くちづけ大作戦(4)
◆
軽く息を弾ませた王子は、突然開けた森の景色に驚きを隠せないようだった。
「……ここ、は」
あ。すごいイケボだった。それなりに整った顔立ちではあるけれど、それより声がものすごくいい。落ち着いていて、深みのある声だ。でも、さわやかさもある。軽く汗をぬぐい、独り言だろう――白雪姫は、と呟いた。
その声に反応して、女王が振り返った。
「貴方が……白雪の……むし?」
マテ。芝居してください女王。
「え? ……むし?」
わたしからは見える位置――王子からは見えないだろう位置――で、先生が軽く女王を叩いた。ナイス。ナイスアシスト。
「あ、いえ……むし……娘の、知り合い?」
ものすごく無理やり言い換えて。
女王が涙をぬぐう仕草をする。
「娘? ……私は、白雪姫を見かけたので……追ってきた、のですが。貴女は」
「私は白雪姫の母親よ」
「それは――大変、失礼しました。女王」
王子がすっと胸に手を当ててお辞儀した。あ、すごい。めっちゃスマート。そして常識人ぽい。
「気になさらないで。それより、白雪を見かけた、って? いつ?」
「え? いや、つい今しがたですが」
「それは――ふふ、幻覚をご覧になられたのかしら」
悲しげに微笑む女王に、小人たちがそっと背中に手を添える。お、おお。なんだすごいな皆。めっちゃ芝居出来るな?
「ありえない、からね」
「そう、そう」
ごきげんと先生の言葉に、おとぼけも静かにかくかくと頷く。
「ありえない、とは……?」
不審げな王子に、先生は少し目を伏せる。
「だって……白雪姫は、今朝……」
そこまで言うと、そっと身をずらした。先生に続いて、ごきげんとおとぼけも動き、最後に女王も。
そうするとそこに現れたのは、ガラスの棺に横たわる白雪姫(ホンモノ)の姿だ。
「……な……」
王子が絶句した。目をいっぱいに見開いて、その場に立ち尽くす。
「ああ……もしかしたら」
女王が、泣き笑いの顔のまま呟いた。
「この娘の心が、貴方に幻覚を見せたのかもしれないわね。どうしても、貴方に逢いたくて」
「そん……な」
王子が呆然と呟き、ふらりと棺に近づいた。恐る恐る、といった様子で棺のふたを開ける。
そこに横たわる、血の気の引いた白雪姫の頬に手を添えた。ぴくり、と手が跳ねる。
「……つめた……い」
感情が途切れたような、かすれた声。そうか。もう白雪姫、冷たくなってしまっているんだ。落ち着いていたはずの心臓が、またどくどくと跳ねだしてしまう。
はやく。王子、はやく。
彼女を眠りから、覚まさせてあげて。
「どうして、こんな」
「……悪い魔女の作った林檎を食べてしまったんだ」
先生が言う。あー、うん。あってる、な? わたしたちが知ってるお話的にも、こっちの世界の事実的にも。
「林檎?」
「毒林檎だったんだ。それで……」
ごきげんの言葉は、そこで途切れる。分かってる。みんな、言いたくない。「死」という言葉を、口に出したくないんだ。そこに横たわるその現象が本当でも、口に出したら最後、もう戻ってきてくれない気がしてしまうから。
その時、ぽん、と肩を叩かれた。
「あ……マキちゃん」
振り返ると、追いついてきたらしいマキちゃんがそこにいた。兵士はいない。馬と一緒に街道にいるのかもしれない。
「お疲れ様。順調みたいね?」
小声でささやくマキちゃんに頷く。それから二人でもう一度、覗き込んだ。
王子は愛しそうに、白雪姫を撫でていた。
「娘と、お知り合いでしたのね?」
女王が問う。王子は少し迷ったように口を開いてから、小さく首を振った。
「知り合い、と言っていいのか。一度、お見かけしただけなのです。とても美しい歌声を聞かせていただいて……こちらは、お噂でお名前も存じておりましたが、彼女は私のことを知らないでしょうから」
「貴方のこと?」
「……ええ。今と同じで、お忍びでしたので。失礼。隣国の王子なんです」
「まあ」
女王が、驚いたふりをする。
「……本当は今日、お逢いできたなら、その時にお話ししようかと思っていたのです。それが、こんな姿だなんて」
王子の言葉尻が震える。居たたまれない。
――はやく。
わたしの肩を、マキちゃんがそっと叩いた。分かってる。焦っても仕方ない。
「――ねぇ」
不意に女王が明るい声を出した。
「奇跡を……願ってみない?」
「奇跡……ですか?」
「我が国には、こんな伝説があるのよ。永遠の眠りについた少女は、異性の口づけで目覚める、という伝説」
口づけ、のところで妙に声が低くなった気がしたけれど、女王はきっちり言い切った。
彼女も、今の白雪姫の姿を見ていられないのだろう。悔しくても、虫であろうとも、それが彼女の笑顔を見るためなら――生き返った彼女を見るためなら、とその条件を呑んだのだ。
王子は驚いた顔をして、それからフ、と微笑んだ。
「――出来かねます」
え。
ええええええっ!?
うっかり声が出そうになった。マキちゃんに口をふさがれながら、もごもごしてしまう。
なんでだ!
