ピーター・パンという少年(1)
「あら。おいし」
フォークでお魚を口に入れたマキちゃんが、目をぱちくりとさせる。
わたしもこくんと頷いた。癖のない白身の魚に、トマトベースのソースが上品に絡み合っている。このソースが絶妙だ。ごろごろしているジャガイモも玉ねぎも不思議と邪魔にならない。何よりこのトマトソースが独特だ。若干癖はあるのかもしれない――何かの香辛料を使っているらしく、口に含んだときにツンとしたさわやかな香りが広がって、飲み込むときにはその癖のある香りはトマトの酸味の中にスゥっと消えていく。そして、またさわやかな香りが恋しくなってもう一口、と手が進むのだ。
「だろうな。うちのコックの自慢の一品だ」
ニッ、とフックが白い歯を見せる。
……うーん。悪いやつなのかどうなのか、いまいちわたしには分からない。判断材料がなさすぎる。
ただ、助けてもらったのは事実だし、口は荒いけど、わたしはそこまで嫌悪感はない。
マキちゃんのあれも、さっきの話を聞いている限りだと、お父さんを投影してしまっていて嫌っているんだろうなぁと思うし、だとすればフック自体に嫌悪している、というわけでもないのかもしれない。
知らんけど。
「あの、フック」
「ん?」
フォークを口に運びながら、ふと思いついたことを訊いてみる。
「なんでピーター・パンと敵対してるの?」
海賊だから、という役割としてのはあったはずだけど、詳しくは知らないのだ。
フックは「理由?」と口の中で呟いてから、暫く黙り込んだ。少ししてから、「あ」と声を立てる。
「この手をこんなにしたのは奴だからな」
と、左手を振る。
……いやいやいや。
「今めっちゃ考えてましたよね!?」
「うるせえな。忘れてたんだよ」
「忘れますかそれ普通!?」
「うるせー。だまって食え」
フックが顔をしかめて、わたしの隣のマキちゃんに鼻をひくつかせてみせる。
「おいマキノ。その女はいつもそんなに小うるさいのか」
「女とか言わないでちょうだい。うるさいのはいつものことよ」
「マキちゃん!」
フォローくださいよそこは。
拗ねそうになったわたしの後頭部をまた軽く叩いて、マキちゃんが続ける。
「まぁ、この子の気持ちも分かるわ。だってそれ根本じゃない。それが思い出せないとか人として胡散臭いわ」
だからマキちゃんはそのハリセンボンみたいな口調ちょっと引っ込めませんか。
「しゃーねーだろ。それが『役割』だ」
「役割、って」
違和感の強い言葉に、思わず眉を寄せていた。フックはそ知らぬふりで、余ったソースをパンにつけて食べている。
魔法の鏡は言っていた。
――『彼』の作り出した世界の中で、魔法を操るものなら、情報は共有できる
だから、白雪姫の魔法の鏡は、シンデレラのことを――おそらくはフェアリー・ゴッドマザーのことを――知っていた。
そしてその、自分たちの生きる世界が『彼』に作られたものである、ということも。
作られたものである、ということを知っている。
――え、待って。
ぞわっと、何かが足元から這い上がる。それって、なんか、ものすごく怖い気が、する。足元が揺らぐような不安感が、ある。
とてもいまさらなこと、だけれど。
「フックは、どこ、まで」
知っているんだろう。言いかけたとき、遮るようにフックのカギヅメがわたしの顎をクイ、と持ち上げた。
「真っ青な顔だな、ヒラサー」
「……だって」
「ま、かまわんが」
空いた皿をスミーに下げさせながら、フックは自身の椅子にぐいっと背中を預ける。
スミーが出ていくのを見送って、部屋にわたしたちだけになるまで、フックは口を開かなかった。
わたしたちも、開けなかった。フックの目が黙れ、と強く言って来ていたから。
スミーのパタパタした足音が完全に聞こえなくなってから、フックはようやく口を開いた。
「俺は魔法使いでも妖精でもない。だが、お前の想像通り、まぁ大概のことは知っている」
「……スミーは、知らない?」
「知る必要がないさ」
言いながら、フックは懐をあさり、例の『彼』からの手紙らしきものを取り出した。
無造作に、わたしたちへと投げる。
「そいつはもともと、お宝の中に紛れ込んでいたんだ。どうやら『奴』が仕込んだらしいな。ちょいちょいそこにある文章は書き変わるんだよ」
だから、とフックは続けて笑う。
「俺はお前らが何をやらかしてきたかは、割と知っている」
……あのやろう。人の行動をよその世界の人に広報しないでいただきたい。
「じゃあ」と、マキちゃんが問う。
「あんたはこの世界が作られたものだというのも分かっていて、それでいい、としているということ?」
「別にかまわんさ。悪いことじゃない。好き勝手振舞って、それでいいってんだからな」
どこか達観したフックに、なんとも言えない気持ちになる。
この、彼の作り出した夢と魔法の世界で生きること。そしてそれさえ、彼の世界の基盤であるピーター・パンが揺らぐことによって、保てなくなっていること。
その全てを受け入れたうえで、うろたえてすらいないのだ。
強い、と思う。
わたしは、パークという力づくの夢と魔法の王国で働いているだけなのに、マキちゃんがいなくなるかもしれないと揺らいで、そもそもそこにい続けるかどうかでさえも決められずにいるというのに。
かける言葉が見当たらなくて、何度か口をぱくぱくさせて――
その時、だった。
外からスミーの大きな声が聞こえてきた。
「おやびーん! ピーター・パンがいやしたァ!」
◆
甲板に出るとすぐに気が付いた。外の様子が変わっていたのだ。
「わっぷ」
吹き付けた突風に、髪がさらわれそうになる。ポニー・テイルが激しく揺れた。
「っと、大丈夫?」
「あ、はい、すみません」
「気を付けてね。――にしても、風、強いわねぇ」
マキちゃんが顔をしかめる。
「風速12ってとこかしら」
「……風キャンですねぇ」
体感でなんとなく風速とショーがキャンセルかどうかを判断してしまうのは職業病でしかない。
「この辺は風の吹き溜まりさ」
軽く言いながら、フックは帽子を深くかぶりなおして歩いていく。
「さァて。一戦やるかね」
甲板はすでに騒がしくなっていた。海賊たちがめいめいに走り回っている。ふぉあますと、だの、とぅぎゃらん、だの、耳なじみのない言葉が飛び交い、帆や碇をどうにかしようとしているらしい。その動きは雑然としているように見えて、不思議と混乱しているようには見えない。
その海賊たちの合間を縫うようにフックが進む。わたしとマキちゃんはその背を慌てて追う。
「ま、待ってよ。ホントに戦うの?」
「戦わないと思うか? さっき言ったはずだぞ。妖精殺しってのも嘘じゃねぇってな。お前らヤってくれんのか?」
「それは」
口ごもるわたしに、一瞬フックは足を止めた。振り返ってくる。
「いいか、ヒラサー。あのガキは甘えてる。とくに、あの妖精にな」
「甘えてる?」
「ああ。いつだって空を飛べると、いつだって好かれていると、いつだって夢を見ていられると思っている。バカガキだ。そのくせ、それすら徹底しきれず愚図愚図言ってるクソガキだ。ピーターを俺が直接ヤれば、この世界は消える。お前らが妖精をヤれば、ま、場合によっては世界は救われるかもしれんが、あいつが甘えたままなら世界ごと消えるか。壊れていく世界でそれでもまだ甘えてんなら、消えちまえばいいと俺は思う」
どっちでもいいんだよ、と、こともなげに言うと、フックはひょい、と肩をすくめた。
わたしとマキちゃんは一度顔を見合わすと、何も言わずに再び歩き出すフックについていくことを選んだ。
たどり着いたのは、つい先ほどまでいた船尾のあたりだ。マキちゃんが持たれていた船の縁に、少年が立っていた。
緑の衣装を着て、すぐそばにキラキラした光をまとわせた永遠の少年。
――ピーター・パン。
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