ネバーランドという世界(4)

「なんだ。普通に話せんじゃねぇかよ」


 フックが笑う。が、マキちゃんさんは笑わない。


「逆だ逆。いつもが普通。今すげぇ無理してるんだよ。しゃべり方が分からねぇ」


 ……よ、よかった。なんかすごいほっとしました。ありがとうございます。


「はーぁ。ますます訳分かんねぇ奴だな」

「うるせえよ。で? 歩み寄ってやってんだよ、とっとと本音話してちょ……話せよ」


 漏れてます。


 笑っていいのか固まっていいのか何なのかさっぱり分からないし、というか飛び出すタイミング逃しちゃったし、うん、どうしよう。とりあえずもう少し聞いていよう。他にどうしようもない。


「しゃーねーな。ま、別に俺も自殺願望があるわけじゃねぇよ。この世界なんぞとっとと滅びればいいってのもまぁ本音の一つではあるし、あのガキにムカついてんのも嘘じゃない。妖精殺しの依頼も、ま、嘘じゃない」

「で?」

「せかすなよ。お前らどうせ知ってんだろ。妖精は、あることが確実であれば死にはしない。殺しても、な」


 フックの言葉に、マキちゃんが「あ」と小さく声を漏らした。


 そう、そうだ。わたしも今思い出した。

 ピーター・パンの物語。わたしたちがわたしたちの世界で知ったあのお話では、途中フックの罠によってティンカー・ベルは死にかける。


 でも、死なないんだ。


 ピーターが呼び掛けるから。世界中の――物語の外も含めて――子どもたちに。

 妖精は生きていると信じてくれ、と。

 それが力になるんだ、と。


「つまり、お前はわざとそう言う危機的状況にピーター・パンを追い込むつもりだ、ということか」

「ま、そういうこったな」

「目的はなんだよ」

「鈍いやつだな。状況見て分かんねぇか? ひとつ――」


 と、フックが指を折る。


「ピーター・パンは飛べないでいる。ふたつ。世界はあちこちぶっ壊れ始めている。みっつ。『救世主』とやらが必要な状況にある。そして最後、この世界はあいつの感情ひとつでぶっ壊れる――言い換えれば、あいつの感情のみでなんとか保っていられる砂上の城」


 ああ――そういう、こと、か。


 はたで聞いているわたしにも、何となく見えてきた。とどのつまり、アリスの夢と変わらないのだ、この世界は。

 ピーターの夢――おそらく、夢を信じる気持ちひとつで保っていられる、子どもだけの幻の国。

 空を飛ぶには楽しいことを思い浮かべて、というシーンがあったはずだ。楽しいことを思い浮かべて、空を飛べると信じてごらん。そうすれば、妖精の粉を振りかけられれば、空は飛べるのだよ、と。


 逆に言えば、妖精の粉を振りかけられても、楽しいことを思い浮かべられなければ、空を飛べると信じ切ることが出来なければ、空は飛べない。


 そして、それはそのまま、この世界の崩壊を招いている。


「つまり」


 マキちゃんが低い声のまま、独り言のように続ける。


「ピーター・パンは夢を信じられなくなっている」

「ま、そういうことだろうな」


 フックのあっさりとした肯定に、マキちゃんは「はぁぁぁ」と長い長いため息を吐いた。そのまま、ずるずるっとその場に座り込む。


「め……んっどくせえ……」


 ぐしゃっと頭を抱えたマキちゃんに、フックが大声で笑った。


「まぁせっかく招かれたんだ、なんとかしろや」

「簡単に言うんじゃねーよ」


 マキノさん、大変お口が悪うございます。


「……っていうか、ねぇ、もういいでしょ。普通に話して」

「却下。そのままでいろや。そっちのほうが話しやすい。いいじゃねえか、そっちのほうが男前だぞ、お前」


 フックがにやにやと笑う。マキちゃんは冷たい目で睨み上げている。


「だから、それが嫌なんだよ」

「よく分かんねぇ奴だな。大体なんでそんな女々しい話し方なんだ」


 ぬあああああああああそれは言っちゃいけないパート2!


「悪い?」

「悪かねーけど気にはなるだろうが」


 まぁ、それは、たぶんうちの部署全員一回は気になって、その上でまぁ人それぞれだよね、で流しちゃってる部分ではあるだろうけれども。

 マキちゃんはしばらく睨み上げたまま黙っていたが、少しして「はぁ」と、今度は短く息を吐いた。


「たいしたことじゃない。ただただ、そういう高圧的な男言葉ってのが虫唾が走るほど嫌いだってだけだ。ほら、見事に鳥肌」

「……極端な奴だな」

「しゃーねーだろ。うちのクソ親父がこういうしゃべり方で死ぬほど嫌いだったんだよ」


 子供がすねるように、マキちゃんが鼻を鳴らす。


 ――お父さん?


