キャストサンクスデー、だったはずなんです(3)
◆
「アナタ何やってんのー!?」
悲鳴じみた声に叩き起こされる。脳天が。脳天がぐらぐらする。
「うー」
呻きながら顔を上げると、ひきつった顔のマキちゃんがそこにいた。目をまん丸に見開いている。……へー、普段切れ長なのにここまで開くんだ……じゃ、なくて。
「あの、マキちゃん、顔真っ青ですけど」
「あれ!」
マキちゃんは取り合ってくれなかった。意外と太い指をぐい、と前に指している。珍しい。いつどんなときでもスマートに手は揃えて出す人なのに。
何だろう、と未だくらくらする頭でそちらを見て。
――たぶん、マキちゃんより顔色一瞬で青くなった、と思う。
ショーステージ脇の陰。サンクスデーの喧騒も少し届かない場所。エリア的にはトゥモローランド、という近未来をイメージしたエリア。地面の色はブルーグレーでどちらかと言えば無機質で。そんな場所にぺたん、と座り込む一人の少女。
鮮やかな金髪に、青空色のエプロンドレス。
ぱっちりしたお目目が可愛らしい、白い肌の幼い少女。
「……わあ」
「わあじゃなくて! 何連れて来てるの!?」
「いや、えーと」
……ぶつかったのだから、仕方ないよなぁ。不可抗力ってやつですよねぇ。たぶん。
どう言い訳したものか、と考えるわたしの耳に、キシシシッ、と奇妙な笑い声が飛び込んでくる。
「……って、待て!?」
「キシシッきた、きた、あっちがこっち、こっちがあちらそちらとあちらがくるりんちょ」
訳の分からない節で訳の分からない歌を歌うのは、空中に浮かんだ半月型の口。
――チェシャ猫。
「まぁ!」
座り込んだ少女が甘い声を上げる。
「あなた、まだいたのね。もう、今度はどこなの?」
……おおぅ。ジャパニーズ。ニホンゴデスネ?
なんか、いや、まぁ今までも普通に日本語だったんだけど、改めてこっちの世界で認識させられると、すごい違和感が。違和感が。
っていうか。いや、うん。あの。あなた。
――アリスです、ね?
ひきつっているわたしたちを余所に、少女は立ち上がるとパンパンッとスカートを叩く。そして、キシシキシシ笑って跳ねるように消えていくチェシャ猫を追って駆け出していく。
「……平澤?」
小さくなっていく背中を見送って。
「……はい」
呆然と、呟くしかない。
「何でアナタ、見送ってんの……?」
「マキちゃんこそ……」
――あ。キャストの波に入っていった。あ。悲鳴が。あ。
「……えっと」
マキちゃんと顔を見合わせる。
「どー……しましょ?」
◆
気を取り直したらしいマキちゃんの行動は素早かった。
わたしの首根っこをひっつかみ、すたすたと歩きだしながらスマホを何やら操作する。わたしのスマホも震えたから、たぶんLINEのグループだろう。何かメッセージ送ったんだろうけれど。
「あの、自分で歩けます」
「ああ、ごめんなさい」
マキちゃんがわたしから手を離す。隣に並んでほとんど小走りになりながら、マキちゃんについていく。
「ねぇ平澤。念のため聞くけど、アリス、で間違いないわね?」
「と、思います。チェシャ猫があっちで『鍵』とっちゃって。追いかけてたら、アリスとぶつかって、それで」
「……なるほど」
マキちゃんが静かに頷いた。
「久しぶりね、これ」
「……こっちで、は初めてですけどね。いや、あの、どーしましょ」
「ありすちゃん」
……なんか、声が、据わっている気がしますけど。
「はい」
「今日、何の日か知ってる?」
「サンクスデー、です」
「そう。いい、ありすちゃん。今ここには、キャストしか、いないわ」
「まぁそうです、けど」
「――なら、どうとでもなるし、どうなっても、いいわ」
マテい。
「マキちゃあああぁんっ!?」
ヤケクソになってませんかぁ!?
