キャストというお仕事(3)
え、ごめん。マジで意味が分からない。
なんでわたし、真っ暗な夜の中、海の上でロープに掴まってんの。何でその下でワニが口開けてんの。
「平澤っ!」
悲鳴がもう一度聞こえる。頭上。何とか顔を上げると、月明かりに彩られたマキちゃんの輪郭。
「頭打ったって思ったらもうすでにここで、気が付いたらアナタそのまま落ちてっちゃって……!」
うん、いや、それは分かるんだけど。
かろうじてなんかぶら下がってたロープを引っ掴めたのはわたし天才だと思うんだけど。でもそれ、この状況においてはなんのフォローにもなんねぇな?
何とか状況を把握しようとしてみる。
夜である。月は見える。半月ぐらいか。手のひらは痛い。ロープは麻か何かのようである。背後には大きな建物のようなものがあり、数メートル上に明かりがあって、そこにマキちゃんの顔が見える。――船? 船かな。たぶん。
……で。
どうしろと。
びりびりと肩が痛んで、手のひらの汗で滑り落ちそうになる。手がしびれてくる。重い。ダイエットしとくんだった。肉食ってる場合じゃなかった。
「頑張りなさい! 今引き上げるわ!」
マキちゃんが叫んでる。いや、うん。どうなんだろう。海面に落ちれば衝撃で戻れるかなぁ。ワニのお口に落ちたら……戻った時肉体はあるんだろうか。あ、いや、鍵いま私持ってないな? マキちゃんか?
――ってことは落ちたら死ぬだけじゃん!?
「た、たすけ……っ」
ようやく状況を飲み込めて(いや理解は出来てないけど)、悲鳴をあげかけた時だった。
「おい女。手ェ離すなよ」
聞いたことのない声がした。
低い、男の声。同時に月明かりが陰った。人影が、月を遮ったのだ。マキちゃんよりもわたしに近い場所で。
誰かが、ロープにぶら下がっている。
「おやびーんっ」
また、別の声。少し甲高い男の声は、足元からした。
「でぇじょうぶでっす、追っ払いやしたぁ!」
「おう、スミー。戻ってこい」
男は頷いて、それからわたしに手を差し伸べた。手――いや、違う。カギヅメだ。
と、いうことは。
ロープを掴んでいる手とは逆の手で、恐る恐るそのカギヅメを握る。その瞬間、ぐいっと身体が引き寄せられた。ロープを掴んでいた手も離れる。
「ひゃっ」
一瞬、体が宙に浮く感覚があった。でもそれはほんの一瞬で、次にまばたきした時には、がっしりと体はホールドされていた。抱きしめられている。
「よーし、いい子だ。じっとしてろよ」
鉤鼻にヒゲをはやした男がにやりと笑う。
そしてそのまま――片腕でわたしを抱いたまま――器用に、そして力強く、船壁を登り切ったのだった。
甲板にあげられて、いまさら恐怖がやってきた。ガクガク震える膝でなんとか体を支える。
「平澤」
マキちゃんがすぐに寄ってきてくれた。
「ああ、ごめんなさいね。支えきれなくて……」
「だいじょうぶ、です」
階段から勝手に転がってきた後輩を、漫画みたいに支えられるわけがない。そんな偉丈夫キャストやってたらもったいない。
「おいお前」
わたしか?
顔を上げると同時に、顎をくいっと持ち上げられた。例のヒゲ男だ。下品ににやにや笑っている。
……えーと、なんだっけこれ。顎クイってやつですか。人生でこれやられるとは思ってなかったなぁ。
男はねっとりした視線でこちらをみて、口をゆがめて笑う。
「お前、ネバーランドの人間じゃあねぇな。ガキみてぇな顔だが、ガキじゃねぇのか」
童顔で悪かったな。
ちょっとムッとしかけたところで、わたしの顎にかけられていた手が払われた。わたしじゃない。マキちゃんが払ったのだ。
「ひとの後輩に汚い手で触らないでちょうだい」
聞いたことのあまりない、冷たい声だ。男はひょい、と肩をすくめた。
「ま、いいさ。てことはお前らが噂の『救世主』さんかい」
あ。やっぱりそういうことですか。
「さぁ……」
今度は何やらされるんだろう。
若干うんざりしかけたわたしを知ってか知らずか、男は腕を組む。
大きなつばの帽子に、真っ赤な外套。長い黒髪と鉤鼻にヒゲ。そして何より、月明かりを反射する左手の袖から延びる大きなカギヅメ。
もう、言わずもがななあのキャラの格好をした男は、大きな船の帆を背にこう言った。
「俺はキャプテン・フック。お前らに頼みがある」
「……なんでしょう……」
断れる気はあまりしないけど、今度はなんだろう。
マキちゃんが、何か知らないけどものすごい冷たい目でフックを見ているのも気になるけど。
フックはわたしの若干疲れた視線も、マキちゃんのやたら冷たい視線もものともせず、続ける。
「妖精殺しだ」
……。ようせい、ごろし?
ファンシーなくせに物騒すぎる言葉に、一瞬頭がフリーズする。
いや。いやいやいやいや。
「殺しとかそういう物騒なのはちょっと。カタギですので」
手のひらを向けてノーを伝えてみるが、全然通じなかった。
「たいしたことねーよ。ちゃちゃっとヤってくれりゃあいいだけだ」
「よくないよ!?」
「細けぇ奴だな」
「細かくないしっ!?」
叫び返した時だった。わたしとフックの間にすっと手が伸びてきた。マキちゃんだ。
「却下」
――氷の刃みたいな、冷たいひとことで切り捨てる。
そのままマキちゃんはわたしの肩をグイっと引き寄せた。反対の手で、わたしの手を握ってくる。
……ん。手の間に、鍵がある、ぞ?
