王様と妖精と影の薄いナニか(3)
無表情な鋭い目が見降ろしている。
「ぅおぉっ」
低い声が出た。目を開けた途端に、その光景だったから驚いたのだ。すぐにその目の持ち主――マキちゃんは、不快な表情を見せた。
「やぁねぇ、お下品。もうちょっとかわいらしい悲鳴あげなさいよ」
「……悲鳴にそんなこと言われても」
寝転がっていたらしい。う。頭がずきずきする……前も後ろも……痛い。抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「どうしたのよ、気分でも悪かった?」
「ちょっと頭打って……」
「労災?」
「いや、大丈夫です」
たぶん。
ひらり、と手を振る。
「どうしたんですかマキちゃん」
「どうしたもこうしたもないでしょ。戻ってくるのが遅かったから心配してきたら、寝てるんだもの」
と、いうことは、それほど長く時間が過ぎたわけではないらしい。
ふ、と手のひらに目をやると、あの『鍵』が確かにそこにある。
「何、それ?」
「あ、いや、ちょっと……」
「綺麗ねぇ」
「……そうですかね……」
口の中でうめくしか出来なかった。
「って、やぁね、平澤。埃まみれじゃない!
「え。だって時間……」
「
マキちゃんが手を引いて歩き出す。わたしはまだどこか頭がぼーっとしていて、ついていくしか出来なかった。
ロッカー棟の一階に、
新しい服をもって振り返ると、マキちゃんは困ったように微笑んだ。
「着替えてらっしゃい。待っててあげるから」
「……すみません」
心配してるのだろう。……まぁな。わたしも後輩が倉庫で倒れてたら心配するわ。
いそいそと着替え室へ入り、もそもそと着替える。
……夢、じゃ、ないんだろうなぁ、あれ。
ガラスの靴は迷った末に、新しい制服のポケットに入れた。古い制服をバスケットに叩き込んで外に出ると、壁にもたれてマキちゃんが立っていた。
「お待たせしました」
「お疲れ様。ちゃんと着替えてきたのね」
「はぁ、まぁ」
「ねぇ、本当に大丈夫? 帰ってもいいのよ?」
「あ、いや、大丈夫です」
勤務を放り出して帰るより、今はリアルに浸っていたほうがまだマシな気がする。
オンステに向かって歩き出しながら、マキちゃんの横顔を見上げる。
「……マキちゃんって、いい人ですよね」
「そーりゃあねぇ。テーマパークのおにいさんですもの」
「オネエさんの間違いじゃ」
「うるさいわね。ねぇ、ありすちゃん」
あ、また下の名前で呼びましたね。それ、禁句なのに。禁句返ししますよこのヤロウ。
――とは思うものの、平澤呼びでないときは、大体マキちゃんなりの理由があるので、いまいち切り捨てられないのだ。
「なんですか?」
「ここのところ、時々意識がお留守よね。何か悩み事?」
――あー。今日倉庫でぶっ倒れてたのも併せて考えてるんだろうなぁ、この人。そこはまぁ、違うのだけれど。
最近意識がお留守、になりがちなのは認める。
「んー、ちょっと。仕事どうしようかなぁって」
マキちゃんが足を止めた。二歩行き過ぎてから、わたしも足を止めて振り返る。
マキちゃん、目がまん丸だった。驚かせてしまったらしい。
「辞めるの?」
「悩み中、です」
「なんで」
「んー。年齢と、契約社員と、で」
「あー」
マキちゃんが低い声を出して、ゆっくり歩き出す。くしゃ、と頭をかいた。
「そこはまぁ、ねぇ」
「マキちゃんは、このまま?」
「ンー、アタシはまぁ、いざとなれば実家もあるしね」
「ああ、美容室でしたっけ……免許持ってるんでしたね、そういえば」
「そそ」
いーなぁ。そういう道もあるひとは。まぁその分、これまで頑張ってきた人、ってことなんだけどさ。
さっきまであんな王様だ王子様だ、と頭痛い世界にいたわりに、すぐ契約社員だ実家だ年齢だ、と世知辛い話をしてしまっているけれど、むしろそのほうが現実味があってほっとした。
わたしたちの仕事は夢と魔法に彩られていて、そのくせ現実が容赦なくて、時々混乱してしまうから。
こういう現実が、世界とわたしをつなぎとめている気がすることがある。
オンステに入る脇の鏡で身だしなみをチェックしてから、ぱんと頬を叩いた。
とはいえ、現実はバックステージまで。オンステには持ち込まない。それがルールだ。
「うん、いい子」
マキちゃんがくしゃりと頭を撫でてくれた。ホント、いい人である。
オンステージに出ると、軽やかなBGMが耳を揺らす。家族連れの笑い声、学生グループのはしゃぎ声。それらすべてが、この場所を作り上げている。
自分たちの持ち場のステージへ行く途中、このパークのモチーフを見上げる。
大きく真っ白なシンデレラ城。この冬の、メインステージは、今は黒とオレンジで彩られたハロウィン仕様だ。
――ん?
その時ふと、言葉にできない何か、を感じた。感じた、というよりはひっかかった、というのだろうか。それが何かは分からない――ただ、違和感、としか言えない何かだ。
そっと、ポケットに手を突っ込んでみる。思ったより、わたしは動揺しているらしい。かすかに指が震えているのを自覚した。
そうしたことに、意味はない。意味、というより理由はない。ただ、なんとなく――そう、たぶんなんとなく、分かってしまったのだろう。
ガラスの靴を掲げ、その透明な世界を通して、現実を見る。
そのはずだったのに。
「……まじか」
かすれた声は、たぶん口内だけで溶けていった。
見えたのはシンデレラ城と、その向こう側の空とアトラクションの壁。
そう。その向こうの、空とアトラクションの壁も見えたのだ。
透けていた。
豪奢なシンデレラ城はうっすらと、透けていた。
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