夢と魔法の王国という場所(3)

 マキちゃん家からパークまでは三十分程度。さすがに靴下と靴は新しいのがなかったので、半泣きになりながらそれを履いてパークへ急ぐ。キャスト証をかざしてゲートをくぐり、とりあえずキャスト用コンビニで靴下を買い、ロッカールームへ駆け込んだ。急いで制服に着替える。新しい靴下を履いて、仕事用の安全靴に足を通す。それだけで、気が引き締まる。


 マキちゃんと合流して、パレードルート付近へと足を進めた。バックステージからオンステージへ踏み出すと、鼻を抜ける冷たい冬の空気さえ色づいて感じる。


 パレード直前で真っ暗なパークには、リズミカルでワクワクする音楽が流れ始めていた。


 ゲストが少なそうな一角にそっと立って、パレードを待つ。ティンクはマキちゃんのマフラーの間からひょっこりと顔を出している。


「何が始まるの?」

「アタシの夢の景色よ」


 マキちゃんが囁くと同時に、パレードフロートが視界に入ってきた。

 最初のフロートは大きな大きな、青い光に包まれた妖精。


「なにあれ、おっきい! なかま!?」

「ふふふ、どうかしらねぇ」


 興奮したように叫ぶティンクに、マキちゃんが笑う。


 光の妖精は音楽にあわせて点滅し過ぎていく。どんどんどんどん、いろんなフロートがやってくる。大きなチェシャ猫に乗ったアリス。白雪姫。そのどれもが色とりどりの光に包まれて、キラキラ瞬いている。その光に照らされて、ゲストの嬉しそうな顔も見える。


「あら」


 パレードの途中、少しだけフロートの間隔が開くところがある。ゲストの道路通行のための間だけれど、そのあとにくるはずのフロートがひとつ、足りない。


「ないですね、ピーター・パンフロート」

「やっぱそうなるのねぇ。てことはアトラクもダウンしてるかしら」

「かもですね」


 それまでの流れだと十二分にありうる。ただ、わたしたちのそんな会話も耳に入らないのか、ティンクはマフラーの間から大きな目でパレードを凝視している。


「ティンク、ティンク?」

「あ。うん、なぁに」

「綺麗でしょ?」

「うん、うん、あのね。ワタシね、これに似た景色を見たことがあるよ」


 食い入るようにパレードを見つめたまま、ティンクが囁くように告げた。


「ここのところずっと見ていないけれど。あのね、いちばん覚えているのは、ウェンディの街へ行ったとき。空から見たらね、あの街、こんな風にキラキラしてたの」


 あの街――ということは、ロンドン?


「きれいね」


 ふわっと、淹れたての紅茶みたいな笑みを浮かべるティンクを見て、わたしは頬がゆるむのを自覚した。


 うん。そうだね。綺麗だ。


 そして、そうだとしたら、たぶん――


「ありすちゃん」


 マキちゃんが、やさしい声で言った。


「アタシ、正直ピーターにどうすればもう一度夢を見させられるか、なんて分かんないわ。大人としてずいぶんとうも立っちゃって、あーいうガキの気持ちなんて推測するくらいしか出来なくなっちゃってる。でもね」


 そんなことを言うわりには、まるきり子供みたいに無邪気な笑顔だな、って、思った。


「ここで働くアタシたちに出来る夢の見せ方は――これかしら、って思うわ」


 ああ、よかった。

 心底ほっとして、なんだか恥ずかしいくらい嬉しかった。


 よかった。マキちゃんと、同じ気持ちを共有出来ていて。


「奇遇です。わたしも――同じことを、考えてました」


 わたしの言葉にマキちゃんは、少しだけ力強い笑みを頬に浮かべてくれた。

 さあ。だとしたら。

 ぽん、とマキちゃんがわたしの肩を叩いて踵を返した。


「さあ、行くわよ平澤」

「――はい!」


 ◆


 裏に入ると同時に、マキちゃんとわたしはそれぞれ分かれてロッカールームへ駆け込んだ。オンステはスマホ持ち込み厳禁なので、ロッカーに入れっぱなしだったんだ。スマホを持って合流し、マキちゃんは花ちゃんへ、わたしは剛くんへそれぞれ連絡をとる。


 が。


 んー、だめだ。剛くん、いま通話とれないぽいな。


 何度かの通話のあと諦めかけたとき、剛くんからの着信がきた。


「ごめん剛くん、鬼電して」

『や、かまわねーっす。今稽古中で出れなかったんすけど、すいません』

「あ、そか。大丈夫なの?」

『トイレっす。どしたんっすか。なんかありました?』


 たぶん花ちゃんから事情は聞いているんだろう。申し訳ない、と思いつつ、手短に現状と連絡を付けた理由を説明する。


『あー、なるほど。じゃあそっち合流したほうがいいっすね?』

「出来れば、だけど。無理は言わない。稽古大事でしょ」


 剛くんにとっての夢、は芝居だ。そこをわたしたちの事情でおろそかにさせてしまうわけにはいかない。

 剛くんは一瞬考えるように黙って、それから、すみません、と呟いた。


 ん。仕方ない。


「ありが――」

『稽古もうすぐ終わるんで、待てますか」


 ――え?


