真実はどっち?(3)
◆
マキちゃんがそんなことを言い出すなんて、正直一ミリも考えていなかった。
――手を引きましょう、だなんて。
「ど……どういうこと、ですか。そもそもマキちゃんが面白がってここに来たんじゃないですか」
「そうね。謝るわ。ごめんなさい」
そうじゃない。そんなことを望んでいるんじゃない。
「マキちゃん!」
「平澤は」
マキちゃんはこちらを見ようともしない。ただ、睨むように空を見つめている。
「白雪姫が嘘を吐いているように見えた?」
「それは……ない、と思いました」
「そうね、同感。じゃあ女王は?」
「それも……ない、と思います」
「アタシもそう思うわ」
マキちゃんは短く頷き、ばさりとウィッグを外した。中にかぶっていたネットみたいなのも外し、くしゃくしゃと自分の髪をかく。
「じゃあ考えられるのは、白雪姫の言っていた第三者が嘘を吐いている、ってことよね」
「……はい」
「その第三者に対して、白雪姫の評価は『嘘を吐くことなんてないはずの、信頼できる人』よ」
マキちゃんはまだ、こちらを見ない。そのことがなんだか不安で気持ち悪かった。いつだってマキちゃんは――たとえばわたしが失敗した時だって、マキちゃんに反論した時だって、必ずこちらを見てくれたから。
「考えれば考えるほど、気味が悪い。と、いうよりはぞっとしない話よね。その第三者は、明らかに二人の仲に割って入っている。二人を仲違いさせている。そこに、確実な悪意を感じるわ」
「悪意……ですか」
「ええ。それも、死、という単語を使ってね。実際それを狙っているとしたら、女王にその罪を擦り付ける気満々よね?」
「それは……」
思わず口ごもる。確かに、悪意は隠せていない。そしてそれはたぶん、ただの嫌がらせとかそういうレベルは超えてしまっている悪意だ。
「平澤。はっきり言うわ。このままアタシたちが関わっていこうとすると、その悪意は必ず、こちらに向けられる時が来る」
マキちゃんが低い声で言い切ると、こちらを見た。
真っ直ぐな、怖いくらい真っ直ぐなマキちゃんの目に、思わずこくんと喉が鳴った。
「悪いけれど、ここまで来た物語は、おそらくどういう形であれ、いまアタシたちが知っている通りの道のりを進むと思うわ。林檎、という単語も出ている。アタシたちがわざわざ介入していく必要はない」
「っ、でも! なおさらおかしいじゃないですか! 女王はアホっぽいけど、悪い人じゃなさそうですし!」
「だからこそ、よ。もしよ。もし、万が一だけれど。女王が嘘を吐いている、という可能性も否定は出来ないの。そうした場合、アタシたちはもっともっと、危ない場所にいることになる」
マキちゃんは困ったような顔で、かすかに――本当にかすかに、微笑んだ。
「大丈夫。物語が成立すれば、アタシたちの世界には影響がないはずよ。下手に、深入りする前に手を引きましょう」
指先がピリピリした。それから、頭の奥も。ピリピリして、熱くて、でもなんだか冷たくて。
わたしはマキちゃんを見つめ返して、すっと、大きく一回深呼吸をして。
――言った。
「いやです」
「……ありすちゃん」
「わたし、マキちゃんの言うこと、分からないわけじゃないです。だけど、こんなんですけど、その人が嘘を吐いているかどうかってくらい、分かるつもりです」
毎日毎日、何千何万ものゲストを見ている。いろんな人がいる。絶対、悪人だろうな、ってやつもいる。不器用なだけで子煩悩なお父さんなんだろうな、って人もいる。優しすぎて損しそうな人、なんてのもいる。本当にいろんな人がいる。だから、意外とすぐ分かるんだ。その人が、嘘吐きかどうかなんて、悪いやつかどうかなんて、分かる。
「女王も白雪姫も、嘘を吐いてなんかいない。どこかでなにかが、食い違っている。第三者によって歪められているならなおさら、それは、ここまでかかわった以上、放っておけないです」
「平澤。気持ちはアタシだって同じよ。でもね、それはゲスコンの仕事じゃない。それこそ警察とか、探偵とかがやるべきものよ。プロに任せるべきところは任すことが大事よ」
「でもっ!」
分かっている。そんなことは。でも。
泣き出した白雪姫の声も、愛しそうに白雪姫を語る女王の声も、耳にへばりついて離れやしない。
息を、もう一度整えて。
ぎゅっと、こぶしを握って。
わたしはマキちゃんをまっすぐ、見つめる。
「キャストは、出来ません、分かりませんを言っちゃいけないって、教えてくれたのはマキちゃんです」
入社してすぐ、全体研修がある。入社者全員が受けるものだ。キャストマインドなんかを叩き込まれるところで、その時の研修担当は、毎年キャストの中から選ばれる特に優秀なキャスト――ユニバーシティ・リーダーと呼ばれる人たち。
わたしが入社した時、ちょうどそのユニバーシティ・リーダーだったのがマキちゃんだ。
入社した時はいろいろ不安だった。楽しみだったけれど、なにが分からないかすら分からなくて。でも、その研修の時に、マキちゃんは言ったのだ。
オン・ステージに出れば、あなたたちはもう、キャストなの。
ここでは新人ですとか研修中なんてバッヂをつけたりはしない。
だから、初日からいろいろなことを聞かれると思うわ。ショーの時間、トイレの場所、喫煙所、アトラクションが空いている時間……たぶんね、分らないことだらけ。それは、慣れていっても同じよ。分からないことはたくさん出てくるし、時々びっくりすることも聞かれる。アタシ、スカイツリーへの行き方とか聞かれたこともあるし、新幹線で名古屋へ行きたい、なんてお客様もいらっしゃった。そんなの、とっさに答えられないでしょう?
でもね、それでいいの。分からないこと、答えられないことが悪いんじゃない。
そんな時に、分かりません、出来ません、って言わないことが大事なのよ。
魔法の言葉を教えてあげる。
確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?
これだけよ。これだけでいいの。
あとは周りのひとに訊きなさい。みんなで知恵を出し合って答えましょう。キャストは、ひとりでオンステに立つけれど、ひとりで演じるわけじゃない。
それさえ知ってれば、もう、あなたたちは立派なキャストよ。
たぶん、わたしが言っていることが分かったのだろう。マキちゃんは困った顔のまま、小さく首を振った。
「仕事はね。今は違うわ」
「……」
「平澤」
「でも」
マキちゃんを遮って、わたしは言った。
「わたしは、あの時のマキちゃんの言葉で、キャスト、やっていける気がしたんです。だから」
わたし、たぶん、馬鹿なことをやろうとしている。
マキちゃんの言っていることのほうがきっと、全面的に正しい。そんなことは分かっていて、でも、心は納得しなかったから。
ポケットから『鍵』を取り出した。
ちいさなちいさな、林檎。
とびきり美味しい、毒林檎。
それを、マキちゃんに押し付ける。
「ひらさ……」
「――ごめんなさい!」
鍵をマキちゃんが手に持った瞬間。
わたしはその辺りに落ちていた木切れを引っ掴んで。
全力で、マキちゃんに振り下ろしていた。
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