キャストというお仕事(1)
程よく焼けて脂が浮き出たタン塩に、これでもかとネギをのせる。それを一口でほおばり、花ちゃんはおっさんじみた「くぅ~っ」という声を漏らす。
「あー、たまらーん。人の金で食う肉は旨いわーっ」
「だろーね」
若干冷たくなる声は勘弁してほしい。だってその金わたしのいつだって薄いお財布から出ているんですけど。
いやまぁ、いいんだけど。迷惑かけたのは事実だし、そういう話だったし、それに乗じて愚痴も聞いてもらっているわけだし。
でも安くはない。
職場から離れた駅にあるチェーンの焼き肉店。食べ放題メニューは豊富で、おひとりさま三千円也。
店内は明るく、店員の賑やかな声が活気を演出している。目の前には花ちゃんと、その横には剛くん。
お肉の質とかはぶっちゃけ分かんないけど、炭火で食う焼き肉は美味しい。
――会話の題材がこんな話題じゃなければ、たぶんもっと、美味しいはず。
「ヒラさんって割とどーでもいいこと悩みがちっすよね」
「よくないから悩むんだってば。剛くんが割り切りすぎ」
「そういう性分なんっす」
ガツガツとごはんとお肉をかっ込みながら、剛くんが言う。……ちなみに、剛くんは半額で許してくれた。それでもまぁ、奢らされてはいるんだけども。
例のマキちゃんの発言からこっち、しばらくシフトが調整上手くいかず、結局三人でランチタイムにこうして顔を突き合せられたのがいまさら――二月頭になってからだった。
本当だったらマキちゃんもここにいるのが筋なんだろうけれど、あの時からどうにもマキちゃんとどう接していいかわからず、仕事以外の会話をしていない。おかげで今日のことも話せずに来てしまった。
花ちゃんか剛くんが話すかな、とも思ったけど、ふたりともそれはしなかったようだ。マキちゃんの辞める発言はまだ部署内では発表されていないが、ふたりには話させてもらった。で、いまいちその後マキちゃんとの距離感を掴めないでいるわたしを気遣ってくれたんだろう。
結局店に入ってから、あの日のごたごたに至った経緯――ガラスの靴のお姫様の世界へ行ったところから全てを話し、そして、話はずるずるとマキちゃんの辞める発言のことへと移っていった。
「でさぁ、ヒラはマキちゃんにどーして欲しいのさ。辞めて欲しくないってこと?」
「いや……」
カルビをタレにとっぷりつけて口に放り込む。
「さすがに、それは。マキちゃんの選択に口出すわけには、いかないし。ただ、なんでだろうって、もやもやしっぱなしなだけで」
「めんどくさ」
花ちゃんが鼻を鳴らす。
「やめないでーって素直に言えばまだラクでしょーに」
「アホ。ガキじゃないんだよ」
「分かってるよ。だからめんどくさって言ってんの」
花ちゃんは辛辣だ。まぁ、事実なんだけどさ。
「てことはさ、仕方ないじゃん。剛くんの言うとおり、あんたが悩むことじゃなくない?」
「ラブってわけでもないんっすよね」
「違う」
そういうわけじゃない。まぁ、コミュニティを離れてしまえば、それまでどんなに仲が良くても関係は前のまま続きはしないってことは分かっているし、それが寂しくないわけじゃないけど、それでもマキちゃんなら連絡を取れば面倒くさがったりはしないでいてくれるとも確信はしているけれど。
「ラブじゃないならなおさら、ヒラさんが引き留める理由もないわけですし、ますます悩まんでいいんじゃないっすか」
「……そーだけどさぁ」
急すぎて、もやもやするんだもん。
「マキちゃん、実家戻るって話でしょ?」
ホルモンを網に乗せながら、花ちゃんが言う。
「うん、そう言ってた」
実家――マキちゃんの実家は、美容院だって聞いている。
「ならますます仕方ないじゃん」
「そうっすよね。俺もまぁ、てきとーなとこで辞めると思いますし」
「えっ」
剛くんの突然の言葉に、思わず箸を止めて顔を上げていた。剛くんはむしろ驚かれたことに驚いたようで、丸い目をぱちくりとさせている。
「え、なんっすか。そんな声あげます?」
「え、だって。辞めるの?」
「いやだから、すぐじゃないっすよ。てきとーなところで」
「てきとーって?」
「んー」
剛くんがガシガシと頭をかく。
「俺、芝居やってんの話してますよね」
知っている。時々、舞台やるってチラシを配られるし、二度ほど観に行ったこともある。柔道やって芝居やって、忙しい子だなぁって思ってはいるし、その辺のチケットノルマとかで懐情勢が厳しくなると、シフト貰いまくりが発生したりするのを見ていて、頑張っているなぁって思う。
「ま、ぶっちゃけ厳しいとは思いますけど、芝居で食ってけんのが一番の目標ですし、そうでなくてもそっちが今より忙しくなったら、柔道のほうだけでやりくりして、こっちは辞めると思います。シフト調整大変だし」
