くちづけ大作戦(4)


 軽く息を弾ませた王子は、突然開けた森の景色に驚きを隠せないようだった。


「……ここ、は」


 あ。すごいイケボだった。それなりに整った顔立ちではあるけれど、それより声がものすごくいい。落ち着いていて、深みのある声だ。でも、さわやかさもある。軽く汗をぬぐい、独り言だろう――白雪姫は、と呟いた。

 その声に反応して、女王が振り返った。


「貴方が……白雪の……むし?」

 マテ。芝居してください女王。


「え? ……むし?」

 わたしからは見える位置――王子からは見えないだろう位置――で、先生が軽く女王を叩いた。ナイス。ナイスアシスト。


「あ、いえ……むし……娘の、知り合い?」

 ものすごく無理やり言い換えて。

 女王が涙をぬぐう仕草をする。

「娘? ……私は、白雪姫を見かけたので……追ってきた、のですが。貴女は」

「私は白雪姫の母親よ」

「それは――大変、失礼しました。女王」


 王子がすっと胸に手を当ててお辞儀した。あ、すごい。めっちゃスマート。そして常識人ぽい。


「気になさらないで。それより、白雪を見かけた、って? いつ?」

「え? いや、つい今しがたですが」

「それは――ふふ、幻覚をご覧になられたのかしら」


 悲しげに微笑む女王に、小人たちがそっと背中に手を添える。お、おお。なんだすごいな皆。めっちゃ芝居出来るな?


「ありえない、からね」

「そう、そう」

 ごきげんと先生の言葉に、おとぼけも静かにかくかくと頷く。

「ありえない、とは……?」

 不審げな王子に、先生は少し目を伏せる。

「だって……白雪姫は、今朝……」


 そこまで言うと、そっと身をずらした。先生に続いて、ごきげんとおとぼけも動き、最後に女王も。

 そうするとそこに現れたのは、ガラスの棺に横たわる白雪姫(ホンモノ)の姿だ。


「……な……」


 王子が絶句した。目をいっぱいに見開いて、その場に立ち尽くす。


「ああ……もしかしたら」

 女王が、泣き笑いの顔のまま呟いた。

「この娘の心が、貴方に幻覚を見せたのかもしれないわね。どうしても、貴方に逢いたくて」


「そん……な」

 王子が呆然と呟き、ふらりと棺に近づいた。恐る恐る、といった様子で棺のふたを開ける。

 そこに横たわる、血の気の引いた白雪姫の頬に手を添えた。ぴくり、と手が跳ねる。


「……つめた……い」


 感情が途切れたような、かすれた声。そうか。もう白雪姫、冷たくなってしまっているんだ。落ち着いていたはずの心臓が、またどくどくと跳ねだしてしまう。

 はやく。王子、はやく。

 彼女を眠りから、覚まさせてあげて。


「どうして、こんな」

「……悪い魔女の作った林檎を食べてしまったんだ」


 先生が言う。あー、うん。あってる、な? わたしたちが知ってるお話的にも、こっちの世界の事実的にも。


「林檎?」

「毒林檎だったんだ。それで……」


 ごきげんの言葉は、そこで途切れる。分かってる。みんな、言いたくない。「死」という言葉を、口に出したくないんだ。そこに横たわるその現象が本当でも、口に出したら最後、もう戻ってきてくれない気がしてしまうから。


 その時、ぽん、と肩を叩かれた。


「あ……マキちゃん」


 振り返ると、追いついてきたらしいマキちゃんがそこにいた。兵士はいない。馬と一緒に街道にいるのかもしれない。


「お疲れ様。順調みたいね?」


 小声でささやくマキちゃんに頷く。それから二人でもう一度、覗き込んだ。

 王子は愛しそうに、白雪姫を撫でていた。


「娘と、お知り合いでしたのね?」


 女王が問う。王子は少し迷ったように口を開いてから、小さく首を振った。


「知り合い、と言っていいのか。一度、お見かけしただけなのです。とても美しい歌声を聞かせていただいて……こちらは、お噂でお名前も存じておりましたが、彼女は私のことを知らないでしょうから」

「貴方のこと?」

「……ええ。今と同じで、お忍びでしたので。失礼。隣国の王子なんです」

「まあ」

 女王が、驚いたふりをする。

「……本当は今日、お逢いできたなら、その時にお話ししようかと思っていたのです。それが、こんな姿だなんて」

 王子の言葉尻が震える。居たたまれない。


 ――はやく。

 わたしの肩を、マキちゃんがそっと叩いた。分かってる。焦っても仕方ない。


「――ねぇ」

 不意に女王が明るい声を出した。

「奇跡を……願ってみない?」

「奇跡……ですか?」

「我が国には、こんな伝説があるのよ。永遠の眠りについた少女は、異性の口づけで目覚める、という伝説」


 口づけ、のところで妙に声が低くなった気がしたけれど、女王はきっちり言い切った。

 彼女も、今の白雪姫の姿を見ていられないのだろう。悔しくても、虫であろうとも、それが彼女の笑顔を見るためなら――生き返った彼女を見るためなら、とその条件を呑んだのだ。

 王子は驚いた顔をして、それからフ、と微笑んだ。


「――出来かねます」


 え。

 ええええええっ!?


 うっかり声が出そうになった。マキちゃんに口をふさがれながら、もごもごしてしまう。

 なんでだ!


