くちづけ大作戦(3)


 王子の行き先がこっちの城だということだけは分かっていた。鏡情報で、だ。

 まずは順調に街道を進んでもらう。そこは問題なかった。

 そして第一接触。こちらまでもう少し、というところで、ちょうど王子が休憩に入ったと連絡があった。


『平澤、聞こえる?』


 鏡は真っ暗なまま、マキちゃんのささやくような声が聞こえた。ポケットかどっかに入れたままなのだろう。


「はい。聞こえます、どうぞ」


 だったらいいや、とこちらも胸ポケットに再度鏡を突っ込んで返事をした。正直こっちのほうが慣れている。


『接触は成功。ちょうど湖でね。こちらも馬に水を飲ますためですーって振りして話しかけてみたわ。人当たりはいいわね。真面目そうだし。……たぶん、いちばんまとも』


 ……ああ、うん。白雪姫や女王に比べて、ってことだろう。なぜだろう。それだけですごい安心する。


『世間話ついでに、このあたりの噂、として口づけと生き返る少女についてのお話も吹き込み成功よ。どうぞ』

「了解です。王子の動向はどうですか、どうぞ』

『ふっつーね。面白いお話ですね、って感じ。そのまま別れを告げて、ついさっき出発したわ。どうぞ』

「分かりました。こちらも準備します。どうぞ」

『気を付けてね。牧野以上』


 鏡通話が切れる。……途中からなんか完全に無線のノリになっちゃったな、まぁいいか。

 さて。準備だ。


「女王、お願いします」


 振り返る。女王は真面目な顔をして頷いた。そっと、腕を広げ、わたしに向ける。


「――、――、――」


 聞き取れない音だった。女王の口から、聞きなれない言葉が紡がれる。音楽にも似たそれは、おそらく呪文と呼ばれる類のもの。


「――!」


 叫び声。同時に、カッとわたしの体に熱が走る。

 熱い!

 叫び声が口から出る直前に、その熱は驚くほどあっさりと消えた。


「……えっと」

「出来たわよ」


 女王が微笑む。そして。


「ん~っ! かっわいいい~! ああやっぱりかーわいいい」

「すいませんうっとうしい」


 抱き着いてきた女王を押し戻し、胸ポケットに入れてあった手鏡を取り出して覗き込む。

 そこに映っていたのは。


「お、おお……」


 きめの細かい真っ白な肌。小さく愛らしい真っ赤な唇。大きく丸い瞳に、整った鼻。そして夜のような艶やかな黒髪。


 ――白雪姫、だ。


「これ、すごいですね。本当に白雪姫だ」


 すごいわー。すごいわー。コンシーラーいくら叩き込んでも消えないクマが全くないわー。シミもひとつもないし、なにこれ美人ってすごい。

 すごい。わたし今、美人。たぶん、石原さとみにも負けない美人。そんなことを人生で思える日が来るなんて。っていうかなにこれ、すっぴん? すっぴんなの? ヤバくない?


「……すごい」

「見た目だけよ」

「え?」

「外からはそう見えるようにしてるってだけ。モノそのものを変化させることは、自分のことくらいしか出来ないわ」


 ……ち。

 いや、いいんですけど。十分なんですけどね。


「服は、そのままなんですね?」

「変えても良かったけど……けっこう、むずかしいわよ? 幻影も実態は伴うから、スカートがどこかに引っかかったら引っかかるし。その辺り計算して動けるならいいけど」


 ああ、つまり自分が今のままの、ジーンズのつもりで動いているのにスカートの動きだと何かと面倒くさいということか。


「じゃあ、いいです。着替えてきます」


 彼女の服なら小人の小屋にある。借りても文句は言わないだろう。

 大丈夫。あの服だって自分の顔じゃないなら堂々と着れる!

 着替えてから、小人に指示を出す。先生、が一番リーダー格だ。説明は彼にする。

 それから、棺の中で眠る白雪姫に心の中でそっと誓う。


 ――絶対、起こすから。任せてね。



 街道の真ん中で、わたしは小人のひとり――ねぼすけと一緒にいた。

 そして。


 ――来た。


 近づいてきた馬に乗った人影。王子と、そのお付きだ。

 ぎりぎり、顔が確認できる距離まで引き付ける。王子が目を見開くのが、分かった。その瞬間、わたしは王子から逃げるように森の中へと駆け出す!


「あっ、どうしたんだい、しらっ……!」


 ねぼすけが、用意しておいた台詞を叫ぶ。ナイス! なかなかの演技力!

 王子が驚いて馬をこちらへ向けようとする。が。


「おい、なんだおまえ!」


 おこりんぼの声がした。ちらりと背後を見ると、おこりんぼとてれすけが、そろって王子の前に立っていた。足止めだ。


 ――あ、はい。覚えましたよ、小人。七人。戻った時勉強してきました。わたしえらい。

 先生、ごきげん、てれすけ、ねぼすけ、おこりんぼ、くしゃみ、おとぼけ、の七人だ!


 森の中では馬は走りづらい。王子は足止めされたこともあって、馬を降りたようだった。視界の隅でそれを見届け、全力で走り抜ける。捕まったら意味がない。


 出来るだけ視界を遮りやすい、大きな樹のある道を行く。道、というか道なんてないところを行く。大丈夫。事前に目印をつけてある。普段ならキューライン作成後、ゲストがぶつからないようにロープに張るための大きな布――フラッグを、樹に巻き付けてあるのだ。それを目印に、白雪姫の眠る小人の小屋まで。


 疲れてきて、足がおぼつかなくなった。小人がひとり、またいる。くしゃみだ。彼もまた、足止め要員。見つけて、ほっとしてしまったのだろう。彼を見つけた瞬間、右足が左足に引っかかって、そのまま盛大にすっころんだ。


「ヒラサー!」

 くしゃみが驚いて駆けてくる。まずい! 追いつかれる!

 慌てて起き上がるわたしの耳に、王子の白雪姫を呼ぶ声が聞こえた。くしゃみが、ぽんっ、と飛ぶようにわたしの後ろに立った。

「まかせて!」

 言うなり。


 ハッ……クショーンッ!


 ――え、ええええ?

 耳がおかしくなるかというくらいの大きさのくしゃみをかます。そしてそれは大きな旋風を起こした。


 ……わ、ぁ、ぁ、ぁ……


 ――マジか。王子すっとんでいったけど……?


「さぁ、はやく!」

「え。あ、はい」


 すげぇ。くしゃみ有能すぎる。そういえばなんかそんなシーンがあった気もするけど、なんて特殊能力だそれは。

 とりあえずくしゃみに促されるまま、また駆け出す。振り返る。王子も負けてない! すごい! 根性ある! 立ち上がって追いかけてきているのを確認して、スピードをあげた。

 そして。


 ばっ、といきなり視界が開けた。

 森を抜けたのだ。


「こっち!」


 またつんのめって転びかけたわたしの腕を、ぐいっと引っ張ったのはごきげんだ。


「すごい。ちゃんと王子ついてきてるよ! ヒラサー」


 息が上がって頷くしか出来なかった。女王がわたしの傍に寄ってきて、例の魔法をかけてくれる。熱を感じるとすぐ、それは解けた。おそらく、魔法が解けたのだ。


「あとは、任せて」


 女王の短い言葉に、こくんと頷く。そのまま小屋の後ろへ走った。隠れるためだ。

 小屋の裏、小さな井戸の脇にずりずりと座り込む。


「……っはー!」


 大きく、息を吐く。

 め。めたくそ疲れた……!


 いや、立ち仕事ですよ。普段毎日ずーっと立って仕事してますよ。真夏も真冬も立ってますよ。だから同世代の事務仕事の子とかよりは体力はあると思います。が。


 キャストの基本! ゲストを不安にさせるから、どんな時でもオンステは走らない! 走らない!


 ――から。

 走るのは慣れてないんだってば。本当に疲れた。


 ばくばくする心臓とかくかく震える指先を、何度か深呼吸しながら落ち着かせる。

 少し落ち着いたところで、そっと、小屋の前方を覗き込む。


 パーティーの気配はそのままな、小屋の前。けれどその横には、ガラスの棺に入って眠る少女がひとり。

 その周りをとりかこむ、小人。先生と、ごきげんと、おとぼけ。それから、女王。

 全員が、しくしくと泣いている。

 そこに――


 王子が、やってきた。

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