夢と魔法の王国という場所(2)
――嫉妬?
言われた言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかってしまった。嫉妬……って、嫉妬?
「嫉妬って……マキちゃんが、わたしに、ですか?」
「そ」
「……マキちゃんがわたしに嫉妬……」
「うん」
「マキちゃんがわたしに……嫉妬ぉ!?」
「三回も言わないでちょうだい、嫌な子ねぇ」
べちんっ、と額を叩かれた。
「だって訳分かんないじゃないですかぁ! わたしのせい!?」
「そーよそーよアンタのせいよへへへーんだ」
「マ、キ、ちゃん!」
怒鳴ると、マキちゃんは小さく舌を出して、拗ねた子どもみたいな顔をした。何やってんだ二十九歳。それからまだ半乾きの髪をぐしゃっとかいて、大きな息を吐く。
「まー、半分は冗談よ」
「はんぶん……」
「いいから聞きなさいって。まぁ、嫉妬はホント。アナタ気付いてないの? シンデレラの時も白雪姫の時も、アタシ、役に立てたのは使ってない捨てたほうの技術よ?」
と、ちょきちょき、と手を動かしてみせてくる。
「ところが平澤ったら、訳の分からない事態に真っ正面からぶつかっていって、今の仕事の力でなんとかやりくりしちゃって。素直でひねくれもせず。まー、カッコイイったらありゃしない。あー、ムカツク」
……なんか、あの、ちょっとタガ外れたのか何なのか、お口悪くないですかマキちゃん……。
褒められてるのか馬鹿にされてるのか分かりゃしないんですけど。
ティンクはわたしとマキちゃんを交互に見て首を傾げていた。うん、なんかごめん。
「実家からの帰ってこいコールは前々からあったのよ。父も今は……まぁ、少しは落ち着いたらしいし。それはずっと受け流してたんだけど、ちょっと前に正社雇用の話があってね」
あ、やっぱりあったんだ、それは。
「で、アンタが辞めるかどうか悩んでるってのを聞いていたし、アタシまで悩んじゃったわけよね。なんとなーくでダラダラ続けてるアタシと、真っ正面から仕事に向き合って、だから悩んでるアナタと。正直、アタシよりずっと、アナタのほうがキャストって仕事は向いてるわ。トレーナーとして保証する。だからこそアタシはアタシで、自分に出来ること、やりたいこと、いろいろ考えて――ああ、ここらへんでいいのかしらね、って思った」
「……マキちゃん」
「年も年だし、さすがにね。正社雇用の話を蹴ってまでここでダラダラするわけにもいかないでしょう? なら、話を受けるか、実家に帰るか。こっちの――」
と、またちょきちょき、と手を動かす。
「――技術のほうは、さっすがに錆びついているけど、それでもアナタは頼ってくれたし、実際役にも立てて、それはそれで嬉しかったの。これは本当。だからね、アナタのせいってのは冗談よ。これはどこまで行ってもアタシの問題でしかない。ただ、嫉妬は本当。ゲスコンとしては、キャストとしては、たぶんアナタに敵わないから。だから」
そこでいったん言葉をきると、マキちゃんは少しだけ首を傾げて苦く笑った。
「逃げるのね、きっと。実家に」
何か言おうとして。口を二、三度ひらいて。閉じて。結局、何も言えなかった。
「――ごめんなさいね、こんな時に。はい、アタシの話はおしまい。ねぇ、平澤は?」
「わたし……は」
そんな話を聞かされた後に言えというのもひどい人だなぁとは思うものの、答えるしかないと感じた。仕方ない。少々気恥ずかしくはあるけれど、花ちゃんと剛くんには話しておいて、マキちゃんには言わない、というのもナシだろう。
「わたしもともと、
「あ、そうなの?」
こくん、と頷く。
「だからちっちゃいときから、パークはよく連れていかれてて。で、なんとなく、憧れはずっとあったんですけど」
「それでキャストに?」
今度はふるふるっと首を横に振った。マキちゃんが首を傾げる。
「あの。わたし、あの日パークにいたんです。2011年の、3月11日」
あ……とマキちゃんが目を見張った。
ちいさく頷いて見せる。
高校を卒業してすぐだった。卒業旅行として、仲のいい友達数人と一緒に、わたしはあの日パークに来ていた。
東日本大震災。あの日に。
「夜行バスで帰るつもりだったんですけど、まぁ、パークから出られない状態になっちゃって。どうすんのこれ、って思ってるうちに陽は落ちてくるし雨は降ってくるし、寒いし動けないしで最悪だったんですけど。なんか、すごかったんですよね。キャストみんな、さくさく動いてて、絶対疲れてるはずなのに何か聞いてもちゃんと答えてくれるし。かっこいいなぁって、思って。……っていうかそういえば、マキちゃんはその頃ってもう働いてましたよね?」
「ん? ああ、そうね。いたわよ、勤務してた」
