夢と魔法の王国という場所(4)

「ふぁっ」


 唐突に横から声が聞こえてうっかり飛び上がってしまった。


「びびびっくりした。花ちゃん!?」

「うぃっすー。何でびびんのさ。呼ばれたから来ただけじゃん」

「いやだって、早くない!?」

「すぐ行くっていったじゃん。てかなんであんた制服着てんの」

「え。あ、そのほうが何かと動きやすいし、オンステ行けるし」

「あーそれもそっか。んじゃあたしも着替えるか」


 かぶっていたベレー帽を脱ぎながら、すたすたと歩き出す花ちゃんに慌ててついていく。


「じゃ、なくて。マジで早すぎない?」

「んぁ。だってそこいたもん。モール」

「……あー」


 パークを出てすぐ、駅近くにあるショッピングモールだ。なるほど、そこからここならまぁ、早くて当然か。


「何してたの?」

「ブラってただけー。てか、あんたら何かあったら連絡あるだろうし、合流しやすいとこいようと思って張ってたんだよね。正解正解」


 にま、と花ちゃんが笑う。更衣室に入った、と思ったら即出てきたくらいの早着替えを披露して、花ちゃんは続けた。


「で、何しよっか?」

「あ、うん」


 簡単に思いついている案をつげると、花ちゃんはブハァッと吹き出した。大声で笑いだす。


「ウヒ。ヒヒヒッ。無茶するぅ」

「……やっぱ無茶かなぁ」

「無茶、無茶。でもあんたの無茶は今にはじまったことじゃないし」


 ひでぇ。


 ふてくされるわたしに、花ちゃんはにかっと白い歯を見せて笑いながら親指を立てた。


「いいじゃん無茶で。無理ではないでしょ、知らんけど。ならとことん付き合ってあげるさ」


 ――花ちゃんのこういうところ、さっぱりしてて、好きだなぁって思う。


 ま、そういうなら付き合って頂きましょ。


 わたしも親指をたてて笑った。


「んじゃ、よろしく同期」



 食堂の一角を拠点にした。勤務上がりで来てくれた先輩、後輩。いつものメンツ。ついでに知り合いの他所の部署の子も、通りがかりついでに誘ってみたら乗ってきた。こういう時、クロス研修でいったことある部署の人なら引っ張れるからありがたい。


 マキちゃんとさと子さんもやってきて、どういうわけだかさと子さんはやけにノリ気だった。


 剛くんも来たあたりで、いったんわたしは花ちゃんたちにその場を任せて席を外した。



 なんとなく、だけど。

 少しだけ分かってきたことがある。



 あちらの世界とこちらの世界。

 それはピーター・パンの世界であってアリスの世界であって、シンデレラや白雪姫の世界であって、それから、わたしたちの世界だ。

 アリスはあちらの世界の住民でもあったし、こちらの世界の人間でもあった。おそらくはピーターもそうだ。だってあのお話は、ロンドンから――現実の世界からスタートしている。



 少しだけ迷った末、ロッカールームの片隅で、手鏡を取り出して、鍵を使った。

 ティンカー・ベルの形をした小さな鍵と、例のあの言葉。

 現れた久しぶりの声の主に、早口で説明しながら協力を乞う。



 そしてこうして、鏡、という通じるものさえあれば、あちらの世界の魔法とつながることさえも可能なんだ。

 だとすればきっと。


 あちらの世界とこちらの世界。


 それらはほんとは完全に分かれてなんていなくて、たぶん、もっと地続きシームレスだ。


「それじゃ」


 バタバタと走り回って、時計はもう夜の十時、パーク閉園時間を指していた。

 いつものポーチにペンライトと念のためのサイリウムをねじ込んで、腰には別に無線機と誘導灯もつける。


 ついでにあっちの世界対策でレインコートも身につけた。


 同じ格好のマキちゃんと顔を見合わせて小さく頷き合う。


「さと子さん、悪いけどこっち頼むわね」

「花ちゃんたちも、ありがとね」

「うぃうぃ。任せろってー」


 頼もしい身内の声に背を押されるように。

 わたしとマキちゃんとティンカー・ベルは、再び、ネバーランドへ飛び立った。


 ……。頭突きで。



 ホント、もう少しこう格好のつく移動の仕方だったらいいのにな、と思わなくもないんだけど。仕方ない。


 ずきずきする額をさすりながら顔を上げると、そこはもうネバーランドだった。


 フックの海賊船の甲板。船の縁には、呆然とした顔をしたピーター・パンの姿。頬を打つ細かい雨粒。


「――フック!」


 瞬間的に脳みそのスイッチを切り替えて振り返る。

 いた。甲板に積み上げられていた木箱にもたれかかるように座っている。


 カギヅメの左手を軽く上げてきた。右手は――肩から先がないから。


「おう。意外と早かったな」

「時間は」

「そんなに経っちゃいねぇさ。少なくとも俺が気を失わないでいられる程度にしか経っちゃいねぇ。ま、それでも雨は少々止んできた程度の時間だ」


 脂汗を浮かべながら、相変わらずの軽口でフックが笑う。いまいちはっきりとはしないが、呆然とするピーター・パンや、フックのこの様子からして、彼が言うとおりそれほど時間はたっていないはず。まぁ、どっちでもいい。フックさえ無事なら。


