くちづけ大作戦(2)


 よく晴れた気持ちのいい日だった。

 白雪姫に訊いたところ、今こちらは初夏らしい。なるほど、そう言われてみれば青々とした樹が、瑞々しく空に枝を伸ばしている。

 少し湿気を含んだ風が森を通り抜ける中、わたしは小人たちとともにパーティーの準備をしていた。


 ……。

 うん、そう。パーティーの準備。


 小人たちの小屋の前に、大きめの木のテーブルを置き、レースの可愛いテーブルマットを敷いた。

 小さくて可愛らしいティーセットを出して、木の実やリボンで作った飾りも置いた。簡単なサラダと、ちょこちょこっとした副菜と、手の込んだメインディッシュ。じっくり時間をかけてつくったローストビーフ(ぽいけど実際ビーフかどうかは知らん)だ。

 白雪姫もにこにこと、小人たちと笑いながら歌なんて歌っている。

 その横で、若干名湿っぽい人がいるけれど。


「うう。えうう……ひっく、うぇぇえ」

 泣き方が子供だ。

「お母様? 湿っぽすぎますわ。わたくしのお誕生日ですのよ?」


 そう。向こうでもろもろ調整つけてやってきた今日、こちらでは白雪姫の誕生日その日だったのだ。

 このパーティーは、つまり誕生日パーティーだ。女王はその傍らで、手にしたパイを震わせながらひたすら泣いていた。


「だって、だって」


 ……まぁ、ね。

 彼女が今手にしているのは、白雪姫の好物だという林檎のパイ。もちろん、毒林檎で作ったやつ――だ。


 とっても美味しい林檎なのは、確かなのでしょう? と白雪姫が問い、そこは保証します、と鏡とわたしが答えたら、こうなった。

 美味しい林檎は、いちばん美味しい形で食べたいのだ、と。


 たとえそれが毒林檎であったとしても、きっと女王は愛をこめて作っただろう。涙を流しながら、だろうけれど。

 この後彼女はこれを口にする。

 そして、死ぬ。未来を変えるために。

 今日はそのための、パーティーだ。

 だから。


「女王?」

「うぐ、はぃい」

「せめて、嘘でいいので。笑って、祝いませんか? 笑って、歌って、食べてはしゃいで、盛大に祝って。落ち込むのは、あとでいいと思います」


 わたしの言葉に、女王はスンと鼻をすすってから、子供みたいにこくりとちいさく頷いた。



 白雪姫の真っ赤な真っ赤な唇が、パイに寄せられる。

 サクリ。

 軽やかで優しい音をたて、パイがかじられる。

 彼女はふわっと笑って、おいしい、と呟き。

 そして。


 幸せそうに微笑んだまま、その場に倒れた。



 手にした小さな手鏡が、チカチカッと反射した。


『つなぎますか?』

「あ……うん、おねがい」


 魔法の鏡だ。

 ――このパーティーが始まる前、みんなでいろいろ打ち合わせをしたのだけれど、その時マキちゃんがぼやいた。無線使えないの、不便ねぇ、と。

 今回諸事情でわたしとマキちゃんは別行動中。仕事では距離があるときは基本無線を使用しているのだけれど、まぁ当然こっちでは使えない。スマホももちろんダメだった。で、なんとか連絡とれないかなぁ、と首をひねっていたところ、魔法の鏡が手伝いましょう、と言い出したのだ。


 曰く、鏡という性質のものであれば自分と本質が同じものなので、ばいかい? になるとか、なんとか。

 正直なに言ってるのかさっぱり分からなかったのだけれど、ようはわたしとマキちゃんがそれぞれなんでもいいので『鏡』を持てば、それを繋げることが出来るとのこと。で、お願いしたわけだけれど。

 手鏡は、まるでお風呂の時みたいにぶわっと白く曇り、それからそこに、マキちゃんが映った。


『こちら牧野です。平澤、見えてる?』


 無線時と同じように律儀に名乗ってから、マキちゃんが首を傾げている。


「はい、平澤です。見えてます。えっと……こっち、準備出来ました。ガラスの棺に、今、寝かせたところです。どうぞ」


 顔が見えてるんだから無線というよりはビデオ通話なわけで、だとしたら必要ないんだけど、なんとなくいつもの癖で『どうぞ』をつけてしまう。

 笑われるかな、と少し思ったけれど、マキちゃんは笑わなかった。それどころか、少し表情を硬くしたほどだ。


『平澤?』

「はい」

『大丈夫? 顔、真っ青よ』

「あ……」


 言われて、反射的に笑顔を作ろうとしたけれど無理だった。分かっている。自分が今とても情けない顔をしているのは。


 ――隠しても仕方ない。

 ふ、と短く息を吐いて、いまだ小刻みに震える指を胸元で握りこんだ。


「なんか……ちょっと、正直怖くなっちゃって」

『――白雪姫?』

「……はい」


 頷く。

 さっき彼女に触れた手が、まだ感触を覚えている。


「なんか、あの」


 ちらり、と視線を棺に向ける。棺の中で眠る少女。その隣で、ただ泣いている女王と、小人たち。


「分かってたつもり、だったんですけど。眠っているんじゃなくて、本当に、その……死んでるんだな、って」


 倒れた直後に駆け寄ったが、すでに呼吸は止まっていた。手を口元へと持っていっても、ひとひらの風も感じなかった。恐る恐る手首をとって、脈があるはずのところに親指を押し付けた。もちろんそこには、何も――ぴくりとも、動くものはなかった。そして徐々に、白雪姫の顔からは血の気が引いていった。