「いーのよっ、どーせサンクスデーよ! 投げられちゃった債はどーしよーもないわよ!」
だめだ。この人完全に自棄になってる。
恐る恐るスマホを取り出して、さっきマキちゃんが送信したはずのメッセージを見る。
――サンクスデー☆ 夢と魔法を見たい人は、青虫さんとか猫さん見つけたらマキちゃんまでお知らせしてね☆
何この頭のネジ軽く三、四本吹っ飛んだ文章。
大丈夫かこの人。いくらサンクスデーだからって、脳みそ軽量化しすぎじゃないか。
「久しぶりでだいぶ自棄になってます?」
「なってる」
素直だった。
「マキちゃぁん」
「だって! サンクスデーなのにっ、んもう!」
そんなに楽しみにしてたのか、この人。いや、楽しみなんだけどさ。
「……ごなのに」
――ん?
マキちゃんの呟きが小声すぎて聞き取れなかった。
「なんです?」
「ん? なんでもないわ。――それより、どこ行っちゃったのかしらね」
このパークは、大雑把に言うと円形だ。中心にパークのメインビジュアルであるところのお城があって、その周りはパレードルートと言われる大きな通りがある。パークの六時方向は入り口になっていて、そこはお土産物屋さんなんかが並ぶショーウィンドウエリアもある。そしてそこから右に、五時方向あたりに近未来のエリア――さっきまでわたしたちがいた場所があって、三時方向にキャラクターたちの街を模したエリア、その上側、おおよそ十一時から二時方向くらいがファンタジーをテーマにしたエリア。このファンタジーをテーマにしたエリアはちょうど城の真裏――パークの上側にある。そこから今度は左に向かっていくと、小動物の街のエリア、西部開拓時代のエリア、と続いて、左下、七時方向に冒険をテーマにしたエリアがきて、全部で七つ。
その中、パレードルートまできて、マキちゃんが腕を組んだ。人はあちこちにいるし、颯爽と走り抜ける消防車に乗った、保安官スタイルのメインキャラクターが手を振ってたりもするんだけど、アリスの姿は見当たらない。
と。
また、悲鳴が聞こえた。ファンタジーランドだ。
……まぁ、ね。うん、まぁね。フェイスキャラクター(顔出しキャラクター)にしても幼女すぎて違和感あるしね。そもそもその近くに、口だけとか目だけとか出したり消したりする、不可解な猫浮いてるだろうしね。悲鳴も上がるよね。
「あっちね」
「です、ね……」
ファンタジーランドに向かって駆け出す。普段なら走るの厳禁なオンステだけど、まぁ、ゲストいないし今ならべつにいいだろう。
今いるここからなら、お城の下の通路を通っていくのが一番近いし、たぶんアリスもそのルートを通っただろう。
お城の前に差し掛かった時、わたしとマキちゃんは同時に声を上げた。
「さと子さん」
うちのSVだ。さっぱりとしたショートヘアがよく似合う、お仕事できるレディ。今日はいつものスーツじゃなくて、ファンタジーランドなふわふわ格好だ。
「やっほー。楽しんでるー?」
……どうだろな。
答えに窮するわたしを余所に、マキちゃんがぽんっと手を打った。
「さと子さん、その無線って生きてる?」
さと子さんの腰にささっている無線を指す。
「これ? もっちろーん。サンクスデーだから超カオスってるけど」
「そうなの? 借りていいかしら」
え。
マキちゃん、何するつもりだ。
ぎょっとするわたしを無視して、マキちゃんはさと子さんから借りた無線を耳に着けると、にま、と笑った。……チェシャ猫みたいに。
そして。
「パーク各局、パーク各局、こちらゲスコンのマキちゃんです♡」
ひでえ。
この無線、普段は管理するところがあって、そこからのメイン情報の時は『パーク各局、パーク各局、こちらパークベース』で始まるんだけど。
それ、こんな風に使うか、普通?
