリー・ゴッドマザーも白雪姫の女王もついてきてくれた。ひとり、テテテッと何故か可愛らしい動きで走り寄ってきてくれた白雪姫の女王には、ポケットから出した手鏡を押し付ける。魔法の鏡が、その中ににゅるん、と顔を出したのを確認して、マキちゃんとまた小さく頷き合う。


 反対側のスロープから降りた花ちゃんと剛くんが、相図のように誘導灯を点滅させてくる。こっちもこっちで、なんとなーく意図は読んでくれている。ありがたい。


 キャッスルフォアコートに降り立つと、わたしはそのままマキちゃんと二人で『彼』と向かい合うみんなの前へ立った。


 ちらりと確認すると、花ちゃんと剛くんも、キャストの皆の中へと入っていくのが見える。


 わたしはもう一度誘導灯を上に掲げて、かるく回してみる。飛んでいたピーター・パンとティンカー・ベルがようやく気付いたらしく、すぅっと、降りてきた。


「なに?」

「ま、いいからいいから」


 飛んでいるのを邪魔されて嫌だったのか、少し唇を突き出したピーター・パンをなだめて、わたしはピーターとティンクを白雪姫の隣へと誘導する。白雪姫はしれっとした顔で、ピーターの腕をがっしと掴んでくれた。フックたちも苦笑いのまま、その列へと入ってくれる。



 シンデレラ城。

 その前に立つ『彼』。

 そして、その『彼』を囲うように立つわたしたち――



 夢と魔法の王国の演者キャストたち。



 誘導灯を点けたまま、わたしとマキちゃんは同じ動きで、ゆっくりとお辞儀をした。

 倣うように。

 みんなが同じ動きをしてくれているのが、視界の端の光で分かった。



「ようこそ、夢と魔法の王国へ。素敵な夢は、ご覧になれましたか?」



 気取ったわたしの言葉に、『彼』は一瞬だけ目を見開いて。


 目じりの笑い皺を深く刻むと、


「最高だよ」


 と、言った。

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