 そういう話は初めて聞いた気がする。そういえばわたし、マキちゃんのことってあんまり知らない。実家が美容院だ、というのは聞いたことがあるし、マキちゃん自身も美容師免許を持っている、というのは知っているけれど、その美容院はご両親で営んでらっしゃるのかとか、なんで今キャストやっているのかとかは知らないんだ。


 ――あ、なんだろう、この感覚。


 意外と何にも知らない、と気づいただけなのに、なんだか心臓のほうがスース―してしまう。


「……だからってなにもそっちに走らんでもいいだろうが」

「別に意図したわけじゃないわよ。親父が嫌いだから母の職場に入り浸ってたら、ま、その職場このテの口調の人そこそこ来たりしてて、なんとなくうつっちゃったってだけ」


 ――ってことは、美容院ってお母さんがやってらっしゃるってことだろうか。なんとなく、分からなくもないけど。


「うつるかぁ? 普通」

「うつったんだから仕方ないでしょ。それに、こっちのほうがラクなのよ、何かとね」


 いつのまにか普段の口調に戻っていたマキちゃんが、ジーンズの膝をパンっと払ってゆっくりと立ち上がる。


「楽ってどういうことだ?」


 面白そうに問いかけるフックをちらりと横目で見て、マキちゃんはぐうっと腕を伸ばした。


「警戒されない、けど、踏み込まれすぎもしない。勝手に適度な距離感でアタシみたいな『変な奴』と接してくれる人はそこそこいるのよ、うちの世界じゃね」


 ――それは。


 思い当たる節があって、思わず目を伏せてしまった。キャストにもゲストにも、プライベートだって、人の警戒をするっとすり抜けてしまうマキちゃんは、すごいとおもっていた。才能だと思っていた。でもそれは、マキちゃん自身が選んだ生き方の結果だってことなんだろう。


 警戒されないから傷つかない。踏み込まれすぎないから傷つかない。少し『変な奴』だから、人の警戒の内側に入っていける。


 でも、それは。


 ――ああ、馬鹿げてるな、わたし。そんなことまで踏み込んでいい関係じゃないって分かっている。分かっているから面と向かっては言わないけど。でも。



 寂しく、ないですか。マキちゃん。



 うっかりすると何か漏れそうな唇をキュッと引き結んだ――時だった。


「――ってなあたりでいいかしら。いい加減出てらっしゃいな、そこの盗み聞きさん?」


 笑みをはらんだ声は真っ直ぐにこちらに飛んできた。



 ……バレバレですやん。



 恥ずかしいやら申し訳ないやら居たたまれないやらで、顔が熱くなるのが分かった。

 でも、出ていかないわけにもいかない。

 顔を上げられないまま、そろりそろりと出ていく。


「ご……ごめんなさい」

「いえいえ。こちらこそ。変な話聞かせちゃったわね。そっちの悪趣味が話させたがるもんだから」


 マキちゃんはいつも通りの口調とテンションで、くすくすと笑っていた。

 さっきの口調なんて嘘みたいに。

 そっと顔色をうかがうけれど、いつも通りのマキちゃんの笑顔があるだけだ。視線をずらすと、フックがヒヒッと肩を震わせて笑っているのが見えた。


「なかなか面白いもんが見れそうだったんでな」


 ……ってことは、気づいてたんだな……たぶんわりと最初っから。


「……なんかすみません……ごはん出来たって、呼びに来ただけのつもりだったんですけど……」

「あー、こらこら。いいから、ちっちゃくならないちっちゃくならない」


 マキちゃんにポスポスっと頭を叩かれる。


「っていうか、ごめんなさいね。怖かったでしょ」

 ――ん?

「何がですか?」

 少し沈んだ声のマキちゃんの言葉に、意味が分からなくて顔を上げていた。


「何が……って、アタシのさっきの口調よ」

「あー、めっちゃ頑張ってたやつですよね」


 マキちゃんは、朝の占いが最下位だった時みたいな顔をして軽く首肯した。


「別に、怖くはなかったですよ。おも」

 違う。

「新鮮でした、けど」

「今面白いって言いかけたのはこのお口かしら。このお口かしら。んー?」

「ほーへんーらぁはぁーいー」


 ほっぺをむにむに引っ張られて、謝罪の言葉がまともに言えない。マキちゃんはわたしの頬から手を放すと、ぺちん、と軽くおでこを叩いてきた。


「ま、なら良かったけど。嫌われたらどーしましょって思っちゃったんだから」

「嫌うわけないじゃないですか」


 何言ってんだこの人は。

 ちょっとむっとして、わたしはマキちゃんを見据えた。


「口調くらいでトレーナー嫌いになるわけないじゃないですか」


 むしろそんな人間だと思われていたとしたら、ちょっと屈辱である。

 マキちゃんは目を瞬かせて、あら、と笑った。


「じゃあ平澤は、明日からいきなりアタシがあの口調になったとしても、好きでいてくれるのかしら?」

「あたりまえじゃないですか」


 何を確認してくれてんだ、このトレーナーは。本当にトレーニーのこと信頼してないのか。

 睨むと、マキちゃんはぷっと吹き出して、今度はわたしのおでこを手のひらで押した。


「そーいうとこよ、そういうとこ。ありがとね、ありすちゃん」

 言ってそのまま歩き出してしまう。


「マキちゃーん!?」

「ごはんなんでしょー? 行きましょ」


 甲板を進みながら、ひらり、と後ろ手を振ってくる。

 何なんだあの態度は。


「……前途多難だなぁ」


 フックもぼそりと呟いて、笑いながら歩き出してしまう。

 男二人の背中を見送りながら、わたしは釈然としない気持ちを持て余していた。

 マキちゃんの態度もそうだけど、なにより、さっきのマキちゃんの話がひっかかっていたから。

 顔を上げる。

 心地いい青空だ。わたしの心のざわざわとは正反対の。



 ねぇ、マキちゃん。

 さっきの話聞いていたら、ますます分からなくなったんです。

 ご実家にはお父さんがいらっしゃるんでしょう? あんまり、近寄りたくなさそうだったのに。

 じゃあ何故、キャストをやめるんですか?

 何故、実家に戻ろうとしているんですか?


 それを、わたしが訊いたら、答えてくれますか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る