魔女の林檎とキャストの鍵(1)

 やらかした、とは思った。

 だって何をどう控えめに言ったところで、先輩を問答無用でぶん殴っちゃいけない。いや、先輩じゃなくても。人として。

 でも、そうするしかわたしには思いつかなかった。それはわたしの力不足だ。マキちゃんを納得させる言葉を、術を持たなかった自分の力量不足だ。だからこれはただの逃げだ。分かっている。

 けれど。

 ――キャストはMAGICの頭文字をとって、五段階に分けられる。Mが一番下、メイクアップ。Mキャストは入社したての準備期間だ。そしてわたしは一番上、Cキャスト。キャプテン。マキちゃんと、今は立場は同じだ。だから。

 先輩の言葉を否定した挙句、何も出来ませんでした、なんて言える立場じゃない。結果を、示すしかない。


 ふー、と大きく息を吐く。


 マキちゃんは、魔法みたいに――いや、魔法なんだけれど――消えてしまった。

 体もそこにない。

 あちらの世界では横たわった自分たちの体があったはずだけれど、こちらではそうならないようだ。それはたぶん、本来どこにいるべき存在なのか、ということに関係しているのだろうけれど。

 そして、マキちゃんが消えた、ということは。


「鍵も……消えちゃったかぁ」


 ぽそり、と思わず呟きが漏れた。

 鍵だけが落ちる、ということはなかったようだ。まぁ、仕方ないけれど。

 パチン、と自分の頬を叩く。

 さて、なら、やるしかないってだけだ。

 マキちゃんは、こんなのはゲスコンの仕事じゃないっていう。

 それはそうだろう。当然だ。

 ゲスコンの仕事では、ない。

 でも。

 キャストは、ひとと正面から向かい合ってする仕事だ。

 だからこれは。


 ――キャストとしての、仕事ではあるんだ。


「気合、いれるわよ。平澤」



 まずはいったん退くことを選択した。もうすぐ小人が帰ってくる。そして白雪姫はマキちゃんとの話で少なからず動揺していた。その状態では、ちゃんと話も出来るとは思えない。

 それに、こんな格好だし。

 気が乗らないとはいえ、マキちゃんを帰しちゃった以上仕方がない。

 わたしはいったん城へと戻って、女王に衣装を要求した。案の定やたらフリフリした謎の衣装を与えられた。どうやって着るのかは、ちょっと明日の朝になってから考えることにする。


 マキちゃんと白雪姫の話はしなかった。女王はすこし戸惑い顔ではあったけれど、わたしを信じる、と言ってくれた。結局やっぱり、いい人なんだと思う。こうして話をしていても、嘘を吐いている様子はなかった。

 今夜は泊まりたい、と言ったら、美味しいごはんと部屋も与えてくれた。

 日が落ちてもマキちゃんが帰ってこないことを、女王も鏡もどうして、とは聞いてこなかった。何かを察してくれたのかもしれない。

 誰かの善意と気遣いで、結局やっていってるだけ、なのかもしれない。そんなことを思い知らされる。


 与えられた部屋には小さな窓があった。木の窓枠を押し上げると、小さな赤い屋根が続く、おとぎ話のような街並みが広がっていた。――まぁ、おとぎ話の世界、なんだけれども。

 でもきっと、あのひとつひとつに『誰か』は生きていて、物語に描かれない物語が紡がれている。

 わたしたちが仕事で接するゲストひとりひとりに、物語があるように。

 そしてそれを本当は、忘れちゃいけないんだということを改めて気づかされて。


 ぽて、と木枠に頬を乗せる。

 あっちの世界、大丈夫かなぁ。

 マキちゃん、怒ってるんだろうなぁ。

 戻ってきてくれないと帰れないけど、戻ってきてほしいなんてわがままにもほどがあるよなぁ。

 明日オフじゃないんだけど、どうしよう。時間はどうながれてるのかな。


 ――そんなとりとめのない思考が、夜風にさらわれていった。



 翌朝、こちらの世界には細い雨が降っていた。


「あら、よく似合うじゃなーい! 白雪にはかなわないけれどっ」

 四苦八苦して衣装を身に着けた私を見て、女王がキャピッと笑って迎えてくれた。

「はは、どーも」


 傘、とかはなさそうだなぁと思う。季節はこちらとあちらはだいぶ違うようでずいぶんあたたかい。雨もすごく降っているというわけでもなさそうだし、多少濡れるくらいなら仕事で慣れている。まぁ、今日は軽く濡れることを覚悟で動くしかなさそうだ。