「え。え? 待て……って、え、くるの?」

『行きますよ。稽古あと二十分もしないで終わるんで。ただ稽古場ちょっと遠いんで、そっち着くのちょっぱやでも九時半とかになっちゃうんっすけど。待てますか?』

「それは待てる、けど」

『分かりました。じゃ、なんか決まったらLINE入れといてください。見ながら向かうんで。んじゃ』

「あ、待って待って」


 さくっと切ろうとする剛くんを、反射的に引き留めてしまっていた。軽く混乱してしまっている。だって、今日午前中仕事して、午後から稽古で、連絡しといてなんだけど遠いのにわざわざ来てくれるだなんて。


「ごめん。連絡しといてなんだけど、何でそこまでしてくれるの」

『……連絡してきておいて何言ってんすか、ヒラさん』

「いやマジほんとそうなんだけども」


 呆れたような口調に同意するしかない。剛くんはスマホの向こうで軽く笑ったようだった。ガサガサッと音がして、それからいつものあっけらかんとした声がする。


『んっと。万が一忘れられてたらアレなんで言っときますけど、俺、ヒラさんのトレーニーっすよ』


 さすがにそれは忘れてない。


『キャストの俺を育ててくれたのはヒラさんです。ぶっちゃけマキさんとカゴさんだけなら、さすがにここまではやれてねーっす。今すげー眠いし』


 朝一シフトだったんだ。当然だろう。

 でも、と剛くんは続けた。


『そのトレーナーが困ってたなら、助けるのが子供の役目っす。ま、親孝行ってやつっすね。恩返しですよ。じゃ、そーいうことで。またあとで!』


 早口で一気に言うと、そのまま一方的に通話は切れた。


 ……。あやつ、照れてんな……?


 思わず笑いそうになりながら、でも、たまらなく嬉しくて、手持ちのスタンプから『おおきに!』を選んで送信しておいた。


 ありがと、剛くん。


「剛くん、来れるみたいです。九時半ぐらいだそうです」


 スマホを置いて、目の前のマキちゃんに報告する。


「こっちも、籠井来れるそうよ。すぐ行くって」

「すぐって」


 花ちゃん家、ちょっと遠かった気もするけど。まぁ、急いできてくれるんだろう。


「で、さて。どうする平澤。さっきの案のままでいい?」

「と、思います。ただもう少し人手が欲しいかなぁって思いますけど」

「そうね。ちょっとこれから部屋行くわ。さと子さんに話つけてくる」


 マキちゃんがスマホを内ポケットにねじ込んだ。


 さと子さんはうちらの部署のSVだ。SVは何人かいるけど、いちばん話しやすいし、マキちゃんとも仲がいい。


 そしてたしかに今の案だと、そこ通しておかないとしんどい、けど。


「……はなし、つけられます?」

「任せなさいって。アタシ、お口でいろいろごまかすの大得意よ」


 詐欺師じゃないんだから。

 自信満々のマキちゃんに少々呆れながら、わたしはぺこっと頭を下げた。


「よろしくお願いします。こっちはじゃあ……あと、辻ちゃんと瀬野と……なかじさんも声かけてみます」

「あー、そこ声かけるならいつものグループLINEになげちゃって。男陣もひっぱれるでしょ」

「あ、はい、おけです」


 アリスの時――サンクスデーのとき、最初に一緒に行動していたメンツだ。まぁあそこなら、ごまかせる気がしなくもない。ごまかせなくても、それはそれで、まぁいい。


「あと、わたしこっち、試してみます」


 マキちゃんに言いながら、『鍵』を掲げた。きょとんとしたマキちゃんに、廊下の隅の壁にある鏡を指してみる。ああ、とマキちゃんの口がにやりと歪んだ。


「なるほど。手は多いほうがいいわね」

「どこまで出来るか、は賭けですけど」


 いいわよ、とマキちゃんが笑って手を振った。ティンクを伴って部署部屋に歩いていくのを見送ってから、さて、と腕を組む。


 先に呼び出すか、ざっとでもプラン組んでからのほうがいいか。


 廊下の壁にもたれかかって、腰のポーチから手帳とペンを取り出す。シャッシャと大雑把に図案を書いてみる。うーん。やっぱり城前が映えるかなぁ。と、すると、あのあたりの機材出せるかどうかか。何人確保できるかな。それによって演出もどこまで出来るかが変わってくるし。そうするとやっぱり先に呼び出したほうがいいかなぁ。


「して、あたしは何しよっか?」

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