真実はどっち?(2)
◆
さりげない足取りで小屋へ近づいていくマキちゃんを、わたしは少し離れた樹の陰から見守ることにした。
マキちゃんは小屋に近づくと、すっとその場にしゃがみこんだ。
って、え? 扉、叩かないの?
――と、思った瞬間だった。
「キャァァァァァァーッ!
ヒッ!?
し、心臓飛び出るかと思ったんですがっ!? 何事!?
急に悲鳴を上げたマキちゃんに慌てて近寄ろうと立ち上がったと同時に、ばんっ、と小屋の扉が開いて少女が飛び出してきた。
白雪姫だ。
――あ。あー……? なる、ほど?
確かに、自宅の前で悲鳴が上がれば何事かと飛び出してきてもおかしくはない。それが目的、か?
だとすると、わたしが今行くのはまずい。少し様子を見ることにする。いそいそと、もう一度樹の陰にしゃがむ。
白雪姫は、しゃがみ込んでるマキちゃんを見下ろし、呆然と口を開く。
「なっ……なにごとですの」
鈴を転がしたような、やわらかくて可愛い声だった。ただし今はひきつっていたけれど。
マキちゃんはがばっと顔を上げると、白雪姫にじりっとにじり寄り、情けない声で言った。
「……び、へびが、へびがいたのよぉお」
……うわぁ。
ちょっと引いているわたしに対して、白雪姫はもう少しばかり優しかった。きょとんとした顔で「へびぃ?」と呟いた後、ケラケラッと笑い声をあげたのだ。
「いますわよ、蛇くらい。森の中ですのよ?」
「……だ、だって、だって苦手なのよぉ……」
「殿方のくせに」
「やだ。男だって毒蛇に咬まれたら死ぬのは同じよ!」
まぁな。
思わず納得したわたしと同じように、白雪姫も少し考えたように空中を見つめ、確かに、と呟いた。
「……って、やだ。ごめんなさい。ここあなたのご自宅よね? うるさい声あげちゃって」
マキちゃんが、はっとした素振りで慌てて立ち上がる。ぺこっ、と頭を下げて、苦笑を浮かべていた。その慌ただしく変わる様子に、白雪姫はまた驚いた顔を見せ、それから笑顔で肩をすくめた。
……はー。すごいなー。うまいなー。警戒心とかなんとか、抱く前に忘れさせた、って感じか。
「それで。あなた、どうしてこんな森の奥にいらっしゃるの? 狩猟ならもう少し街側でもお出来になるでしょうに」
白雪姫の問いに、マキちゃんは「ああ」と面倒くさそうに声を上げる。
「アタシ、街側に近づけないから。このあたりでさっき鹿を見かけてね、おなか空いてたから捕りたかったのだけれど逃げられちゃったわね」
蛇はダメで鹿は狩れる狩人設定ってどんなですかそれは。っていう突っ込みすら許されない距離と状況はなかなかしんどいです。
ところが、白雪姫はそこではないところに引っかかったようだ。
「――近づけない?」
「そ。あーあ、仕方ない。この辺りで食べられそうな山菜とか取れるところ、知らない?」
「えっと……そっちのほうにありますけれど、ちょっとお待ちになって。それ、どういうことですの?」
お、おお。白雪姫のほうから食いついてきたぞ。
演技上手いにもほどがある。キャストじゃなくて役者じゃないのか、実は。
「あー。アタシねぇ。街から追い出されちゃったから。魔女、って言われちゃったの。ひどいわよねぇ。ちょーっと薬草詳しいからって。ちょーっとこーんな口調だからって、魔女はないわよねぇ」
どういう設定だだから。
胸中で突っ込むわたしとは違い、白雪姫は丸い目をさらに丸く見開いた。驚いたようだ。
そしてその目に、みるみると涙が浮かんでくる。
「……おなじ、ですの?」
「え?」
「あなたもわたくしと同じで、もう、街には戻れないお方ですの……?」
「――どう、いう」
硬い声でマキちゃんが訊いたとたん、白雪姫がマキちゃんにしがみついてわっと泣き出した。
感情が雪崩のように崩壊した――そんな、泣き方だった。
しばらく泣き続けた白雪姫の背中をさすり続け、マキちゃんは何も言わずただじっと彼女を見つめていた。
少ししてから手近な丸太へと足を進め、二人でそこに腰を掛ける。
かろうじて、普通の話し声なら、まだわたしにも聞こえる距離だった。遠いけれど。
いくつか、ぽつぽつと言葉を交わしている。ちいさな呟きになるとここまでは聞こえない。マキちゃんが白雪姫をなぐさめている、のは分かった。
すぅ、と白雪姫が息を吐く。
「――わたくし、命を狙われていますの。お母様に」
その声は、しっかりと私の耳にも届いた。
「……お母様に?」
マキちゃんの硬い声が続く。
「ええ。そう、言われましたの」
「誰に」
「それは……言えませんわ。でも、信じられるお方ですの。嘘なんてお吐きになんてならないはずの方です」
真っ赤に晴れた目で、儚げに笑う。
「だから、怖くて。逃げて、来たんです」
「そう」
「本当は、いいんですの」
膝に置いた自分の手を見つめながら、白雪姫が言う。
「いいんですの、別に。わたくし、死ぬことは怖くありませんわ。本当のお母様のところに行くだけのことですもの。けれど」
ぽつ、とその手にまた小さな水滴が落ちた。
「今のお母様のこと、わたくし、大好きですの。ですから……そんなお母さまが、本当は恐ろしいことをお考えだったなんて……そのことが、こわ、くて。こわ……くって、にげて……」
言葉が喉に引っかかり、また泣き出してしまう。マキちゃんがその震える小さな肩を抱く。
――どういう、こと。
白雪姫の言葉も、どうしても嘘には思えない。物語では、白雪姫に女王の企みを教えるのは女王の部下だ。心臓を持って来い、と言われ、最初は狙うが哀れに思って白雪姫を逃がすのだ。そして代わりに動物の心臓を女王に持っていく。ところが、今のところその部下らしき人物にわたしたちは会っていない。とすれば、ひっかかりはこの『誰か』のせいか?
白雪姫とマキちゃんはしばらく何かを小声で話し、それから白雪姫は小人の小屋へと帰っていった。
マキちゃんは重い足取りでこちらまでやってくると、ずるずる、とわたしの隣に座り込んだ。
「お疲れさま、でした」
マキちゃんは答えない。ただ、ちょっと待ってとわたしを制するように手を掲げた。
何か、考えている。時々見かける、怖いくらい真剣な顔で、地面を見つめている。
ずいぶん長いこと、そうしていた。
手持無沙汰ではあったけれどどうしようもなく、わたしはただマキちゃんの隣に座って待つしか出来なかった。
風が吹く。緑の濃い匂いが過ぎていく。木漏れ日がちらつき、色づき始めた陽が森の中を照らす。小鳥のさえずりと、動物たちの声がする。
そろそろ動かないと、小人たちが帰ってきてしまうのでは。
そう思い始めたころ、マキちゃんが深く息を吐いた。
空を、見上げる。
「ありすちゃん」
――下の名前で呼ばれた。何か、あるんだ。
マキちゃんは、いつもよりずっとずっと硬い声で、続けた。
「手を引きましょう」
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