第10頁 What are you doing!?

 マリーナは必死に逃げ続けた。後ろからやって来る巨大な怪物から。それに追われて、この世の終末のような悲鳴をあげて必死に逃げる3人の男女から。


「ちょっと、何よ!そんなの持ってこないでよ!!」


 マリーナはカラカラの肺から怒声を絞り出し、背後の3人に向けて怒りをぶつけた。しかし、その怒りも3人の必死の悲鳴で掻き消されてしまう。正確には1人だが。

「お前……、うるせぇ。」

 オーシャルは全速力で走りつつ、呆れた表情で、1人で叫び続けるデメルザ・ドゥリップを見つめた。シーラは慣れきった様子で、見向きもしなかった。

「キモイ!ヤバイ!無理!!ああいうの無理!!ヤバイヤバイ!!」

 人とは、追い詰められるとボキャブラリーが途端に貧しくなるもので、デメルザ・ドゥリップもしばらくこんな調子である。


 すると突然、何かドスンという音が前から聞こえたと思うと、マリーナの呻き声が聞こえた。忘れてはならないのが、松明を持っているのは彼女の背後を歩いていたデメルザであり、マリーナは真っ暗闇に向かってひたすら走り続けていたのだ。それまで見当たらなかった壁に激突したと言う事は──。

「来た!扉来た!!」

 マリーナはそう叫びながら、力一杯に石の扉を叩き出した。

「メルベス様、フィオナさん!聞こえますか!?」



 当然であるが、マリーナの声は2人には届いていなかった。ただ、メルベスが扉を叩くほんの小さな音に気づいたのみである。彼が動いた事により、やがてフィオナも気がついた、

「あら?思ったより早いのですね。」

 何とも、そのはずである。メルベスが最初と同じように扉を開けると、まだ完全に開ききらない内に、悪魔の形相で叫ぶデメルザが飛び出した。

「早く開けろ、ボケェ!!ケツの穴にゴキブリぶっ込むぞ!」

 しかし、デメルザの口の悪さに気分を害す前に、メルベスは憤らなければならなかった。それもそのはず、4人が事を知ったからだ。

「貴様ら……!!」

 追いかけて来る怪物を閉じ込めるには間に合わず、メルベスはフィオナの手を引いてその場を少し離れた。




 陽の光に照らされた怪物は、その禍々しい姿を一層はっきりと見せつけた。粘液のようなものに覆われた土気色の身体はヒキガエルのようなイボがついており、その身体のあらゆる箇所に、黄色い目が爛々と周りの人間達を見つめていた。長い尻尾は、先がもう1つの頭になっており、ダラダラとよだれを垂らしながら、目のない顔で辺りを見渡す。

「こ、これは……!?」

 メルベスはしばらく、真っ青な顔で呆然と怪物を見つめていたが、すぐに気を取り直して腰に差した剣の柄に手を掛け、フィオナを庇いながら様子を伺った。


 メルベスの浮かべる殺意の表情と絶望の眼差しを見て、眼帯の女は目の奥に炎を燃やした。

「おっと……、目的を忘れちゃいけねぇな。」

 照らすも暗い地獄の炎が、青い瞳に燃えていた。


 デメルザは素早く剣を抜くと、メルベスの向かいに居場所を変え、隙をついて怪物の蜘蛛のような脚に傷をつけた。短く鋭い雄叫びが辺りに響き渡ると、怪物は尻尾でデメルザに噛み付こうとした。デメルザは素早く後ろに避ける。

「おい、どうした!? ……来いよ。」

 デメルザは左目を見開き、真っ赤な血のついた剣をくるくると回しながら挑発的な笑顔を浮かべる。すると、怪物はデメルザの方に向き直り、負傷した脚を庇いながら突進した。デメルザは身構えるも、剣1振りでは太刀打ち出来ず、大きく後ろに吹き飛ばされる。

「がっ!!」

 岩壁に背中を打ち付けたデメルザは顔つきをガラリと変え、怒りの表情でゆっくりと立ち上がった。


「そうかい、そうかい……。わぁーったよ。」


 デメルザはほんの短い瞬間メルベスを見ると、噛み付こうとする怪物の攻撃を直前で避け、その首に剣を突き立てた。怪物は金切り声を上げて首を左右に振り、その勢いにデメルザは剣から手を離してしまった。怪物は首の剣から血を垂れ流したまま、背後に駆けて行ったデメルザを顔で追う。