「あれ? それ、どうしたんですか?」

 ふと、女王が手にしていたものを見つけて、わたしは声を上げる。

「ああ、これ?」


 ――林檎だ。赤くみずみずしい、美味しそうな林檎。


「朝一で採ってきたのよ。そろそろ試しに作ってみなくちゃ。美味しそうでしょ?」

「そう……ですね」

「ねぇ、お願いね。早くあの子に会いたいわ」


 愛しそうに林檎に頬を寄せて。

 柔らかく微笑む女王は、わたしの知っている――あちらの世界で知られている――『悪役ヴィランズ』の女王ではない。


「あの、女王様」

「なぁに?」


 ぐっと、スカートのすそを握りしめて。わたしは、ゆっくりと訊ねる。


「本当に……白雪姫のこと、好き、なんですよね」


 女王は目を見開いた。


「何をいまさら世界の真理を疑いにかかってるの」

 世界の真理。

「好きとかそんなんじゃないかもしれないわ。愛……命……存在そのものが尊くて……ああ、ラブ。無理。しんどいくらい」


 くねくねと身をくねりだした女王に、くすっと笑いが漏れてしまった。


「分かりました。それなら、いいんです」

 ――大丈夫。信じよう。

「じゃ、ちょっと出掛けてきます」



 森の中といえど、細い道はある。そのおかげで迷わずに進めるのは嬉しいのだけれど、それよりなにより雨脚がどんどん強くなってきてしまった。結局小走りは本格的な駆け足になって、小人たちの家が見えてくるころには全身ずぶ濡れになってしまった。

 いくらあたたかいとはいえ、さすがにこれは風邪ひきそうだ。

 さて。

 ぱしゃり、と足元で音がする。水たまりを踏んだ。まぁ仕方ない。それより、どうしようか。

 昨日のマキちゃんみたいな小芝居を打とうか、とも思ったけれどいまいちネタも思いつかない。――ええい。ままよ。

 諦めて、なのか腹をくくって、なのか。自分でもいまいち判断出来ない心境で、わたしは小屋へと足を進めた。

 コンコン、と軽くノックする。

 ――前はこれだけで拒否されたけども。

 と、考えた時だった。

 ガチャ、と無造作に扉が開いた。

 白雪姫が無表情に扉を開けていた。


「え……と」


 そんなさっくり扉が開くとは思わなかった。言うセリフも考えていなくって、頭が真っ白になる。

 お、落ち着け。落ち着けわたし。えっと、えっと。


「――どうぞ」


 慌てふためくわたしを無視して、白雪姫はすっと身を引いて家の中を示した。


「……え?」

「お入りになって。風邪をひいてしまいますわよ」

「あ……」


 促さられるがまま、呆然と足を小屋の中へと踏み出す。

 ゆっくりと、背後で扉が閉まった。

 むわっと、埃とオイルと……何かいろんなものが混じった匂いがする。


「ずぶ濡れですわね。お洋服はお持ちになって?」

「え。あ、いや……」

「わたくしので構わないかしら。少しお待ちになってね」


 呆然とするわたしを差し置いて、白雪姫はテキパキと動いていた。タオルと、自分の着替えのものを持ってきてくれて、渡してくれる。

 ……う。これ、あれじゃないですか。いわゆる『白雪姫』の格好まんまじゃないですか。


「あら。お気に召さない?」

「い、いえっ、そういうわけではなく!」


 なんでおんなじ格好しているのに、着替えまで同じ格好なのかと。問いたいけど特に意味はなさそうだった。……たぶんただ単に、デザイン好きだとかそういう理由なんだろう。そして、善意を断れるわけがない。何せさすがに寒い。

 タオルで体をふき、新しい服を身に着ける。

 フ、フヒヒヒ。コスプレってやつですやん、これ。どう見ても。

 ちょっと居たたまれない気持ちになってる間に、白雪姫はお茶まで入れてくれたらしい。促されて、小さい椅子に腰を下ろす。

 わー。カップまで小さい。小人サイズか。


「どうぞ。熱いうちに」

「あ。いただき……ます」


 ぺこっと頭を下げて、カップに口をつける。冷えた唇に、あたたかくて甘いお茶がしみてくる。


「……おいしい」

「よかったですわ」


 くすっと、白雪姫が微笑む。


「あの……なんで、入れてくれたんですか? 初対面なのに。それに、ここまでしていただいて」


 あの独り暮らし女子大生みたいな警戒心バリバリだったのは、本当に彼女だったのだろうか。

 さすがにそれは言えなかったけれど。

 白雪姫は、ああ、と軽く頷くと、その赤い唇に指を添えて首を傾げた。


「あやしいとは思いますけれど」

 思うんかい。

「昨日、いらっしゃったでしょう? あの狩人さんとご一緒に」

 ぐっっ?


