第3頁 My life is painful.

「父上、ご用でしょうか?」

 子爵に呼び出されたマリーナは恐る恐る尋ねる。マーシュル子爵の口から、静かな言葉が放たれた。

「マリーナ、ソーノット侯爵への挨拶を、明日済ませてもらう。昼前に出発だ。いいな?」

 マリーナは俯く。しばらく黙ってはいたが、最終的には折れて、囁くように返事をした。

「…………はい。」




 デメルザ達はテベールの大きな酒場へと移動していた。ロットバーンズのものと比べられるくらいの活気だ。

「結局ココなのな。」

 シーラはチビチビと飲みながら言った。デメルザは椅子にふんぞり返っている。

「ここ以外だと、お前みたいなクソ真面目野郎しかいねぇんだよ。そういう奴は口かったいからさ!」

「そうそう。だからな!!」

 オーシャルが同調すると、2人は得意気な顔で肩を組む。シーラは呆れつつ言葉を続けた。

「あと、俺らを捕まえると結婚しなきゃならなくなるって、ありゃなんだ?」

 デメルザは手を頭のそばでグルグル回す。

「さぁ?なんか適当に言ったからよく分かんねぇや。冷静に考えてみりゃ、意味不明だった。」

「いい加減なんだか、適当なんだか……。」


 デメルザは適当に聞き流すと、柄の悪い3人男達が座っている席へと歩いていった。

「よお!!なぁ、ちょっと混ぜてくれよ。聞きたいことがあんだ。」

 男達は酔っているせいか、やけに気前よくデメルザを迎えた。

「なんだ、兄ちゃん?この辺の女はみんな強気でいかんぜ。もちっと女々しい方が良いなら、他を当たった方がいい。」

「そうそう!俺なんかこの前、声かけただけなのにぶん殴られたんだぜ?ほらココ!」

 男の1人が、袖を捲ってあざを見せる。

「ヒュ〜!!ひっでぇ!」

「こりゃ、訴えていいぜ!!」

 男達は大声で笑う。デメルザはしかめっ面で見ていたが、ふと我に返ると、笑顔を作って話した。

「いや。女の事も良いんだが、別の用件なんだよ。1番の物知りどいつだー?」

 すると、先程痣を見せていた男が名乗り出る。

「おう!俺に任せなよ、兄ちゃん。酒の美味い店教えてやる。ここだ!!」

 男達は尚も笑う。デメルザの顔は一段と険しくなった。


 ドシャン!!!


 酒場から声が消え、静寂が辺りを支配した。全員が大きな音の方を見る。そこには、凄まじい形相でテーブルに拳を叩きつけたデメルザがいた。彼女は1度ため息をついてから、大声で叫ぶ。

「あぁ、悪ぃ。ハエを逃がした!」

 酒場は再び、騒ぎ声で溢れた。呆れたような声も聞こえる。


 デメルザはドスンと椅子に座ると、男達を見つめた。本人達はすっかり酔いも覚め、たじろいでいる。

「すまんすまん。で、何が聞きたい?」

 デメルザは少し落ち着いた顔をすると、軽く辺りを見回してから小声で話し出した。

「“虚ろの者”について、知ってる事を教えてくれ。」

 痣の男はハッとすると、デメルザに顔を寄せる。

「これは確信じゃないぜ?なんせ俺も会ったこたぁねぇんだ。だが、怪しい所はある。」

 後の2人も顔を寄せて聞き始めた。

「“ソーノット”だ。ソーノット侯爵っつう貴族様の屋敷が、テベールを北東に行った所にある。噂によっちゃあ、そこに忍び込んだ盗賊か何かが、たまたま虚ろの者に出会っちまって、そのまま行方不明になったとか。再び姿を現したのは、3週間も経った時の事だったらしい。」