 ――馬鹿だなぁ、とは思う。死ぬ、とはそういうことだ。分かっていたはずなのに、分かっていなかった。どこかで、ただ眠るだけ、だと思っていたから。


 手鏡の中のマキちゃんが、微かに笑んで目を伏せた。

『あたたかかった?』

「え?」

『白雪姫。まだ、あたたかかった?』

「あ……はい。倒れてすぐ、だったので」


 棺に寝かせてからは触れていない。

 マキちゃんは、目を伏せたまま静かに続けた。


『――アタシがアナタを見つけたとき、アナタはすでに冷たかったわ』

「あ……」


 今更ながらに、ぞっとする。そうか。わたし、あの白雪姫と同じ状態になったのだ。

 顔を上げて、困ったような、どこか泣いているような笑顔で、マキちゃんが言った。


『どれだけアタシが怖かったか、少しは分かってもらえた?』

「……すみません」

『――いえ、ごめんなさいね。意地悪言っちゃった』


 マキちゃんは小さく首を振って、それから、無理やり――だと、分かった――明るい声を出す。


『大丈夫よ、平澤。ちゃんと白雪姫と王子を逢わせましょう。そうすれば物語は、ハッピーエンドを迎えられる』

「はい」


 頷いて。すうっと大きく一つ深呼吸する。


「――もう、大丈夫です。マキちゃん、そちらの状況は?」

『ん。こっちも順調。さっき王子が城を出たわ。お付きは二人。服も質素だったからお忍びね』

「じゃあ、女王が調査したとおり、ってことですね」

『ええ、そうね。馬に乗っていたから、女王の話通りだとするとあと二時間もしないでそちらにつくわ』


 そう。マキちゃんは王子の監視をしているのだ。


 事前のブリーフィングによると、この森は、隣国との国境付近にあるらしい。その為、女王側の国の監視もいまいち届きにくいとかで、なるほど『家出』には持って来いだったわけだけれど。

 女王の城も、そして隣国の城も、森からはさほど離れていないという。地形の関係だ、と女王は言っていた。この辺りは険しい山が多く、城下町を築くにはどうしても森の近くになるのだとか。そんなわけで、隣国の城から小人の家までまっすぐ向かえば馬で二時間強、といったところだとのこと。


 その上で、女王は魔法の鏡を使って情報を探っていた。何がすごいって、魔法の鏡だ。今、わたしたちが使わせてもらっているように『鏡』さえあればあちこち繋げられるわ、鏡がない場所でも『見る』ことは出来るとかで。


 あれです。盗み聞き盗み見し放題です。


 女王はどこか憤然とした様子で、普段は絶対使わないのよ、と言っていた。まぁ、そうだね。いくらなんでもこんなのを外交とかに使ったら卑怯にもほどがあるだろうし。


 まぁそんな手を使って得たのが、王子がお忍びで外に出る日、だった。そしてそれが、何の因果か今日――白雪姫の誕生日であり、かつ、わたしたちが戻ってきた日だった。


 戻ってきてすぐ打ち合わせをし、そして打ち合わせが終わると同時に、マキちゃんは女王の手配した兵士とともにそちらへ向かった。さすがにマキちゃん、馬は乗れないので。


 王子は知らない。白雪姫が家出をしたことも、小人の小屋にいることも。


 つまり今回の使命ミッションは、上手く王子を誘導して白雪姫に逢わせること。そして、キスをさせること、だ。


 まずは、森の脇を通りまっすぐ女王の城へと向かっている街道から、王子に道を外して貰わないといけない。


「じゃあ、こっちも準備します。マキちゃん、近づいたら連絡ください」

『オーケイ。頑張りましょうね』


 確認し合い、鏡を使った通話を切った。

 マキちゃんは兵士とともに王子を尾行している。王子の休憩のタイミングで、いったん接触してみるとのことだ。

 マキちゃんはその時に、口づけで生き返る少女の伝説、というのを王子に吹き込む。


 ……まぁな。普通な、棺の遺体に口づけなんてしないからな。王子がまともな神経の持ち主なら。


 そしてわたしは。

 手鏡をポケットにつっこんで、棺の横で泣きじゃくる女王に近づく。


「女王」


 真っ赤な目で、女王が振り返った。

 わたしでさえ、動揺したのだ。愛する娘の今の姿を見て泣くな、というのは無理があるだろう。とはいえ、泣いてばかりいられても仕方がない。

 物語をハッピーエンドに導くために。


「打ち合わせ通り、王子が向こうを出発しました。お願いします」


 その言葉に、女王はきゅっと唇を引き結んだ。涙のあとを乱暴に手の甲で拭い、頷く。


「小人さんたちも」


 白雪姫の棺に群がっていた小人たちも、口々に「任せろ」と腕を上げる。

 彼らにも、小さく頷き返す。

 それから、ぱんっ、と頬を両手でたたいた。

 よっし、気合いれていくぞ、平澤ありす!


 ――さあ、来なさい王子!

 がっつしばっちし、白雪姫にキス、してもらいますからね!

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