第15頁 In an emergency, run away anyway.

 どういう訳かエレーヌの家に泊まる事を許された4人は、騎士団の用意した馬車で目的地へ向かっていた。デメルザとシーラ、オーシャルとマリーナに分かれて馬車に乗り、デメルザ達にはエレーヌが同伴した。

「ちゃんと馬車に乗ったの、初めてだな。」

 デメルザが窓の外を眺めながら呟くと、シーラは不機嫌そうな表情で、

「俺は初めて乗ったよ。」

 と愚痴をこぼした。それを無視するかのように、デメルザはエレーヌに目を向ける。

「いいのか?こっち来ちゃって。」

 するとエレーヌはソワソワと手を弄りまわしながら答えた。

「むしろこっちじゃなきゃ嫌よ。」




「ったく……。ふざけんなよ。」

 一方のオーシャルは、眉間に皺を寄せてブツブツと文句を垂れ流していた。マリーナは煩わしそうに耳を塞ぐ。それもそのはず、この2人に同伴していたのはモーネリアだった。オーシャルが一言文句を言う度に、モーネリアの赤ら顔は血の色を失っていくようだった。

「バカね!閣下の目の前で当然のように文句言うのやめなさい!」

 耐えかねたマリーナが、モーネリアに聞こえないように一喝する。

「あ?うるせぇよ。なんで僕がこんな奴と同じ空気吸わなきゃなんねぇんだよ。」

 マリーナの注意など全く効き目がなく、オーシャルはモーネリアに聞こえる声で、またも愚痴を零した。モーネリアは顔色こそ悪いが、なんとか平静を保っている。

「……身分とか関係なしに、いい加減怒るよ?」

 それもそろそろ限界のようだ。



 日が暮れる間際になり、一軒の小さな屋敷の前でようやく馬車は止まった。オーシャルとマリーナが順に降りるが、モーネリアは座ったままだった。

「あら、閣下はご一緒しませんの?」

 マリーナが尋ねると、モーネリアは妙に爽やかぶって答えた。

「ああ。今晩は用があってな。自分の屋敷に帰らねばならんのだ。」

「そうですか。ご同行ありがとうございました。貴重なお時間を割いて頂いて──。」

「いえ、お気になさらず。マリーナ嬢。」

 頭を下げて礼を言っていたマリーナは、思わず顔を上げて目を見開いた。モーネリアは僅かに口角を上げている。

「マーシュル子爵令嬢が、何故あの者達と共にいるのかは問わないが、せいぜい悪事に手を染めぬようにな。特にあの眼帯の女には気をつけろ。」

 マリーナは更に唖然とした。自分の正体を完全に見抜くばかりか、デメルザが女だとすぐに気づいた。洞察力なのか勘なのか──。

「では。」

 モーネリアは短く挨拶をすると、言葉の出せないマリーナを置いて去っていった。

「すごいわね……。」

 やっと喋れるようになったマリーナは、たどただ感心する事しか出来なかった。彼の洞察力もそうだが、自分の正体を知った上で、余計な詮索をしない寛大さを、ひしひしと感じたのだった。

「おっと、そんな場合じゃないわ!オーシャル!……あら?」

 我に返ったマリーナが辺りを見回すと、オーシャルの姿は消えていた。

「もう、どこいって──あ!!」

 オーシャルの背中が見えた。彼はモーネリアに挨拶もせず、とっととデメルザ達の方へ歩き出していたのだ。

「アイツ……!」

 マリーナはしかめ面でオーシャルを追いかけた。




 エレーヌに連れられて、一行は敷地内へと入っていった。するとすぐに使用人が現れ、屋敷の中へと通される。中はマーシュル子爵の屋敷よりと更に広く、バランスの取れた美しい切り口の、直線的なデザインの大理石が屋敷内の灯りで煌めいていた。ソーノット邸のような抜きん出た芸術性はないものの、思わず見る者の目を釘付けにするような造りだ。が、そんな事を思ったのはマリーナだけである。他の3人にそれを感じる感性はなく、感動する素振りなど全く見せなかった。


「──姉上。どなた?後ろの者達は。」


 突然、屋敷の広間に1人の少女が現れた。小柄ながらも上等なドレスを着ており、匂わす程度に気品があった。しかしその顔つきは、気品や優雅さよりも傲慢さを覚えるものだった。

