第7頁 I wanna a future.

 さて、「黒い夜」が始まった。闇が辺りを覆い尽くすこの新月の夜は、白い夜よりも鬱蒼とした雰囲気に包まれていた。この夜を引き起こしている張本人は、やはりたった1人で、人里離れた森の中にいた。光の射さぬ真っ暗闇の中、化け物のような影となっている木の枝に腰かけて、夜が明けるのをジッと待っている。


「やはりベルドを1人にしておくのはマズイな……。何とかせねば。」

 ルーフィンはぽつりと呟く。


「へぇ、保護者も大変だね。」


「なっ……!!」

 人がいない事を確認して場所を選んだのに、またしても何者かが声をかけた。そしてその正体は、前と同じに決まっていた。暗闇で姿は見えないものの、自分が座っている木の幹に寄りかかる人影は、淡く毒々しい緑色の瞳を光らせてこちらを見つめており、それに伴って漂う安い酒と血の臭いから、ルーフィンはその人物を断定せざるを得なかったのだ。

「また貴様か……。」

 どんな状況であれ、人喰い悪魔を放っておく訳にはいかない。ルーフィンが刺突剣レイピアを半分抜いたその時、人喰い悪魔はまるで殺意のない声で、ルーフィンを止めた。

「待てよ。もう君を殺そうとは思わないからさ。今夜こそ世界に抗ったっていいだろ?」

 ルーフィンは少し悩んだが、やがて剣を納めて姿勢を戻し、警戒は解かず人喰い悪魔を見張った。一方で、人喰い悪魔は見上げるのをやめる。

「ドゥリップとね、会ったんだ。殺し損ねたよ。」

 唐突に発せられたこの言葉に、ルーフィンは驚きを隠せなかった。遂に出会ってしまっていた。自分があれ程注意させようか悩んだ末、デメルザを危険に晒してしまっていた。

「自分のせいだ、とか思うなよ。俺達は出会う運命だったんだ。」

 ルーフィンの心を見透かすように、人喰い悪魔は笑って言った。

「運命だと?ふざけた事を!」

 ルーフィンは受け入れなかった。運命の残酷さなど、受け入れたくはなかった。だが、人喰い悪魔もなかなかに残酷な男であった。

「ククク……!見えないフリしちゃって。」

 人喰い悪魔は頭のてっぺんを木の幹に押し付け、体を仰け反らせてルーフィンを見つめた。

「まぁ確かに、ちょっと不思議ではあるな。彼女は世界には愛されていたが、運命には見放されていた。世界が運命の奴隷でない事は珍しい……。」

 ルーフィンは目を細める。

「何を言っている?」

 すると、人喰い悪魔は笑い出した。目を閉じて、まるで滑稽な道化師の踊りでも見ているようだ。

「平たーく言えば、って事さ。……無論、君もね。」

 ルーフィンの背に、何やら冷たいものが走る。それが些かの恐怖であると知ったのは、それ程先の事ではなかったのだが。

「君も彼女も、“運命”を敵に回し過ぎたのさ。そんな奴には悲惨な未来が待っている。だが“世界”は慈悲深くも、その未来が来る前に手っ取り早くあの世へ行く為の案内を寄越したんだ。」

 人喰い悪魔の顔から笑顔が消える。

「それが俺だよ、お坊っちゃん。俺は君に不幸が訪れる前に、君を殺さなくちゃならない。だから俺と出会ったんだ。俺に出会うのはみんな、運命に嫌われた罪人ばかりだ。」

 ルーフィンは自分の首筋を、生温かい汗が伝うのをハッキリと感じた。人喰い悪魔の言う事は、恐らく正しい!!「月影の使者」となった自分は、確かに害ある存在。運命は自分に暗い未来を与えようとし、それから逃れる唯一の手段として世界から遣わされた地獄の案内人が、目の前に立っているのだ。



 ここでルーフィンは引っ掛かった。以前ベルドとはぐれた時、あの時確かに、この人喰い悪魔はあの少年と接触していた。人喰い悪魔と出会うのが害ある罪人ばかりであるなら、ベルドは一体何をしたというのだ?ルーフィンは考えた。頭を出来る限り、精一杯回転させた。結果、思いつく事は一つだけだった。