 危うくお茶を吹き出しそうになった。無理やり抑えたせいで、鼻がつーんと痛む。


「そっ、え、あの」


 バレてる? 隠れてたこと?

 言葉に詰まるわたしに、しれっとした笑みを向けて、白雪姫は続けた。


「わたくし、お顔の美しい方は全面的に信頼していますの」


 そういう性格かよ。いつか全面的に騙されるぞお前。

 思わずジト目になりかけたわたしに、白雪姫は悪気もなくにっこりと笑みをくれてくれる。まー、あれだ。間違いなくマキちゃんのことだろう。

 つくづく美形チートだな?


「それに」


 まぁいいか。と、ずず、とお茶をすすった時、白雪姫は静かに言った。


「扉を開けた時のあなたのお顔が、真剣でしたから」


 ――それは。

 信じて、くれようとした、ということなんだろうか。真剣だったから、と。


「わたくしに、御用がおありなのでしょう?」


 真っ直ぐ、問われて。

 もう、嘘も狂言も必要がないのだと知った。

 カップを静かに置く。真っ直ぐ、白雪姫を見つめる。

 白く美しい肌。夜色の髪。真っ赤な唇。とても愛らしい少女。


「――はい。真実を、知りたくて。情報が欲しくて、来ました」

「しん……じつ?」


 その時――だった。


 小さな、本当に小さなノックの音が、部屋に響いた。


 本当に小さなノックだったはずなのに、どうしてだろう、ぞっとするほど耳障りで、ざわりと鳥肌がたった。

 白雪姫の顔が強張る。たぶん、わたしも同じような顔をしていたと思う。一瞬、目を合わせ、わたしは白雪姫の背中を扉から離れた場所へと押した。

 戸惑う彼女に耳元でささやき、震える身体を叱咤して、扉へ近づく。

 薄く、扉を、開く。

 わたしはそっと、身体の半分だけを――顔は見えないように、でもスカートや腕はあえて見せて――扉から、覗かせる。


「ど、どなた、ですの」


 わたしに言われた通り、白雪姫は声だけを貸してくれた。


「林檎は、いらんかね」


 ひび割れた老女の声が答えた。

 ぎゅっと、心臓が縮み上がる。

 扉からにゅるっと、枯れ木のような腕が覗く。

 その汚らしい手に握られた、みずみずしく真っ赤な林檎――



 思わずわたしはその腕を引っ掴んでいた。



 同時に、扉を大きく開け放つ。

 森の匂いとともに現れたのは、鼻の曲がった老女の姿だった。


 魔女。

 でも、その正体は、本当は。


「……女王、ですよね?」


 小さく、問いかける。

 魔女は、小さな目をぎょろりと動かした。驚いているのか、それとももっと別の感情が動いたのか、そこまでは分からないけれど。


「わたし、知ってるんです。女王ですよね」

「……」


 魔女は答えない。でも。

 わたしは奪った林檎を見下ろし、それから小さく笑った。


「なんでこんな真似してるのか、あとでちゃんと聞かせてください」


 笑いながら、わたしはそっと、林檎を唇に近づける。

 指が震えている。でも。


「女王。わたし、あなたを信じます。あなたは本当に、嘘なんて吐いていないんですよね」


 ――信じると、決めたのだから。


 わたしはその林檎を、齧った。


 シャク、と心地よい歯触りと音。

 みずみずしい果汁があふれ、程よい酸味と甘みが溶け合って口内を満たしていく。

 そして。


 ――ぐらり、と視界が歪んだ。


 足から力が抜けていく。

 床が近づいてくる。

 ブラックアウトしていく視界の中で見えたのは、驚いたような魔女の顔と、泣きそうな白雪姫の顔だった。

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