もちろんこんな無線、普段ならド叱られる。が。
サンクスデーだった。
ざざっと交信音が流れた後、ケラケラっとした笑い交じりの声が応答する。
『ハーイ、知らんけどゲスコンマキちゃん、こちらファンタジーランドどうぞー』
『割り込みまーす、ウエスタンも聞いてます、マキちゃんやっほーどーぞー』
『割り込み以下略アドベンどうぞ!』
これ皆SV以上(下手したらもっと上)なんだからどうなんよ。あ。さと子さんめっちゃ笑ってる。
「マキちゃんです。社長は青虫に食べられてなかったかしらどうぞ」
『サプライズびっくりしたねーってさっき笑ってるのを見かけましたどうぞ』
社長なかなか肝据わってんな?
「あら素敵、了解。青虫さんと猫さんと金髪のお嬢ちゃんのサプライズを仕込みました。見かけたらその辺にいるゲスコン通じてマキちゃんまでご連絡くださいどうぞ」
え。あれマキちゃんが仕掛けたことにしたの。大丈夫なのそれ。
『ナイスサプライズでした! 了解、見かけたらゲスコンに伝えるわ、どうぞ』
「お願いしちゃいまーす。愛をこめて、マキちゃん以上!」
もはや完全にやけくそで無線を終えたマキちゃんは、おなかを抱えて笑っているさと子さんに無線を押し付ける。
ポケットに入れたスマホからは、ブルブル振動がひっきりなしだ。グループ会話、なんか変なことになってるんだろうなぁ……。わたしとマキちゃんだけはぐれちゃったし、どうせすぐさっきのカオス無線の話どっかから流れるんだろうし。
さと子さんに軽く別れを告げて、また走り出す。
……なんかやっぱり、ちょっとマキちゃん変じゃないだろうか。わりといつでも冷静なのに、いくらサンクスデーとはいえ、そして数か月ぶりとはいえ、らしからぬ自棄っぷりに見える。
「マキちゃん。あの、大丈夫ですか」
「大丈夫よ、ごめんなさいね」
――と、いう返事ってことは、自分でおかしいことは自覚してるんだろう。自覚ないなら、何が? って聞いてくるだろうし。
自覚しているなら、まぁ、いいか。突っ込まれたくなさそうだし、流すしかない。
「大丈夫なら、いいんですけど」
走りながら、ぽん、と後頭部を軽くたたかれた。ありがとね、と小さくささやかれる。……やっぱりなんか、変だけど。
城下の薄暗い通路を抜けて、ファンタジーランドに出る。視界が広がったあたりでさっとあたりを見渡してみるけれど、それらしい人影も人だかりもない。
「移動しましたかね」
「かしら。……っと」
マキちゃんがスマホを取り出した。通話だ。マキちゃんはスピーカーボタンを押した。剛くんのやたら元気な声が飛び出してくる。
『おつかれーっす! マキさん、平さんそこにいるんっすか?』
「いるわよー。ごめんなさいね、はぐれちゃって」
『一緒ならいいんっす。どこいるんっすか』
「今、ファンタジー。アナタたちは?」
『ウエスタンっす。アトラク並んでたんっすけど、マキちゃんが探してるもの見っけたんで』
「あら。どこ?」
『青虫、いま
「……、そぉ、あり、がと」
マキちゃんがお礼を言って通話を切る。汽車に乗る青虫。すげー見たくない。
「汽車って乗り場、アドベンチャーランドです、よね……? 乗り場行きます?」
「……乗り場で待ってて降りてくれるものかしらね」
呻きながら走り出す。降りてくれるとは思えなくても、とりあえず行くしかない。
「平澤、そういえば『鍵』は?」
「あ……持ってないです。たぶん、チェシャ猫かアリスが持ってます……」
「あー。じゃあその二人も見つけて『鍵』取り返して……いえ、持たせて、あと、殴りでもすれば帰ってくれるかしら」
「たぶん」
……青虫とチェシャ猫はともかく、幼女殴っていいのかはちょっと分かんないけれど。
そして、三人……二匹とひとり、まとめて『鍵』に触れさせて殴る、というのはなかなか難しそうではあるのだけれど。
やるしかない。このカオスに輪をかけたカオスを終わらせるために。
そして。
アドベンチャーランドに足を踏み入れたわたしたちが目にしたのは。
――鮮やかな赤い汽車の上に乗る、青緑色の巨大青虫だった。
きもい。
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