「時間がないので」
マキちゃんはそういうなり――
ガンッ
――と、わたしに頭突きをかましたのだった。
ざ。
雑すぎる!
◆
元の世界に戻った時、確かに時間はない状態だった。休憩時間を数分オーバーしていたんだ。とはいえその程度でよかったのかなんなのか。二人で慌てて研修室に戻ってなんとか誤魔化して、一日をやり過ごして。
研修が終わると同時に、わたしとマキちゃんは先程いた一階上の自販機横へと走った。人目が他より少ない場所だからだ。
「お疲れ様、平澤」
「お疲れ様です」
「と、いうわけで」
はー、とマキちゃんが大きなため息とともにその場にしゃがみ込んだ。頭を抱える。
「こんっなタイミングでまたなのね。まーたーなのね」
「……なんかすみません」
「アナタのせいじゃないわよ。にしても、はー、もうー」
「あれって、ピーター・パンの世界、ですよね」
キャプテン・フックに、そのお供のスミーときたら、たぶんそうだろう。マキちゃんも頷く。
「たぶんね。にしても、物騒な依頼だったけど。あのクソフック」
クソて。
「マキちゃん、なんか機嫌悪いです?」
「ああいう手あいの男って嫌いなのよ」
「はぁ」
あんまり見ないな、こんなマキちゃん。いつもニコニコしてるのに、嫌いなものだとこんな態度なのか。
……今受けたアンガーマネジメント、マキちゃんいらないんじゃないかと思ってたけど、実は全く身になってないんじゃ……
ちょっと考えたとき、マキちゃんが苦笑しながら顔を上げた。
「で、どうするの、平澤」
「どう、って」
「あっちの世界、またいくの?」
それは、まぁ。こくんと頷いていた。
「依頼は物騒すぎてちょっとアレですけど……放っては、置けないですよね」
「言うと思った」
マキちゃんが笑った。
「でも、平澤。……ごめんなさいね、アタシとはやりづらいんじゃない?」
う。
言葉に詰まってしまった。
確かに、それは否めない。ここのところただでさえギクシャクしているのだ。あっちの世界でバタバタやるときに、上手くコミュニケーションをとっていけるかどうか、不安はある。
「それ、は」
しどろもどろに口を開いた時だった。
「はい、はーい。話は聞かせてモラッター」
唐突に棒読みに近い声が割り込んできた。
「へっ」
慌てて振り返ると、チベットスナギツネみたいな――無表情なのか呆れてるのかいまいちわからない――顔をした花ちゃんが階段を昇ってきているところだった。
「花ちゃん」
「少々お待ちよー」
「え、なに?」
「いーから」
状況をいまいちの見込めないでいるわたしとマキちゃんを無視して、花ちゃんは傍のコカ・コーラのベンチにどかっと座る。そのままスマホを取り出して、写真を一枚ひらく。全員のシフト表だ。
「ふんふん。ヒラは明日オフね。マキちゃんが朝一で、あ、キャプテンか。とすると明日オフなのがーっと」
「……あの、籠井サン……?」
「シフト表くらい撮っとかないと、シフチェン困るぜ、平澤サン」
しれっとした顔で言うと、花ちゃんはそのままスマホを耳に当てた。
「ハロー、剛くん。明日朝一からのあたしのシフト貰ってくんない?」
え。
「ちょっちょちょちょ、花ちゃん」
「うん、そそ。朝一から昼上がり。あたし、マキちゃんのキャプテンシフト貰うからさぁ。あ、そうそう。あ、いい? 稽古間に合う? さーんきゅ! じゃ、用紙だしとく。あとでLINEで詳細時間送るねー」
早いな!? 話付けちゃったよこの人!?
「あの……籠井……?」
マキちゃんが若干引いてる。
「三角シフチェンです。マキちゃんはい、これ書いて。マキちゃんのシフトあたしが貰って、あたしのシフトは明日オフの剛くんに貰ってもらうんで」
キャプテンシフトは、キャプテン業務が出来る人しか貰えない。だから直接剛くんにじゃなくて、花ちゃんが貰ってくれたということ、だけど。
シフチェン申請用紙を押し付けられて、マキちゃんはひたすら困惑顔だ。
そりゃそうだ。やりづらいとかどうとか、話していたところなんだから。
「は、花ちゃぁん」
「明日行ってこい」
ニカッと、花ちゃんが笑った。
「一日で足りなきゃ、また戻ってきたら調整手伝ってやっからさ」
マキちゃんと顔を見合わせる。マキちゃんは困ったように微笑んでいた。花ちゃんは長い髪をさらりと揺らして、苦笑する。
「正直、あんたらがギクシャクしたままだとこっちもやりづらい」
「それは……ごめん」
「しゃーないさ」
花ちゃんは、ほんとに、ほんとに頼りになる同期だ。
「だからさ、行っといで。なんとなくだけど、あんたらはちゃんと二人で行ったほうがいい気がする。で、あっちで、なんかしてくるのが大事なんだと思う」
屈託なく笑う花ちゃんを見返す。ほんとうに、この子と同期で良かったと思う。
花ちゃんはそのまま、こう続けた。
「あと、前回の怨みわすれてないから。例のおっさんいたら、しっかりなぐっといてね」
――ああうん、どこまでも、花ちゃんだなぁ。
結局。
わたしとマキちゃんは、花ちゃんと剛くんの厚意に甘えることにした。
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