くす、と懐かしそうに笑って目を細める。
「昼パレ直前でねぇ。咄嗟に、あ、まずい、あそこ通しちゃだめだって、城下の通路前に立って人さばきしたんだけど」
パタパタ、と手を振る。恥ずかしそうに。
「アタシもパニクっちゃっててねぇ。周りに言うのも忘れてたし、無線も持ってなくってねぇ。状況入ってこないし、交代も来ないし、牧野どこだーって騒がれちゃってたみたいだし、ひっどいもんだったわよぉ。夜遅くにようやく交代してもらって、ギリッギリトイレに駆け込んだの覚えてるわ」
そっか。マキちゃんでもパニクっちゃってたんだ。
「そっかぁ。あの日アナタ、ゲストでいたのねぇ。不思議な感じ」
「わたしも、不思議です。あの。それで。……覚えてます? あの日、パークが取った初めての行動」
マキちゃんが目を細めた。
「バクステ?」
「はい」
あの日、とにかく寒かった。雨は降るし余震は続くし、そのくせ建物は設備の安全点検が済むまで入れないとかで、友人とわたしは、他のゲストと一緒に寒い中延々外にいるしかなかった。ブルーシートも段ボールもエマージェンシーシートも配られたけど、正直何の役に立つのか分からなくなる程度には寒くて。
おなかはすくし、スマホは電池切れるし、トイレはめちゃくちゃ混んでるし。いいかげん泣きそうになった夜遅く、その声が聞こえた。
『寒い中お待たせしてしまって申し訳ありません。先に、向こうのパークにて、建物の安全確認がとれました。今から皆様をご案内します』
――わたしたちの職場は、ふたつのパークが隣接している。わたしはその片方で働いていて、あの日もいま働いているところにいたわけだけれど、先に安全確認が取れたのは反対側だった。
ふたつのパークは隣接している。間に――これは入社してから知ったことだけど――本社ビルやらパレードのフロート置き場があったりする。そこは完全なバックステージだ。ゲストには見せられない場所だ。普段ゲストは、ふたつのパークを行き来したければ表の通りを歩いていくか、専用のモノレールに乗るかしかない。裏は絶対に通れない。普段なら。
あの日は特別だった。表の通路の安全が確認できなかった。そして、とにかく寒くて、寒くて。ゲストを建物の中に入れようと
バックステージを開放したのだ。
そのほうが、早いから。安全だから。SCSE――セーフティを、優先した。
「正直訳が分かんなかったんですよ。ご案内します、って、キャストオンリーって書いてる扉の前に連れていかれて。なになに、って思ってたら扉が開いて」
思い出すと、今でも胸の奥がぎゅうっとなる。あの光景。それを確かめるように、胸元で小さく拳を握る。そこにあるって、感じた気がした。
「びっくりしました。光の道だったんです」
黄色やオレンジ、白。たぶんそれぞれ手持ちの誘導灯だったりペンライトだったりで、統一なんてしてられなかったんだろう――雑多に混じった光が、一直線に伸びていた。暗い暗いバックステージの中で、真っ直ぐに。
「キャストが道を作ってたんです。誘導しながら、反対側のパークまで、って。それ見た瞬間、我慢してたのがぷっつりいっちゃって、ボロボロ泣いちゃったんですけど。遅くなってしまってすみません、不安だったでしょう、って、声かけてくれて。光の道の真ん中を歩いたんです。泣きながら」
キラキラ、キラキラ。
瞼の裏に、いつまでも残った光の道は、今でもずっと大事な光景だ。
「本当に夢みたいでした。その時、ああ、キャストにやっぱりなりたいなって。……そっか。うん、ゆめ、です。どっちの意味でも。あの日の景色は今まで見た中で一番、夢みたいに綺麗だったし、あの日の景色が、わたしの夢を決定づけたんです」
それまで黙っていたティンクが、ぴょこん、と立ち上がってわたしを見上げた。
「そんなに、素敵だったの?」
「うん。夢の景色、だった。ただまぁ、ピーターにどうすれば、っていうのは分からないんだけど」
困ったな、と頭をかく。マキちゃんは何かを考えるように、腕を組んで壁を見つめていた。それから、小さく口を開く。
「平澤。こっち今、夜七時すぎっぽいのね」
「あ、はい」
マキちゃんの部屋に置いていっていたスマホを見ると、確かに夜七時を数分過ぎたところだった。
「今日のショースケ、夜パレって七時半よね」
「たしか」
「ん、決定。いらっしゃい、ティンク」
ティンカー・ベルはふわっと飛び上がって、マキちゃんの肩にちょこんと乗った。
「マキちゃん?」
「ゆめ、か。――行きましょ、平澤。まだどうすればいいか、なんて分からないけれど。でもたぶん、やっぱりパークが一番よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます