王子様と契約社員(3)
急いでホール上の二階に戻ると、ホールはすでに賑やかな会場となっていた。
「平澤!」
わたしたちの姿を見つけたらしいマキちゃんが、周りにいた女性たちに一礼をしてから駆け上がってきた。
「ごめんなさいね、出来るだけ粘ったんだけれど限界だったわ」
前庭の客も入っているとのことだろう。想定はしていたので頷く。
「大丈夫です。ありがとうございました」
おそらくホール内にいたメイドや従者たちに適宜指示まで与えてくれていたのだろう。会場内に混乱は見られないので十分すぎるほどだ。
マキちゃんはふう、と息を吐いてからわたしの後ろにいる王子に目をやった。王子が緊張する気配を背中に感じたが、それだけだった。
マキちゃんは責めることなく、ただぽんっと王子の肩をやさしく叩いただけだった。
――マキちゃんはこういう時、絶対責めたりしない。わたしもそれで、助けられたことがあるから知っている。
「それで、どうしましょ。ちょーっと賑やかすぎて、今更王子が入っていってもシ……あの子がきても、逢えるかどうか」
人の波にまぎれて、ちゃんと会えるかどうか、ということだろう。当初から王子がいたなら周りの気配で分かっただろうけれど、今王子を入れてもその雰囲気は作れないだろう、とマキちゃんは言っているのだ。
でもそれも、想定内ではある。
「大丈夫です」
「ヒラサーさん!」
従者が駆け寄ってきた。そっとわたしに耳打ちをくれる。
マキちゃんの顔色がさっと変わった。
そう。メインゲストのご来場だ。こく、と頷くとわたしは短い指示を出す。駆けていく従者の背を見送る間もなく、さっと後ろを振り返った。
今度は王子に、指示を出す。
彼は少し気圧されたように頷いて、でも素直に指示に従ってくれた。
信じてくれたんだ。
なんだかすごく、嬉しかった。
「平澤?」
「まー、見ててください」
腰の後ろ、ベルトに通してぶら下げていた棒状の誘導灯を抜いて、わたしは言った。
フェアリー・ゴッドマザーは『彼女』の前には現れても、今のところわたしたちの手伝いをする気はないらしい。
だからこの場には魔法はない。魔法の手助けはない。でも。
魔法がなくたって、これくらいのことは、出来るのだ。
わたしは立ち上がって、手にした誘導灯を真上にまっすぐ高く掲げた。
ゆっくり弧を描くように回す。
その動きに気付いたリーダーが、会場の五か所で同じ動きをし始めた。一番左奥の飲食提供スペース、中央両側、楽師隊脇、それから大扉。
すべてが動くのを見てから、わたしは弧を描く動きを止める。すると、会場の奥の一人が頭上で両手をクロスするカットサインをした。同時に、奥側の照明がふっと落ちる。
ざわめきが広がった。
次は楽師隊のカットサイン。音が消えた。そして中央両側。同じ動きを同じタイミングで行うと、そして証明がまた落ちる。今度はほぼすべてだった。最低限の明かりだけになった。ざわり、と会場の声が泡立つ。ぽつぽつと数か所だけ蝋燭が揺らぎ、サイリウムの淡い黄色が浮かんでいる。
そして――大扉の担当者と目が合った。担当者がちいさく、頷く。
彼は回していた手を止めて、そのまま真っ直ぐ誘導灯を下に降ろした。同時に誘導灯の明かりも消す。
ギィ……と。
薄闇の中大扉が開く音がした。
同時にわたしは手を真横に振り下ろす。
その動きに合わせて、右側――大扉付近だけ再度明かりが灯った。
わっ――とちいさな歓声が上がる。
暗闇の中浮かび上がったのは、金色の髪に美しい青いドレスの女性――
そう、シンデレラだ。
続いて、わたしは手を左に振る。左奥。二階に続く階段上にだけ、明かりが灯った。
ここに浮かび上がったのは頬を紅潮させて佇む美しい青年――そう。プリンス・チャーミングその人だった。
薄闇の中、彼と彼女だけが浮かび上がる。
見つめあう。
その光景に、誰もが息を呑んだ。そして。
バッ、とわたしは勢いよく手を再び振り上げる。会場内の明かりがまた少し戻る――けれど、全部ではない。やわらかい雰囲気になり、音楽もそれまで流れていた賑やかなものではなく、やわらかなワルツへと変わる。
王子が、シンデレラが、ゆっくりとお互い足を踏み出す。ため息のような、歓声のような――ちいさな息遣いのざわめきがホールを満たしていく。ホール内のゲストは中央で割れ、ふたりはそっと歩み寄り――手を、取りあった。
「すごい……」
呆然と、マキちゃんがつぶやく。
「これ、アナタが考えたの?」
「あー、まぁ。念のため」
もともと、王子がオーラなさすぎで目立たなかったらどうしよう、と練っていたプランだ。各所の担当者たちも諸々気を利かせてくれて思っていたよりいい塩梅で成功した。
ほっとして誘導灯をしまったとたん、ガバァッとマキちゃんに抱き着かれた。
「ひゃうっ!?」
「すごい、すごいわよアナタ! さいっこー!」
ぐしゃぐしゃっ、と頭をかき回される。
「……へへ」
なんだかちょっとだけ、誇らしくて、笑った。
◆
会場のざわめきを後に、マキちゃんとふたり中庭へと出る。あとはどっちにしろ、お話が転がるのを信じて待つだけだ。
「お疲れ様ぁ♪」
あ、この軽い声。
振り返ると、いつからそこにいたのか、フェアリー・ゴッドマザーがにこにこと立っていた。
「素敵だったわぁ、あの演出」
「ちょっとくらい手伝ってくれてもよかったんですけど」
「いやん♪」
何がいやん♪ なのか分からない。
ジト目になるわたしに、けれどそんなのは意に介さずお婆さんは笑っている。
その時、ゴーン、という大きな鐘の音が響いてきた。
「あ」
「魔法が解ける音ね」
その通り、会場からざわめきが風に乗ってやってきた。今頃シンデレラは必至で走り去っていっているのだろう。そしてたぶん、あの王子もちゃんと追いかけている。
「じゃーあ、ついでにぃ、こっちの魔法も解いちゃいましょうか?」
「あ、もうちょっと後で」
「あら?」
フェアリー・ゴッドマザーは首をかしげたが、マキちゃんは分かっていた。くすり、と笑うとフェアリー・ゴッドマザーの額をぴん、と弾いた。
「全部が終わるまでが、ゲスコンのお仕事なのよ」
「備品も回収しないとですしね」
「――そ? じゃあまぁ、終わったら呼んでちょーだい」
言うなり、フェアリー・ゴッドマザーは姿を消した。……後片付け、手伝ってくれてもいいのに。
まだ、鐘はなり続いている。
なんとなく空を仰いで、わたしは言った。
「これって、言うなればウェディング・ベルみたいなもんですよねー」
「アハハハ、まー、そうねぇ」
「なんかこう、妙なモヤモヤが残ります……」
「まぁまぁ。そのうちそのうち」
ぽん、と後ろ頭を叩かれた。
「アタシたちはアタシたちの、おしごとをしましょ」
「――はい」
頷いて。
わたしはマキちゃんとホールへ向かって歩き出した。
月が、わたしたちの影を長く伸ばしている。
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