エピローグ

 そして日常が戻ってきた。


「ねぇねぇ。冬のイベント、シンデレラだって!」

「あ、ほんとだ。え、やばいまた来なきゃじゃん」

 パンフレットを見ながらきゃっきゃとはしゃぐゲストを見送って、会場入り口のチェーンを閉める。


「ゲスト退場完了です」

「ハーイ、おつかれさま」


 無線でマキちゃんが答える。今日のリーダーはマキちゃんだ。

 顔を上げると、高く済んだ秋空に、シンデレラ城が美しく映えている。

 そっと、ポケットから例の物を取り出す。ちいさなガラスの靴は、こちらも本物のそれと同じくなぜか消えることはなく、今もわたしが持っている。

 それを目の前に掲げて、シンデレラ城を見る。

 ――と。


「ハーイ、オンステで変な動きしないのよ」

「あ。すみません」


 ガラスの靴を頭上からひょい、と取り上げられた。マキちゃんだ。


「平澤、休憩よ。行きましょ」

「あ、はーい」


 促されて、二人で歩き出す。周りにほかのキャストがいないのを確認した後、マキちゃんがそっと囁いた。


「で、どう? 透けてなかった?」

「はい。綺麗でした」

「そ」


 よかった、とマキちゃんが微笑む。

 のんびりと休憩室へ歩きながら、ふと、マキちゃんが問うてきた。


「で、どうなの」

「どうって?」

「仕事、どうするかって話」

「あー……」


 苦笑する。どうにも、あの一件がものすごい達成感をくれてしまったせいで、この仕事がまた楽しく思えてきてしまっているのだ。


「まだちょっと、迷ってます、けど。――まぁ、やめるのはいつでも出来るのかな、って」


 やるだけやってみて、ダメならその時、逃げればいい。王子に向かって自分で言った言葉が、胸の中でひっかかっている。


「そうね。っと、ああ、ごめんなさい。返すわね、これ」


 マキちゃんが、ガラスの靴を差し出す。受け取ろうとして――ツルッ、と手が滑ってしまった。


「あ」


 カシャンッ、と小さな音を立ててそれが落ちる。



 ――ン?



 拾おうとしゃがんで。伸ばしかけた手が、宙で止まってしまった。

 固まったわたしの横で、マキちゃんが同じようにしゃがみ込む。


「……ねぇ、ありすちゃん」

「……」

「アタシねぇ。アナタの人生に口出しは出来ないけれど、辞めるのはもったいないって思っちゃうの」

「……いや、えーと、なんかちょっと、辞めたい方向に今全力で舵が切られ始めているっていうか」

「アラやだ。アタシ、アナタとまだまだ、この仕事続けたいって思ったところよ?」


 にこーっ、と満面の笑みを浮かべたマキちゃんが、わたしの手を取る。


「いや、待って。待って!?」

「平澤は、楽しくなかった?」


 楽しかった。正直、楽しかったけど。

 死ぬほどしんどかったのも事実なわけで。


「いやいやいやいやいや!?」

「アタシ、たのしいこと好きなのよねー」


 ぐぐぐぐ、とマキちゃんがわたしの手を握ったまま、落ちたそれを拾おうと手を伸ばす。

 そこにあるのは。



 ちいさなちいさな、林檎。



 それはいつのまにか、ガラスの靴ではなくなっていた。


「向いてるわよ、アナタ、この仕事。アタシ、付き合っちゃう♪」

「待ってええええええええええ!?」


 ぐいっと強い力で林檎をつかもうと腕を伸ばされて。



 この仕事って、どの仕事かわかんなくなってきたけれど、

 平澤ありす、25歳。

 ――まだ、やめられないみたいです。この仕事。




Fin.

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