 ──警告。



「飛躍して考え過ぎだ。」、ルーフィンはこの時こう考えた。本当にそうなのかは別として。



「ま、俺がそう思い込んでるだけだけどね。」

 人喰い悪魔はクスクス笑うと、ゆっくり呼吸をしながら闇に塗られた夜空を見つめた。

「今日は星が見えないね。黒い夜は嫌いだよ、ホント。月明かりなんかないのに星すら見えないなんて。」

 人喰い悪魔のこの発言は、ベルドの事で思い詰めていたルーフィンの心を刺激した。この男が幼い少年に危害を及ぼす事を考えたからだ。人喰い悪魔は話を続ける。

「ある──人がね、ちょっと面白い事を言ってたんだ。」




 過去は未来を教えてくれる、のだと──。




 少し言葉に詰まった事から、恐らく彼は敢えて「少年」と表現するのを避けたが、間違いなくベルドの事だった。人喰い悪魔とベルド少年の出会いを見た我々は確信を持ってそう言えるが、月影の使者でさえもそうであると断言出来たのだ。

「だから何だ。未来が見たいのか?」

 ルーフィンは必死に思慮を巡らせている事を隠すように──かなり不自然ではあったが──冷静な口調を装った。


「いいや。俺は。」


 人喰い悪魔の返答は、ルーフィンと違って何の装いもなく、というより別人なのではないかと思う程に純粋な思いから発せられた事が、ルーフィンにも分かった。(忘れてはならないのは、この不思議な男は猟奇的な殺人鬼である。)ルーフィンは驚いた。疑問を持った訳でもなく、怪しんだ訳でもなく。ただ、驚いたのだ。ルーフィンが人喰い悪魔の方を向くと、彼は何かを噛み締めるように目を閉じていた。


「俺はね、自分の未来に絶望しかないのが怖いんだよ。だから1つの望んだ未来に辿り着きたい。……俺の消えてしまった過去には、きっとランビレスが関わっていた。彼女があの国の名を口にした時、不思議と懐かしかったんだ。」


 人喰い悪魔はゆっくり目を開いた。

「俺の過去を知れば、自然と未来も見えるかもしれない。だから、“あの女”にランビレスを滅ぼさせる訳にはいかない!」

 これは人喰い悪魔の言葉ではない。ルーフィンはそう思った。この男の瞳から、心做しか毒々しさがなくなっていたのだ。

「だから俺が、滅ぼさなくて済む方法を探している。」

 ルーフィンはぶっきらぼうに言った。が、すかさず人喰い悪魔が反論する。

「違うね!君は“ドゥリップが死なずにランビレスを滅ぼす方法”を探しているんだ。ランビレスの事なんてどうでもいいんだろ?自分の為に、自分が見下す対象が欲しいだけだろう。」

「何!!」

 ルーフィンは憤慨した。目の前の男に、自分が今まで見せていたデメルザへの敬意を全否定されたのだ。ルーフィンは汗塗れの拳を握りしめた。人喰い悪魔はそんな男を、呆れと憎しみの混ざった眼差しで睨みつけた。が、すぐにあの気味の悪い笑顔に戻る。

「まぁいいさ。痛い所を突いて得意気になる程野暮じゃないし、誰にだってそういう所はあるよね。ごめんよ。」

 あまりの切り替えの早さと、発言を撤回しない姿勢にルーフィンは戸惑ったが、人喰い悪魔はそんな事は気にせず、再び深呼吸をした。

「はぁ。なんかそろそろ消えそうだよ、俺。気がつけば全然違う所にいて、そこには必ず殺したくなるような嫌な奴がいるんだよね。もう、うんざりだよ。」

 人喰い悪魔はニヤつきながら、視線をルーフィンに向ける。

「でも君は殺さないよ。その方がいい結果を招きそうだ。近い内に何か不幸があるかもだけど、その時は頑張ってよね。」

 彼は親しげにそう言った。ルーフィンは何か言いかけて彼を見ようとしたが、その時既に、人喰い悪魔の姿は消えていた。辺りに漂う酒と血の匂いが、彼がそこに居たという証拠だった。


 ルーフィンはしばらく考え込んだ。しかし、色々と情報を整理しようとしても頭がこんがらがってしまい、結果的にその夜は頭を使うのをやめた。


 さて、そろそろ夜が明けそうだ。デメルザ達へと視点を戻そう。

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