「一度しかお逢いしていない女性に、いくらこのような状況とはいえ、口づけなど出来ません」


 ま。

 真面目かーっ!


「こちらのことが分からない状況とはいえ、いいえ、そのような状況だからこそ、なおさら不誠実でしょう」


 真面目かーっ!


「それにそのようなおとぎ話。奇跡など、現実にはなりえない……」


 真面目かーっ!


 いや、おとぎ話だから! そういう世界だから、ここ! そんなところで真面目にならないで!? この世界の人基本おかしいんだから、あんたもおかしくていいんだよ!?


「……まともねぇ……」


 マキちゃんが感心したような呆れたような声を出す。そんな場合じゃない。これじゃ話が進まない!


「マキちゃん、どうしたら」

「んー。そうねぇ。アタシは王子に顔バレしちゃってるし……」


 マキちゃんは指を立てて首を傾げ、それからにこっと、笑った。


「平澤。がんばって♡」


 ――え。

 どういうこと、と問いかける間もなく。


 マキちゃんに背中を押され、トトトッ……と、わたしは小屋の陰から飛び出していた。



 マキちゃん、あとで帰るとき全力で殴らせてもらいますからね!?

 胸中で誓いを入れてしまう。だって。だって!

 王子も女王も小人たちも。みんな驚いたようにこちらを見ていた。いや、そりゃそうだよね? 突然、白雪姫と同じ格好をしたわたしなんかが飛び出したら、驚くよね? 当然だよね!?

 マキちゃん何考えてるんだ!


「貴女は……?」

「え、と」


 王子の不審げな声に、なんとか言い繕う言葉を探す。


「白雪姫の……その、友人、で。報せを受けて、来たんです、けど」

「はぁ……その、恰好は……?」


 めっちゃ不審がってるー!


「こっ、これはその」


 何とか。何とか言わないと!

 ――そうだ!


「白雪姫が繕ってくれたんです! あのっ、わたしたち親友で……、お揃いで!」

「お揃い……ですか」

「お揃いです! し、知りません!? 最近流行ってるんですよ、双子コーデっていって!」


 無理やりすぎたかもしれない。でもそれしか思いつかなかった! っていうか、もう下火な気もしますが。こっちの世界でも。でもいるし! パークに来ているゲストなら、そういうのいっぱいいるし!


 わたしの剣幕に、王子は目をぱちくりとさせて、それからフフッと短く笑った。


「それは……とても、仲がよろしかったのですね」


 ――信じた!

 よし、と心の中でガッツポーズをする。このまま、畳みかけてやる!


「あの……顔を見ても、いいですか?」


 言って、白雪姫に近づく。そっと頬へ手を伸ばすと、指先にひんやりと冷たさが伝わった。ああ……本当に、冷たく、そしてかたいんだ。


「……しらゆき、ひめ」

「お辛い、でしょうね」


 王子が静かに声をかけてくれる。こく、と短く頷いてから、わたしはふと気づいた、というように振り返って見せた。


「あ。あの」

「はい?」

「もし、違っていたらすみません。貴方、城の井戸のところで、白雪姫に逢った方、ですか?」

「え? ああ、はい」

「――やっぱり!」


 ぱちん、と両手を顔の前で合わせて、嬉しそうに笑ってみた。王子は、驚いた顔だ。


「あの。わたし、白雪姫から何度も何度も聞いてたんです! 井戸のところで歌を歌っていたら、素敵な殿方と出逢った、って」


 王子が驚いた顔から、少しだけ寂しそうな顔になった。


「そうでしたか」

「ええ。とても、楽しそうに話してくれたんです。お名前も聞けなかった、また、お逢いしたいって何度も」

「それは、私も残念です」


 王子の顔を覗き込んでみる。


「あの……不躾なお願いだとは、思うんですけど。この国のおとぎ話で……」

「ああ……」


 王子が、わたしの言葉を遮った。


「そのお話は先程、伺いました。ですが、出来かねます」


 くぬやろう。


「……どう、して? 奇跡にすがるのは、お嫌ですか?」

「そういうことではなく。彼女に対して不誠実でありたくないのです。彼女が私のことをそのように思ってくださっていたのなら、なおさら。それは彼女に失礼でしょう」


 真面目か。

 突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、わたしは微笑んで見せる。


「――本当に、白雪姫の言ってた通り、素敵な殿方ですね」


 だがしかし。それでは話が進まないのです。

 ふ、と息を吐いて。

 わたしは小さく、鼻をすすった。泣き真似だ。


「彼女は――きっと、貴方に恋をしていました。きっと、初めての恋でした」


 王子がきゅ、と唇を結んだ。


「貴方のことを話すとき、とても幸せそうでしたから。だから。……これは、わたしの我儘です。恋を叶えられずに眠った彼女に、選別としてで、かまわないのです」


 じっと、王子を見つめる。


「――口づけを、くださいませんか」

「……」

「それとも……このような状態の彼女には、お嫌ですか? ――怖い?」


 王子が顔を強張らせた。


「そんなことは、ありません!」


 ――よし。

 ただの理論のすり替え、屁理屈でしかないのだけれど、乗ってきた!

 はやる気持ちを抑え、わたしはとどめの一言を、王子に告げる。


「でしたら。愛のキスを――教えてあげて、くれませんか?」



 王子は少しの間、悩むそぶりを見せて。

 それから、柔らかく微笑んだ。とても悲しげに。

 そしてゆっくりと白雪姫の頬に手を添えて――


 口づけを、した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る