「ど、どうする?」

 マリーナはオーシャルと共にシーラの背中に隠れていた。シーラは怯え半分、混乱半分で答える。

「どうにも、こうにも……!!」

 シーラもオーシャルも武器を取らなかったが、デメルザへの火の粉が降り掛かかると、そうもいかなかった。デメルザが再び攻撃を避けると、その矛先はシーラに向いた為、彼は致し方なく鉤爪を手に取ると、怪物の下顎に突き刺した。しかし、一向に弱る気配はなく、シーラは怪物の顔を突き蹴る事で遠ざけた。



 メルベスはフィオナを庇いながら見ているのみだったが、やがて苦痛の表情を浮かべつつ──恐らくやっとの思いで──フィオナに話し掛けた。

「フィオナ。そこの2人を連れて、この場を離れろ。すぐにだ!」

 急な事にフィオナは動揺を見せたが、すぐに指を差されたオーシャルとマリーナを見て、2人の方に駆け寄った。怪物は、突然動き始めた女を追い始めたが、そこはメルベスが取り持った。メルベスは何も言わずに剣を構える。


 フィオナはオーシャル、マリーナの元へ辿り着くと、急いで離れるよう呼び掛けた。オーシャルはすぐに同意したが──。

「で、でも……!」

 マリーナは腑に落ちない様子で、離脱を躊躇った。マリーナがちょくちょく、戦うデメルザ達を見る様子から、その心持ちをオーシャルも察する事は出来たが、何せ状況が危ういので、彼も苛立ち始めた。

「んな事言ってる場合かよ!何もしないなら安全なとこ行ってろって、そういう事なんだぞ!!」

「そうだけど……!!」

 マリーナがあまりに強情なので、呆れたオーシャルは手を引いて連れて行こうとした。が、その時、マリーナの目にある物が入り込んだ。

「てか、アンタも武器持ってんじゃないのよ!使いなさいよ!」

 そう言うとマリーナは、オーシャルの腰から強引に鎖刃を引ったくり、怪物へと挑んでいった。

「あ、おい!!」

 オーシャルは急いで連れ戻そうとするが、それよりも早くマリーナは鎖を振り回し、怪物の足に刃を投げつけていた。しかし刃は上手く当たらず、怪物の脚にかすり傷を負わすのみに終わった。

「……ヤバっ!」

 相手の注目を浴びてしまったマリーナは急いで逃げる。しかし怪物は完全に彼女を目の敵とし、長い首を動かして口を開き、その中の真っ赤な目を見せた。マリーナは悲鳴をあげながら逃げ続ける。

「マズイ……!!」

 真っ先に動いたのはシーラだ。シーラは鉤爪を、今度は怪物の左脇腹に突き刺すと、こちらを向く怪物を避ける為に素早く後ろへ移動した。


 マリーナもようやくオーシャルとフィオナの元へ辿り着いた。

「お前、何やってんだよ!?」

 オーシャルは激しい口調で咎めるが、マリーナは未だ未練があるようで、怪物の方を見続けている。だがそれとはお構いなしに、オーシャルは彼女の手を引いて、更に怪物から離れた。




 オーシャル達3人が、もう巨大な怪物が丘の陰に隠れる程まで移っても、戦いは続いた。シーラとメルベスは無闇に攻撃はせず、剣を怪物の首に刺したままのデメルザは、どうにか取り返すチャンスを伺っていた。

「おーい!お前さ、ちょっと面白い冗談思いついたから聞いてくんない?」

 デメルザはそう叫び、怪物が頭を下げる瞬間を待ったが、頭を下げるどころか見向きもされず、しかめ面を浮かべるしかなかった。

「ああいうの、マジでモテないからな。」



 一方の逃げた3人はといえば、相も変わらずであった。マリーナはオーシャルの鎖刃を握りしめたまま、やはり怪物の方へ駆け出したのだ。オーシャルは慌てて手を伸ばし、すんでのところでマリーナの上着を掴んだが、なんとマリーナは素早く上着を脱いで、危険地帯へと向かってしまったのだ。

「あ!?おい、あの役立たず!」

 オーシャルは呼び止める。しかし、マリーナはこれまでにない速さで走り去り、その姿はあっという間に小さくなってしまった。フィオナは追い掛けようとするが、そこはオーシャルが制止し、彼1人でマリーナを追い掛けた。


「何考えてやがんだ……!!」

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