「……えっと、柔道でやりくりって?」
「ん? ああ、今講師やってます、週一で。それ増やしたほうが、芝居の体づくりにもなりますし」
……それは知らんかった。まさかのダブルワーク。しかも芝居やってとか、体力あるなぁ……。
「だから、まぁ、てきとーなとこで辞めると思いますって話です」
「……そっか」
「ヒラさぁ、まさかとは思うけど、みんなずっといるとか思ってないよね」
「そういうわけじゃないけどさ、びっくりするじゃん」
辞めていく人はちょくちょく出る。まぁ、わたしだって花ちゃんだって正社員じゃないし、契約社員だし。剛くんはまだバイトで、バイトは入れ替わり激しいし、分かってはいるんだけど。
花ちゃんがジンジャエールを飲んで、ふぅっと息を吐く。
「ま、あたしも同じだなぁ。今んとこ楽しいからいいけど、タイミングみてちゃんとした仕事につくつもりだし」
「ちゃんとした、か」
「まぁ、うちの仕事がちゃんとしてないって言いたいわけじゃないけどさ、業界特殊すぎて、職歴にはなかなか結び付かないじゃん。剛くんみたいなんだったら、芸の肥やし、とかになるんだろうけど」
剛くんがコクコク頷いている。実際、剛くんみたいに芝居やっているとか、歌手目指しているとか、そういうキャストはそこそこいる。人前に出て演じ続ける仕事だから、経験値を得やすいんだろう。
「うちってさ、夢追い人には優しい仕事じゃん。わりと皆いろいろやってるけど、それを口に出しても笑われないし、応援もされるし。シフト交換とか乗ってくれるメンツもちょいちょいいるし、なんならスケジュール段階で交渉も出来るし。ダブルワークも禁止されないし、夢追い人が多い分、キャスト内でそっち系の人脈も作りやすい。でも」
キンッ、と高い音を立てて、花ちゃんがグラスを弾く。
「そこまで。そっから先は全部自己責任。仕事、として考えたときには結構厳しいところでしょ。正社員登用少なすぎるし。十年、二十年ピンつけてるキャスト、ほぼ契社だし独り身率高すぎだし、こっからどうしていくのって、ぶっちゃけ思わなくもないよ、あたしも。正直今回マキちゃんが実家に戻るって聞いて、あ、この人まともなんだなって思ったくらいだもん」
「カゴさん、俺のこと軽くディスってます?」
「うんまぁ、ちょっとだけ。まぁそれはそれとして。でもまぁ、みんな大体そんなもんじゃない? むしろここでずっとやっていきたいって言っているキャストのほうが少ないじゃん」
まぁ、確かに。あまり聞かない。
「そういえば聞いたことなかったけど、ヒラはどうなのさ。ずっとやっていきたい派? 正社目指してるの?」
「ん、いや。……辞めよっかな、って考えてたこともあるし、正直分かんない。悩んでる」
「ならなおさら、マキちゃんのことをどうこう言える立場じゃないでしょ」
正論だ。何も言えなくなって、コーラをずずっと吸い上げるしか出来ない。
「……分かんない、けど」
〆のシャーベットを選びながら、無理やり口を開く。
「でも、この仕事は好きだし、続けられるなら続けたいな、って思っても、いるんだ、たぶん」
「ヒラさん、向いてますしね。たぶん」
剛くんが安請け合いする。
「――ま、それはそれで尊いんだとおもうけど。それをマキちゃんに押し付けるのも違うくない? マキちゃんにはマキちゃんの事情があるっしょ」
花ちゃんはそういうと、ボタンを押して店員を呼んだ。シャーベットを注文し、待つ間に運ばれてきた温かいお茶をゆっくりと口に含む。
しばらく、会話が途切れた。シャーベットが運ばれてきたとき、ふと、剛くんが口を開く。
「そいえば、俺はこの仕事選んだの、籠井さんの言うとおり芸の肥やしになるかなってことだったっすけど、お二人は何でこの仕事してるんっすか?」
花ちゃんが軽く肩をすくめた。
「あたしは簡単。新卒で入った会社がくっそブラックで、いろいろヤになって、夢と魔法に生きてやるぅってここ入ったら意外と楽しかったってだけ」
花ちゃんは同期だけど、わたしより二つ年上だ。なるほど、そんな経緯だったんだ。
「なるほど。ヒラさんは?」
「わたしは……」
恥ずかしすぎる動機をふたりにしどろもどろになりながら話して。
そうするうちに、頭はその場から離れていた。
マキちゃんがどう生きていくかはマキちゃんの選択で、それをどうこう言える立場じゃない。それはその通りだ。分かっている。そのうえで、気になってしまった。
マキちゃんはなんで、ゲスコンしてるんだろう。
なんで、キャストになりたいっておもったんだろう?
そして今、実家に帰ることになったのは――なんでなんだろう?
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