キャストというお仕事(2)


 冬期は、年間通しての閑散期でもある。この時期、割と多いのが座学研修だ。普段は出来ない座学研修を閑散期に行うのだ。

 と、いうわけで。

 本日はオンステには出ず、本社棟の研修室にて座学研修――アンガーマネジメントクラスだった。オンステに出なくても、制服は着用だけれど。

 前半が終わって、休憩時間。階段脇の自販機でジュースを買ってひといきつく。

「……はー」


 うーむ。気まずい。

 今日のメンバーはIキャスト以上――トレーナー以上で、花ちゃんやマキちゃんも一緒だった。オンステなら普通を装うのは難しくない。オンステは舞台上だし、業務上会話は必要だし、出来る。ロープはります、ブレイク回します、カット入れます。全然話せる。でも、今日はそういう会話はないわけで。そのくせ、こういう事例がありました、貴方はどう思いますか、話し合いましょう、みたいな曖昧な指示のもとの会話はさせられるわけで。

 ぶっちゃけものすっごいやりにくい。

 それはマキちゃんも同じなようで、お互いなんだかすごくぎこちない。

 ――あの日。

 マキちゃんにあの言葉を言われた日のことを思い出す。



「ねぇ、ありすちゃん。アタシ、ゲスコン、辞めようと思ってるの」


 少し困ったように微笑みながら、マキちゃんはそう言った。


 言われた時は突然の言葉に頭が働かなくって、少しの間ただただマキちゃんを見つめ返すしか出来なかった。それからようやくひねり出した声も「え、っと?」という間の抜けたものだった。

 マキちゃんは、その言葉にただ黙っていた。だから、わたしは呆然としたまま言葉をさらに紡ぐしかなかった。


「や、める? ゲスコンを、ですか」

「そう。キャストを、ね」


 頷くマキちゃんの顔をただ見上げて、停止していた頭が、今度はバカみたいにぐるぐる動き出す。でも、前に進まなくてただただ同じ場所を巡るだけの意味のない思考の運動。辞める? 辞める。ゲスコンを? キャストを? 辞める?


「なん……で、ですか」

「ちょっと、ね。実家に帰るの」

「なん……」


 なんで、と。出かかった言葉を、その時は飲み込んでしまった。なんでだろう。分かっている。ただの後輩であるわたしが、そこまで踏み込んで聞いていいものなのかどうか分からなかったからだ。

 そしてたぶん、訊いて答えてもらえなかったとき、自分が傷つくと思ったからだ。自分勝手に傷ついて、それを自分で許せないと思ったからだ。だからなぜの言葉を飲み込んだ。

 それがずっと、喉の奥に引っかかっている。取れない魚の骨みたいに。


「そう、ですか」


 飲み込んだ言葉の代わりに出たのは、そんな上っ面の言葉で。

 結局、わたしはそれ以上踏み込めないまま、今日まで来てしまっている。


 飲み干したジュースの空き缶をゴミ箱に投げ入れて腕時計を見る。休憩終了まであと三分。

 ……戻るかぁ。

 ぐっと一度伸びをして、階段を降りようとしたとき。

「平澤?」

 背後から聞きなれた声がした。


 ドキッと軽く体が跳ねる。慌てて振り向くと口元に小さな笑みを浮かべたマキちゃんがいた。


「あ……お疲れさまです」

「お疲れ様。そろそろ戻るでしょ?」

「あ、はい」

「何飲んでたの? また変なの?」

「変なのって何ですか。普通のドクターペッパーですよ」

「そーいうとこよ、そういうとこ」


 マキちゃんが軽く声を立てて笑って、わたしの肩をぽんっと軽く叩いた。そのまま、ゆっくり階段を降りだす。わたしもその後ろをついていく。

 数段降りたとき、ふいにマキちゃんの足が止まった。つられてわたしも止まる。


「ごめんなさいね、平澤。気、つかわせちゃって」

「……いえ」


 数段下で止まっている、いつもの大きな背中。振り返ってこないマキちゃんを見て、何とかそう声をひねり出す。


 今だろうな、と思った。

 深入りして訊いてもいいタイミングがあるとしたら、たぶん、今なんだろうという感覚。でも。言い訳はいくらでも思いつく。訊いていいかどうか分かんないし。っていうかそろそろ休憩終わりで戻らないとだし。

 選択に数舜迷って、何となくポケットに手を突っ込んだ。例の『鍵』はいつも持ち歩いていて、不思議とお守りみたいに気持ちを落ち着かせる時にさわってしまいがちだ。指先に触れた小さな四角い感触を握りこもうとして――違和感に、ひきっと頬が引きつる。

 四角く……ない。

 恐る恐るそれを取り出して、反対側の手のひらに乗せる。


「……あ」


 小さく声が漏れた。それは、いままでよりずっと複雑な形をしていた。

 人型だ。ただし、翅の生えた――


「平澤?」

 わたしの様子に気付いたのか、マキちゃんが振り返る。

「マ、マキちゃん、これ……っ!」


 慌てすぎた。

 鍵をマキちゃんに見せようとしたのだけれど、それまでの逡巡から一転した感情が、上手く体を操ってくれなかったらしい。

 踏み出した足が、ずるっと滑る。

「みぃっ……!?」

 ひっくり返った声が出た。

「平澤っ!?」

 マキちゃんの悲鳴。同時に視界がかくんっと下がって。

 膝もかくんと折れていて。


 びっくりするくらい綺麗に、わたしは階段から落ちていた。



 そしてそのまま。

 なぜかワニに食べられそうになっている。


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