真実はどっち?(3)


 マキちゃんがそんなことを言い出すなんて、正直一ミリも考えていなかった。


 ――手を引きましょう、だなんて。


「ど……どういうこと、ですか。そもそもマキちゃんが面白がってここに来たんじゃないですか」

「そうね。謝るわ。ごめんなさい」


 そうじゃない。そんなことを望んでいるんじゃない。


「マキちゃん!」

「平澤は」


 マキちゃんはこちらを見ようともしない。ただ、睨むように空を見つめている。


「白雪姫が嘘を吐いているように見えた?」

「それは……ない、と思いました」

「そうね、同感。じゃあ女王は?」

「それも……ない、と思います」

「アタシもそう思うわ」


 マキちゃんは短く頷き、ばさりとウィッグを外した。中にかぶっていたネットみたいなのも外し、くしゃくしゃと自分の髪をかく。


「じゃあ考えられるのは、白雪姫の言っていた第三者が嘘を吐いている、ってことよね」

「……はい」

「その第三者に対して、白雪姫の評価は『嘘を吐くことなんてないはずの、信頼できる人』よ」


 マキちゃんはまだ、こちらを見ない。そのことがなんだか不安で気持ち悪かった。いつだってマキちゃんは――たとえばわたしが失敗した時だって、マキちゃんに反論した時だって、必ずこちらを見てくれたから。


「考えれば考えるほど、気味が悪い。と、いうよりはぞっとしない話よね。その第三者は、明らかに二人の仲に割って入っている。二人を仲違いさせている。そこに、確実な悪意を感じるわ」

「悪意……ですか」

「ええ。それも、死、という単語を使ってね。実際それを狙っているとしたら、女王にその罪を擦り付ける気満々よね?」

「それは……」


 思わず口ごもる。確かに、悪意は隠せていない。そしてそれはたぶん、ただの嫌がらせとかそういうレベルは超えてしまっている悪意だ。


「平澤。はっきり言うわ。このままアタシたちが関わっていこうとすると、その悪意は必ず、こちらに向けられる時が来る」


 マキちゃんが低い声で言い切ると、こちらを見た。

 真っ直ぐな、怖いくらい真っ直ぐなマキちゃんの目に、思わずこくんと喉が鳴った。


「悪いけれど、ここまで来た物語は、おそらくどういう形であれ、いまアタシたちが知っている通りの道のりを進むと思うわ。林檎、という単語も出ている。アタシたちがわざわざ介入していく必要はない」

「っ、でも! なおさらおかしいじゃないですか! 女王はアホっぽいけど、悪い人じゃなさそうですし!」

「だからこそ、よ。もしよ。もし、万が一だけれど。女王が嘘を吐いている、という可能性も否定は出来ないの。そうした場合、アタシたちはもっともっと、危ない場所にいることになる」


 マキちゃんは困ったような顔で、かすかに――本当にかすかに、微笑んだ。


「大丈夫。物語が成立すれば、アタシたちの世界には影響がないはずよ。下手に、深入りする前に手を引きましょう」


 指先がピリピリした。それから、頭の奥も。ピリピリして、熱くて、でもなんだか冷たくて。

 わたしはマキちゃんを見つめ返して、すっと、大きく一回深呼吸をして。


 ――言った。


「いやです」


「……ありすちゃん」

「わたし、マキちゃんの言うこと、分からないわけじゃないです。だけど、こんなんですけど、その人が嘘を吐いているかどうかってくらい、分かるつもりです」


 毎日毎日、何千何万ものゲストを見ている。いろんな人がいる。絶対、悪人だろうな、ってやつもいる。不器用なだけで子煩悩なお父さんなんだろうな、って人もいる。優しすぎて損しそうな人、なんてのもいる。本当にいろんな人がいる。だから、意外とすぐ分かるんだ。その人が、嘘吐きかどうかなんて、悪いやつかどうかなんて、分かる。


「女王も白雪姫も、嘘を吐いてなんかいない。どこかでなにかが、食い違っている。第三者によって歪められているならなおさら、それは、ここまでかかわった以上、放っておけないです」

「平澤。気持ちはアタシだって同じよ。でもね、それはゲスコンの仕事じゃない。それこそ警察とか、探偵とかがやるべきものよ。プロに任せるべきところは任すことが大事よ」

「でもっ!」


 分かっている。そんなことは。でも。

 泣き出した白雪姫の声も、愛しそうに白雪姫を語る女王の声も、耳にへばりついて離れやしない。


 息を、もう一度整えて。

 ぎゅっと、こぶしを握って。

 わたしはマキちゃんをまっすぐ、見つめる。


「キャストは、出来ません、分かりませんを言っちゃいけないって、教えてくれたのはマキちゃんです」


 入社してすぐ、全体研修がある。入社者全員が受けるものだ。キャストマインドなんかを叩き込まれるところで、その時の研修担当は、毎年キャストの中から選ばれる特に優秀なキャスト――ユニバーシティ・リーダーと呼ばれる人たち。

 わたしが入社した時、ちょうどそのユニバーシティ・リーダーだったのがマキちゃんだ。

 入社した時はいろいろ不安だった。楽しみだったけれど、なにが分からないかすら分からなくて。でも、その研修の時に、マキちゃんは言ったのだ。



 オン・ステージに出れば、あなたたちはもう、キャストなの。

 ここでは新人ですとか研修中なんてバッヂをつけたりはしない。

 だから、初日からいろいろなことを聞かれると思うわ。ショーの時間、トイレの場所、喫煙所、アトラクションが空いている時間……たぶんね、分らないことだらけ。それは、慣れていっても同じよ。分からないことはたくさん出てくるし、時々びっくりすることも聞かれる。アタシ、スカイツリーへの行き方とか聞かれたこともあるし、新幹線で名古屋へ行きたい、なんてお客様もいらっしゃった。そんなの、とっさに答えられないでしょう?

 でもね、それでいいの。分からないこと、答えられないことが悪いんじゃない。

 そんな時に、分かりません、出来ません、って言わないことが大事なのよ。

 魔法の言葉を教えてあげる。

 確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?

 これだけよ。これだけでいいの。

 あとは周りのひとに訊きなさい。みんなで知恵を出し合って答えましょう。キャストは、ひとりでオンステに立つけれど、ひとりで演じるわけじゃない。

 それさえ知ってれば、もう、あなたたちは立派なキャストよ。



 たぶん、わたしが言っていることが分かったのだろう。マキちゃんは困った顔のまま、小さく首を振った。


「仕事はね。今は違うわ」

「……」

「平澤」

「でも」


 マキちゃんを遮って、わたしは言った。


「わたしは、あの時のマキちゃんの言葉で、キャスト、やっていける気がしたんです。だから」


 わたし、たぶん、馬鹿なことをやろうとしている。

 マキちゃんの言っていることのほうがきっと、全面的に正しい。そんなことは分かっていて、でも、心は納得しなかったから。


 ポケットから『鍵』を取り出した。

 ちいさなちいさな、林檎。

 とびきり美味しい、毒林檎。


 それを、マキちゃんに押し付ける。


「ひらさ……」

「――ごめんなさい!」


 鍵をマキちゃんが手に持った瞬間。

 わたしはその辺りに落ちていた木切れを引っ掴んで。



 全力で、マキちゃんに振り下ろしていた。

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