「一度しかお逢いしていない女性に、いくらこのような状況とはいえ、口づけなど出来ません」
ま。
真面目かーっ!
「こちらのことが分からない状況とはいえ、いいえ、そのような状況だからこそ、なおさら不誠実でしょう」
真面目かーっ!
「それにそのようなおとぎ話。奇跡など、現実にはなりえない……」
真面目かーっ!
いや、おとぎ話だから! そういう世界だから、ここ! そんなところで真面目にならないで!? この世界の人基本おかしいんだから、あんたもおかしくていいんだよ!?
「……まともねぇ……」
マキちゃんが感心したような呆れたような声を出す。そんな場合じゃない。これじゃ話が進まない!
「マキちゃん、どうしたら」
「んー。そうねぇ。アタシは王子に顔バレしちゃってるし……」
マキちゃんは指を立てて首を傾げ、それからにこっと、笑った。
「平澤。がんばって♡」
――え。
どういうこと、と問いかける間もなく。
マキちゃんに背中を押され、トトトッ……と、わたしは小屋の陰から飛び出していた。
◆
マキちゃん、あとで帰るとき全力で殴らせてもらいますからね!?
胸中で誓いを入れてしまう。だって。だって!
王子も女王も小人たちも。みんな驚いたようにこちらを見ていた。いや、そりゃそうだよね? 突然、白雪姫と同じ格好をしたわたしなんかが飛び出したら、驚くよね? 当然だよね!?
マキちゃん何考えてるんだ!
「貴女は……?」
「え、と」
王子の不審げな声に、なんとか言い繕う言葉を探す。
「白雪姫の……その、友人、で。報せを受けて、来たんです、けど」
「はぁ……その、恰好は……?」
めっちゃ不審がってるー!
「こっ、これはその」
何とか。何とか言わないと!
――そうだ!
「白雪姫が繕ってくれたんです! あのっ、わたしたち親友で……、お揃いで!」
「お揃い……ですか」
「お揃いです! し、知りません!? 最近流行ってるんですよ、双子コーデっていって!」
無理やりすぎたかもしれない。でもそれしか思いつかなかった! っていうか、もう下火な気もしますが。こっちの世界でも。でもいるし! パークに来ているゲストなら、そういうのいっぱいいるし!
わたしの剣幕に、王子は目をぱちくりとさせて、それからフフッと短く笑った。
「それは……とても、仲がよろしかったのですね」
――信じた!
よし、と心の中でガッツポーズをする。このまま、畳みかけてやる!
「あの……顔を見ても、いいですか?」
言って、白雪姫に近づく。そっと頬へ手を伸ばすと、指先にひんやりと冷たさが伝わった。ああ……本当に、冷たく、そしてかたいんだ。
「……しらゆき、ひめ」
「お辛い、でしょうね」
王子が静かに声をかけてくれる。こく、と短く頷いてから、わたしはふと気づいた、というように振り返って見せた。
「あ。あの」
「はい?」
「もし、違っていたらすみません。貴方、城の井戸のところで、白雪姫に逢った方、ですか?」
「え? ああ、はい」
「――やっぱり!」
ぱちん、と両手を顔の前で合わせて、嬉しそうに笑ってみた。王子は、驚いた顔だ。
「あの。わたし、白雪姫から何度も何度も聞いてたんです! 井戸のところで歌を歌っていたら、素敵な殿方と出逢った、って」
王子が驚いた顔から、少しだけ寂しそうな顔になった。
「そうでしたか」
「ええ。とても、楽しそうに話してくれたんです。お名前も聞けなかった、また、お逢いしたいって何度も」
「それは、私も残念です」
王子の顔を覗き込んでみる。
「あの……不躾なお願いだとは、思うんですけど。この国のおとぎ話で……」
「ああ……」
王子が、わたしの言葉を遮った。
「そのお話は先程、伺いました。ですが、出来かねます」
くぬやろう。
「……どう、して? 奇跡にすがるのは、お嫌ですか?」
「そういうことではなく。彼女に対して不誠実でありたくないのです。彼女が私のことをそのように思ってくださっていたのなら、なおさら。それは彼女に失礼でしょう」
真面目か。
突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、わたしは微笑んで見せる。
「――本当に、白雪姫の言ってた通り、素敵な殿方ですね」
だがしかし。それでは話が進まないのです。
ふ、と息を吐いて。
わたしは小さく、鼻をすすった。泣き真似だ。
「彼女は――きっと、貴方に恋をしていました。きっと、初めての恋でした」
王子がきゅ、と唇を結んだ。
「貴方のことを話すとき、とても幸せそうでしたから。だから。……これは、わたしの我儘です。恋を叶えられずに眠った彼女に、選別としてで、かまわないのです」
じっと、王子を見つめる。
「――口づけを、くださいませんか」
「……」
「それとも……このような状態の彼女には、お嫌ですか? ――怖い?」
王子が顔を強張らせた。
「そんなことは、ありません!」
――よし。
ただの理論のすり替え、屁理屈でしかないのだけれど、乗ってきた!
はやる気持ちを抑え、わたしはとどめの一言を、王子に告げる。
「でしたら。愛のキスを――教えてあげて、くれませんか?」
◆
王子は少しの間、悩むそぶりを見せて。
それから、柔らかく微笑んだ。とても悲しげに。
そしてゆっくりと白雪姫の頬に手を添えて――
口づけを、した。
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