 デメルザが口を挟む。

「例の、質問か?」

「ああ。なんでも、その盗賊はそれ以来、全くもって盗みを働かなくなったらしい。その代わり、一日中路地端で泣いてるらしいがな。」

「どんだけキツイもん持ってくんだ……?」

「さぁな。だが、あんまり関わらない方が良いぜ。ソーノットは変わりもんらしいからな。」

 デメルザはしばらく、顎を手を置いて考え込む。やがて笑顔を浮かべると立ち上がって、

「OK、ありがとよ。」

 と言って、シーラとオーシャルの元へと戻った。


「収穫あったか?」

 オーシャルが尋ねる。シーラも黙って彼女を見た。

「豊作……とは行かねぇが、良いもん手に入りそうだ。」

 デメルザは不敵な笑みを浮かべた。




 翌日──。


 太陽が昇りきらない内に、マーシュル邸では出発の準備が進められていた。一層素晴らしいドレスを身に纏い、髪も綺麗に整えたマリーナが、屋敷から出てくる。パッとしない表情だ。

「いいか?くれぐれも粗相のないようにしろ。」

「分かってますわ、父上。ご心配頂かなくて結構です。」

 父の言葉にも、マリーナはそっけなく返す。

「それでは。」


 マリーナは馬車に乗り込むと、御者の鞭で馬が走り出した。彼女を乗せた馬車は、東に向かってどんどん屋敷から離れていく。それも、やがて地平線の点となり、ふつと消えた。使用人の1人が口を開く。

「ご心配なさらずとも、マリーナ様はしっかりしたお方ですよ。」

 子爵は首を横に振る。

「いや。あの子に関しては……、そう上手く行きはしない。」



 マリーナは馬車の窓から外を眺めていた。通っている道以外の広大な地に、柔らかな草が生い茂り、黒々とした樹林が集まって、点々と森を作っている。青い空には雲一つなく、地平線からそびえ立つ山々を曇らせるものは何も無かった。


 そんな景色も過ぎて行く。1枚の絵のような景色すら、マリーナの記憶には残らなかった。脳裏に焼き付ける前に、目に映る風景は目まぐるしく変わってしまう。


 彼女は考えていた。この風景と同じように、世界も人も簡単に変わってしまうのだ。良き両親と兄姉に恵まれ幸せだった生活も、母の死と、姉達の嫁入りによって奪われてしまった。優しかった父も、母が亡くなった時に面影を失くし、兄達と何人かの使用人も、あんなものによって命を落としてしまった。


 日差しが照りつける夏の日。いつの日かまた、この光が遮られ、大地が凍てつき、人を訳の分からぬ恐怖に貶める瞬間ときがやって来るのだ。

「はぁ……。嫌ね。生きるのは辛いわ。」

 マリーナは大きくため息をつくと、パタリと窓を閉めた。



 一方、それを遠くから眺める者達がいた。3人組だ。言わずもがな。

「お?あの馬車、行き先がご一緒じゃないの!失礼しようぜ。」

 デメルザは2人に告げる。

「おい、失礼ってなんだよ?」

 戸惑うシーラに、デメルザは指を鳴らして答えた。

「無賃乗車。」

「えっ!?」


 デメルザはタイミングを見計らって馬車の後ろに飛びつくと、ガッシリとしがみついた。当然シーラは愕然とした。

「アホがいる!!」

「いいね!アホらしい事大好きぃ!!」

 オーシャルも嬉々として後に続いた。

「おーい!シーラ、いいのかー?乗り遅れるぞー。」

 デメルザの言葉に苛立ちながらも、シーラは渋々走り出した。思いきり跳び上がり、馬車にしがみつく。


 ──が、その時。

 ドスッ!!


「おおぉぉぉぉ!?」

 シーラは勢いよく後ろへ吹き飛んだ。オーシャルがシーラの腹部を蹴り飛ばしたのだ。

「バーカ、ざまぁみろー!!」

「Nice!!」

 オーシャルとデメルザはハイタッチをし、シーラを見つめて叫ぶ。

「じゃあ、シーラ!頑張れよー!」

「もう2度と来んな、ボケー!!」



 シーラは身体を起こすと、離れていく馬車を見つめながら呟いた。

「あいつら、絶対後でぶん殴ってやる……!!」

 馬車を追いかけ、走り出す。

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