「父上は庶民を迎え入れるとはおっしゃらなかったのですけれど。」

 少女は冷たく言い放ち、デメルザ達をごみを見るような目つきで睨んだ。

「汚らしい……。」

「あぁ……!?」

 その発言に目を吊り上げたのはデメルザだった。自分の事を美しいと自負する彼女にとって、「汚らしい」などという言葉は許せなかったようだ。

「やめなさい、カレット。」

 エレーヌが厳しい口調で叱ると、少女は不機嫌な顔で広間を出ていった。

「ごめんなさいね。あの子、甘やかされてるのよ。」

「だろうな。」

 デメルザは静かに答えた。まだ怒っているようだ。エレーヌは彼女の顔色を伺いつつ続けた。

「これから両親にお客を入れると伝えるけれど、アンタ達は顔合わせなくていいわ。色々面倒だからね。」

「えっ、でも──。」

 マリーナは気を使うが、エレーヌは手を前に出してとめ、近くにいた女の使用人に何かを告げると広間を出ていった。使用人は4人のもとへ足早に近づくと、落ち着いた口調で話し出した。

「それでは、皆様はどうぞお部屋でお休みください。ご案内致します。」

 4人は使用人の後に続いた。オーシャルは使用人に何か違和感を覚えたが、気のせいだと思ってついて行った。


 4人はそれぞれ別の部屋に通された。最後に部屋に入ったのはオーシャルだった。部屋はやはり、一般平民のオーシャルにとっては落ち着かないくらい広く、立派だった。

「それではごゆっくり。食事の用意が出来ましたら、またお呼びします。」

 使用人はそう言って、ゆっくり扉を閉める。その瞬間、彼女の目線がギラリとオーシャルを刺した。


「えっ…………!?」


 オーシャルが驚いている間に、使用人は扉を閉め切って行ってしまった。間違いなく、自分は今睨まれた。その鋭さと言ったら、シーラの目つきで見慣れていたかと思ったのに、恐怖を感じる程だった。

「……たまたまかな。」

 オーシャルはこう言い聞かせたが、全身を襲う嫌な予感を紛らわすことは出来なかった。




 しばらくして、物音ひとつしなかったオーシャルの部屋の扉を叩く音が鳴り響いた。

「おっ!?」

 オーシャルは驚いて音のする方を見る。扉が開くと、いつも通り真面目な顔つきのシーラが現れた。

「なんだお前かよ……。驚かすな。」

「オーシャル、ちょっとデメルザんとこ来い。」

「あ?」

「いいから。」

 そう言うとシーラは、扉を開けたまま立ち去った。

「なんだよ……。」

 オーシャルは部屋を出ていった。山から漏れ出る西日が、部屋を怪しく照らす。その伸びた光を、真っ黒な影が一瞬横切った。




「なんだ?」

 デメルザの部屋に入ると、そこにはマリーナも来ていた。デメルザは足を組んで椅子に座り、小テーブルに頬杖をついていた。まるで威張り散らす王のような体勢だ。

「揃ったな。よし、今から言う事、よーく聞いてくれ。」

 3人は生唾を飲んで、耳を傾ける。デメルザは一呼吸置いて、静かな声で話し始めた。

「マズい状況になった。このままだと全員が危ない。いいか、絶対に眠るな。なんかあった時、すぐ逃げられるようにしとけ。後、何かもらったりしたら、すぐに捨てろ。」

「飯もか?」

 シーラが尋ねると、デメルザはしばらく考え込んだ。

「……いや。飯はきっと大丈夫だ。だが、とにかく危ない。武器は絶対に持つなよ?戦おうともするな。緊急時はとにかく逃げろ。」

 マリーナは不安そうに尋ねた。

「逃げろって……、何があるのよ?」

 デメルザが深く息を吸って口を開きかけたその時、いきなり扉が開いて使用人が現れた。先程とは違う人物だ。

「食事の用意が出来ました。皆様のみの特別室を設けましたので、ご案内致します。」

 デメルザは使用人の顔を見て舌を打つと、3人に行こうと合図した。誰もいなくなった部屋にはもはや光は射し込まず、何者かが侵入する音が、暗闇に鳴り響いた。

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