王子様と契約社員(1)
「――は?」
物理的にはもう何度も殴られていた頭だったけれど、舞踏会開始早々、今度は情報で頭をぶん殴られるハメになった。
従者のひとりが持ってきた言葉は、それだけの威力を持っていた。
「王子が……逃げた?」
◆
アクシデント、というのは間々ある。ショー中の降雨もそうだし、出演者のケガ、強風、公演開始直前のシステム調整、地震。もろもろ体験してきたし、対処するための反射神経は培われている。でも。
出演者が消えた、というのは初めてだった。
「ちょちょちょ、ちょっと平澤!」
そういうイレギュラー時、いつだって冷静で微笑みながら歩いてくるマキちゃんが、らしからぬバタバタ走りでやってきた。
ホールは大雑把に言えば横長で、右の端に大扉、左に螺旋階段があり、そこを昇ると二階にたどり着く。といっても二階はほぼ吹き抜けになっていて、脇に少し通路のような休憩スペースがあるだけで、わたしはちょうどそこにいた時だった。
「平澤!」
階段を駆け上がってきたマキちゃんは汗をかいていた。結構遠くから情報を聞きつけてやってきたらしい。
「王子、消ッ――」
叫びかけて、そこで気づいたのか、マキちゃんは慌てて声を小さくした。
「きえた、って?」
こくん。とわたしは無言で頷く。マキちゃんの顔が青ざめていく。
「あー、ごめん、平澤……アタシ、さっきそのホールに置いたつもりだったんだけど……」
「いえ、それは見ました、わたしも。ただ、ちょっと目を離したすきに」
メイドのひとりが、じっと佇んでいた王子が突然、ごめんなさい、と呟いて走り去っていったのを目撃していた。逃げた、というのは事実なのだろう。
「さっきアタシ、門前にいたのだけれど、そろそろ来るわよ、ゲスト」
「分かってます」
もう一度頷く。実際のショーと違うのは、システム調整での公演中止も延期もない、ということだ。
舞台の幕は切って落とされた。
もう、どうしようもない。始まっている。
「――マキちゃん。助けてください」
わたしの静かな声に、マキちゃんがきゅっ、と表情を硬くした。低く、呟く。
「オーケイ。何から手を付ける?」
「着替えて」
「お――は?」
間の抜けた声をあげたマキちゃんの襟首をつかんで引き寄せる。
「着替えて、今すぐ、王子様っぽいなんかそれっぽい衣装に!」
「ちょちょちょまっ、待ちなさい平澤!? 正気!?」
「正気です! 別に王子になれとは言いません! 時間稼ぎをしてください!」
びっ、と一階ホールを指さす。
「無線がないここでは、全キャストに現状を説明している時間はありません! すぐにここに女性たちがやってきます! 誰もいないんじゃ話にならないんです! 王子の従弟でも叔父でも遠い親戚でもなんでもいいですから、それっぽいこといって、貴族っぽいカンジで演じててください!」
「無茶言わないで!?」
「言います! 大丈夫、マキちゃん、黙ってればそれなりにそれなりですから!
キャストでしょ、の言葉はマキちゃんのプライドに引っかかったみたいで、一瞬マキちゃんは言葉を飲み込んだ。そのすきに、わたしは近くにいたメイドさんに指示を出す。
「いますぐ、この人を着替えさせて!」
「わっ、分かりました!」
有能! 超素敵! すぐに他の従者も現れて、悲鳴を上げるマキちゃんを引っ張って行ってくれた。
「ひーらさわあぁぁぁ……」
マキちゃんの声が遠ざかっていく。わたしはすぐに、その辺にいた従者をひっ捕まえた。
「あなたとあなたは前庭を、あなたとあなたは一階ホール付近を、そっちの人たちは一階の奥、厨房を、わたしはまず二階からいく」
全員が強く頷いた。付け焼刃でもなんでも、全員がここまでやってきたのだ。
絶対に舞踏会は成功させる。
絶対に王子は、見つけ出してやる!
◆
柔らかなバイオリンの音色が流れ出し、すぐに賑やかで楽しい音楽が流れ始めた。騒々しい小鳥のような人のざわめきも聞こえ始める中、わたしたちは必死に走り回っていた――もちろん、ゲストには気づかれないように。
ホール中央では、マキちゃんが穏やかに微笑みながら頑張っている。王子の不在を、少々体調が悪くて、とごまかしているようだ。不機嫌になりそうなご令嬢方をそうさせないようにふるまっていた。
すごいわ。惚れるわマキちゃん。
マキちゃんのためにも、急がないと。
城内を走り回るがなかなか見つからない。
「あー、もう、どこよーっ」
厨房にもいない、中庭にもいない、物置も、現在使用していない部屋も、ベランダも、王子の自室も王様の自室も調べたのに、いない!
息が上がっている。心臓が痛い。急がないと、メインであるシンデレラまでやってきてしまうというのに。
考えろ。考えろ考えろ考えろ平澤ありす!
あと、どこがある!?
目を強く瞑って、思考を巡らせる。そして。
『……本さえあれば……本だけあれば、妄想で生きていけますし……」
――そうだ!
初めて会った時の言葉を思い出す。そうだ、そうだよ。ああいうタイプの人間庭やベランダにいるわけがない。いるとしたら。
「本が置いてある場所、ある!?」
一緒に探し回っててくれたメイド頭にほとんど噛みつくように問うと、彼女ははっとした顔をした。
「しょ、書庫があります!」
「案内して!」
「こっちです!」
おおよそメイドらしからぬ俊敏な動きで駆け出した彼女のあとを追って走り出す。
そして。
城内二階の奥に、その部屋はあった。そしてその部屋のさらに奥――王子が、うずくまっていた。
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