「スミーは?」


 側にいるはずのスミーが見当たらなくて訊くと、タオルを取りに行っている、と答えてくれた。なるほど。だったらすぐ戻ってくるかな。


「ピーター!」


 ティンカー・ベルが、わたしたちの手の間から抜け出てピーター・パンの元へ飛んでいく。


「ティンク……」

「いこう、ピーター! どうなるかまだ分かんないけど、でもきっと、何か変わるよ」

「変わらないさ、もう」

「はいウルサーイ」


 またへちょむくれてるピーター・パンを言葉で制し、わたしはレインコートのフードを後ろにやった。


 ……雨の日にこれやると、花ちゃんに怒られるんだけどな。まぁ、今はいいでしょう。


 ピーター・パンの前へ歩いていき、ビシ、と彼を指さした。


「変わる変わらないはあんた次第だし、そこはもうぶっちゃけわたしにはどうしようもない。ただ、連れていくからね」

「連れて……って、どこへ」


 いぶかしげなピーター・パンに、わたしはにやり、と笑って言った。


「夢と魔法の世界よ」


 まごうことなき、ね。

 それでもやっぱりいぶかしげなピーター・パンを無視して、わたしは振り返る。


「マキちゃん。フックをお願いします」

「ああ、うん。それはいいんだけど」


 フックを支えて立ち上がらせながら、マキちゃんが眉を寄せた。


「平澤、ごめんなさい。アタシ頭まわってなかったわ。全員連れていくつもり?」

「はい。ピーターだけじゃ、悔しいですし」


 あそこまでやったんだから。

 頷くとなおさらマキちゃんの眉根の皺が深くなる。


「アナタ、あっちの『アリス』から『わたしを飲んで』でも貰った?」

「まさか。あっちはややこしくなりすぎるんで呼んでません」

「じゃあどうやって」


 マキちゃんが困惑するのは当然だ。鍵は小さすぎて、とてもじゃないけど全員で触れたうえで頭突きし合うとか出来るわけがない。


 だから――


「ティンカー・ベル」


 ピーターの側で漂う妖精に声をかける。


「わたし、飛びたいんだけど」

「――ありすちゃん?」


 驚いたようなマキちゃんに笑って、わたしは空をぴっと指さした。


「もともと、ウェンディたちはロンドンからここへ、空を飛んできたんですよね。なら」


 どっちの世界も、地続きシームレスなら。


「この空は、きっとわたしたちの職場へ続いてます」


 マキちゃんは数秒ぽかんとした顔を見せて、すぐに大きく笑った。


「ほんとにもう、ありすちゃんはありすちゃん、ねぇ」

「うるさいです。ティンク、お願いできる?」

「うん」


 ティンカー・ベルがわたしの周りをふわりと飛んだ。キラキラの粉が、身体を包む。


「夢と、楽しいことを思い浮かべられたら飛べるよ」


 ティンクの言葉に頷いた。


 大丈夫。出来る。


 夢は、夢の世界は、作れる。そしてそれは何より、わくわくすることだ。時々怖くて、イライラもするけど、でも。


 これから起こることを思い浮かべたら――ほら。


 こんなにも、楽しい気持ちであふれてくる。


 次の瞬間、わたしの足はふわり、と甲板をはなれていた。


「おいおいおい。マジで飛びやがったぜ。大人のくせに」


 呆れたようなフックの笑い声に、ちょっとだけ唇を突き出す。


「大人だから、です。少なくとも、今飛べているのはね。ね、マキちゃん」


 言ってマキちゃんに手を差し伸べると、マキちゃんはフックとカギヅメで手をつないで、それからわたしの手を取った。


「ま。大人らしく、やりますか」

「はい」


 そして、反対側でピーターの手を取る。


「逃げないでよ」


 困惑した顔のピーターに笑いかけて。

 わたしはぐんっと宙を蹴った。


 舞い上がる。


「お、お、おやぶぅーんっ!」


 ……あ。スミーわすれてた。

 慌てて下を見ると、スミーがおろおろと下で踊っている。

 あ。えーと。


「おい、ヒラサー。ちょっと下がれ。つかまれ、足でいい!」


 フックの声に従って一度高度を下げる。すぐにスミーがフックの足にしがみついた。

 よし。今度こそ。


 ――行こう。

 わたしたちの、夢と魔法の世界へ。

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