王子様と契約社員(2)
「見つけた!」
「嫌なんですっ!」
怒鳴りつけるように。
今まで聞いたことのないくらい悲痛な叫び声が、王子の口から飛び出した。
わたしもメイド頭さんも思わずたたらを踏んで立ち止まる。
「嫌なんです、嫌なんです、もう、やめてくれっ!」
怒声――というには悲痛すぎる声に、わたしは思わず顔をしかめた。これは、ちょっと良くない。そっと視線で合図して、メイド頭さんに出て行ってもらった。この状態は、王子として、彼女に見せるべきものではない気がしたからだ。
少し悩んで、頭をかく。こういう状態の人、見たことがないわけじゃない。でも、正面切って向かい合ったことは今までなかった。
「――なに、やってんの」
「なに? なにって、見れば分かるでしょう、逃げてるんですよ!」
開き直ったのか、自棄なのか。ハッ、と吐き捨てるように笑って王子が顔を上げる。
笑って――ううん、全然、笑えてなんかいない。
「なにを、逃げる必要があるのよ。あんた十分やれてたじゃん! 王子っぽく出来てたじゃない」
「ぽく、そうでしょうね、ぽくは出来たと思いますよ、自分でも」
古く、重厚な書棚の並ぶ中、優雅に――舞うように、ふわり、と彼はお辞儀する。
「でもそれだけだ」
「……」
「ぽくできて、どうするんです。私は、王子です。それっぽい、じゃどうしようもない」
堰を切ったように、王子がしゃべり続ける。そういう状態になるときは、ある。わたしだっていままで、そんな風になったことがないわけじゃない。どうしようもなく苦しくて、ダムが決壊するように言葉が流れ出す瞬間はきっと誰にだってある。
だからわたしは、王子をただ見つめるしか出来なかった。
「やれるだけはやろうと、一度は思いました。貴女方が必死だったから。でもそうやって、おぜん立てされればされるほど、どうしようもなく怖くなるんです。分かりますか。ここで妃を決めれば、国を回さなければならなくなる。何万人もの民の生活を守らなければならなくなる。子を生して、国を、血を、続けていかなければならなくなる。その恐怖が、分かりますか」
「……」
「分からないでしょう。どうせ貴女のような市民には分かりようがない。分からないなのなら、もう、放っておいてください!」
怒鳴るように叫び。
そして、王子は肩で息を吐く。
少しの沈黙。じっと、数十秒ほど、わたしは彼を見つめた。
「――で?」
「……え」
「言いたいことはそれで全部?」
自分でもどうかと思うほど、冷たい声が出てしまった。でもいまさら、引っ込められない。
呆然とする王子に、かつかつと詰め寄って――
ドンッ
わたしは王子の顔すぐそばで、背後の本棚に手をついた。
いわゆる壁ドンである。
驚いて硬直している王子の目を、正面から見据える。
「分かるわけないでしょうよ」
「……」
「そりゃあ王子様の気持ちなんて分からないわよ。知らないわよ。でもね、じゃあ聞きますけど、王子様に契約社員の気持ちは分かるわけ?」
「……けいや……く?」
「賞与も昇給もほとんどなくて、やりたい仕事だったはずなのに周りからは変に心配されて、訳の分からないクレームも対応して、バイトの子たちのしりぬぐいもして、でも身分保障なんてかけらもない、契約社員の気持ちなんて王子様には分からないでしょうよ」
呆気にとられたように、王子は口を金魚みたいにパクパクさせる。
「しょーがないじゃん、そういう生き物なんだから。立場が違えば物の見方も感じ方も違うにきまってるじゃない。当り前じゃない。そんなクッソ基本的なところで思考停止してんじゃない!」
――ああ、だめだ。冷静に対処しようと思っていたのに、どうにも止まらなくなってしまう。
「だいたいねぇ、怖い怖いって、ンなの当り前でしょうが。怖いわよ。あんただけじゃない。みんな怖いわよ、わたしだって!」
毎日毎日、ゲストの案内をする。
そんな仕事を、毎日毎日やっているのだ。
そして、わたしにとってそれは『毎日の仕事』でも、その日その時は誰かの『特別な一日』なのかもしれないんだ。
わたしたちの動きひとつで、誰かの特別な日が悲しい思い出になってしまうかもしれない。
――そんな日常が、怖くないわけがない。
「……ごめん、私情だ」
ふ、と息を吐いて王子と距離を置いた。
王子はまっすぐこちらを見据えていた。
「……あのさ。でもさ、しかたないじゃん。そういうもんなんだから、怖いけどやっていくしかないし、そんでやるだけやってみてダメなら、そんときゃ逃げちゃえばいいよ」
こういうこと、あんま言っちゃいけないんだろうけど。
案の定王子はきょとんとしたあと、かっと顔を赤らめた。怒ったのだ。
「無責任な! 私には民の生活が……っ」
「あー。はいはい。うるさい」
「うるっ……!?」
「あのね、それね、民の生活をあんたが背負ってるんじゃなくて、あんたは自分の人生の責任を誰かに背負わせようとしてるだけ」
誰かのせいにするのは、ラクだから。そんなの、わたしだって自覚ある。自覚の上で使ってたりもするけれど、自覚なく使われるのは嫌だった。
「へーきへーき。意外と人間馬鹿ばっかりじゃないから。王様王子様ひとりふたりいなくなっても、案外何とか生きていけるもんだよ」
わたしは、そういう歴史を知っている。知っているから言えるのであって、それを知らない王子に言うのは少しアンフェアな気もしたけれど。でも、そういうもんだ、と。逃げてもいいんだ、と。知っているほうが多分、生きていきやすいから。
「だからさ。とりあえずやるだけやってみて、ダメだったら逃げちゃおうよ。でも、最初から逃げるのはナシだわ」
「……」
「ぽい、でいいじゃん。案外みんなそんなもんだって。わたしだって、キャストっぽく、トレーナーっぽく振舞ってるだけで、実際そうなれてるかなんて分かんないんだから」
王子が戸惑うようにまっすぐこちらを見つめている。
なんだかその様子がおかしくなってきて、思わず、笑っていた。
「な……なんで笑うんです」
「いや、ごめん。なんかおかしくって。だって、あんた最初あんな……岩陰のダンゴ虫みたいだったのに、今そんな王子様然とした格好してちゃんとわたしの目を見て話してるじゃない」
そうだ。最初は俯いているしかなかったのに、今はこうしてこっちを見ている。
なんだかただそれだけなんだけれど、それだけで、全部大丈夫な気がしてきた。
「そうだね、怖いね。でもこと今夜に関してだけは、わたしたちが保証する。あんたは今ちゃんと王子様してるし、舞踏会は成功する。あんたが頑張るなら、その背中をわたしたちは全力で支える。支えられる」
笑って。
わたしはそっと、右手を王子に――プリンス・チャーミングに差し出した。
「ゲスコン、舐めないでよ」
言っている意味はたぶん、王子には分からなかっただろう。
でも、少しの間迷うそぶりを見せて、それからきゅっと口を結んだ王子は私の右手を握った。
それだけで、十分だった。
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