第5頁 It may be destined turn if I meet you somewhere again.
デメルザ達は、シーラの弟・オーシャルに連れられ、島の中に建つ一軒の家を尋ねた。いたって普通の家だったが、ここに17年前「暗雲」の被害にあったという人物がいるらしい。出発の準備が整った頃には、やや日が傾いていた。
オーシャルがノックしようとすると、脇からデメルザが割り込み、扉を乱暴に開けて中へ飛び込んでいった。
「え? ちょっと、何よあなた!」
中にいた女性は慌ててデメルザを押さえるが、いつになく真剣な眼差しの彼女を止めることは出来なかった。部屋の奥には一人の老人がベッドに座り込んでおり、デメルザは彼の前に仁王立ちした。
「これはまた、随分と元気な若者だ」
その老人は介護を要する程年老いてはいないように見えたが、そばにある小さなテーブルに皿や酒瓶、本などが無造作に置かれていることから、あまりベッドから出ていないように思える。しかし、デメルザにそういったものを目にする余裕はなかった。
「どこへ行った? 言え」
デメルザはいつもより低いトーンで問いかける。顔つきも険しい。
「ん? わしの酒か?」
「違う。“暗雲”だ。17年前に見たと聞いたぞ」
老人はやんわりと微笑んだ。
「お若いの、そんなことは知らんでいい。ただじっとアレが過ぎ去るのを待てばいいのだ」
デメルザの表情は一層険しくなった。その目には、どこか卑屈な色が滲み出ている。
「いいから話すんだ! そうでなければ困る。何故だ? 喋りたくない理由はなんだ?」
老人はしばらく呆然としていたが、やがて深刻な顔で、体にかけていた布団を剥ぎ取った。そこにあったものは、一行の想像を絶するものだった。
ベッドに横たわる老人の右足。しかしその隣に片割れはなく、空になったズボンの裾が寝ていたのだ。
老人は脚がない方のズボンを捲りあげる。付け根近くに、切断された脚があった。いや、切断されたのではない。断面は食いちぎられたように
「17年前、わしは牛を飼っていてな。外に出て、その日の仕事をしていた。いつも通りの日だと思ったよ、その時はな。まさかあんなものが現れるとは、誰も思っとらんかったんだ」
一同は老人の話に聞き入った。デメルザの顔は、どんどん深刻さを増す。
「陽が昇りきる前だった。突然辺りが陰り、不審に思ったわしらは慌てて空を見上げた。そこにあったものは、今でも恐ろしい。穢らわしい世界の毒に他ならない!」
老人は頭を押さえると、1度気を取り直した。
「──雲だ。真っ黒い巨大な雲が、空1面を覆っていた。この世の終わりのような、なんとも禍々しかった……。だがその直後、ある事に気がついて、わしはもっと恐ろしくなった」
老人は布団をギュッと握りしめる。
「牛が、わしの連れていた牛達が、次々と消えていたんだ。跡形もなく!そして空の雲が、わし目掛けて突っ込んできた。わしは身の危険を感じて、咄嗟に家に駆け込んだ。だが遅かったのか、雲はわしの左脚を飲み込んでいった。苦痛などという感覚はない。しかし、わしの脚はなくなっていたのだ」
老人は一言ひとことを噛み締めながら話していた。老人以外の誰も、口を開く事は無い。みんな黙って聞いていた。
「その後知ったことだが、あの日外に出ていた者はみんな死んでいったらしい。……身が震えた。仕事が出来んので、ヤーハッタに住み着いたが、あと一歩遅かったら──」
「思い出話を語れとは言ってないぞ。それがどこへ行ったのかをさっさと話せよ」
遂にデメルザが口を開く。苛立った口調に反して、表情は怯えているようには見えた。
「北東だ。定かではないが、確かその辺りに行った」
老人がそう言うと、デメルザはやっと表情を崩した。
「それを早く言えよ! 老いぼれのくせして焦らすような真似をするな」
デメルザはそう怒鳴りつけると、シーラとオーシャルの方を振り返った。
「よーし!!用は済んだし、戻るか。また大陸に行かなきゃだな」
「おい、まさかまだ付き合えってのか?」
シーラが聞くと、デメルザは顎を触りながら答えた。
「いいや。ここまで来ればもういいよ。弟連れて帰れ」
「あ、そう……」
「ただし、オーシャルくんに頼まれてほしい事がある! ──あたし用の船、どうにか用意して。沈んじゃったから」
デメルザに指を差されると、オーシャルは露骨に嫌がった。
「はぁ? やだよ、そんなん」
「まだ30枚返してもらってないよな? 船の手配してくりゃ、それでチャラにしてやっかもしれんよ。ほれ!」
脅迫じみた口調で、デメルザは詰め寄る。オーシャルはしかたなく承った。
「でも、明日は暗雲の日だぞ。船出して大丈夫か?」
シーラの問いに、デメルザは凍りつく。忘れていたようだ。
「なら、うちに泊まっていけ。もう夜になるし、どっちにしろ外には出れんだろ。」
老人が優しく言った。
「カリン。3人の寝床を用意してやれ。」
老人は入口付近に立っていた女性にそう告げるが、女性の方は怪訝な表情を浮かべている。
「いいの? 打ち解けた空気になってるけど、初対面にも程があるわよ」
泊まった家の人は、食事や清潔な寝床で暖かくもてなしてくれた。兄弟2人は、他人の家で過ごすのは苦手のようだったが、それなりに楽しんではいたようだ。
夜も更け、民家は静寂に包まれる。デメルザはこっそり家を抜け出し、町へと出ていた。いつもはやかましい程賑わうのに、今日に限って活気がない。デメルザは酒場へと入っていった。今日飲めなかった分を補おうとしたのだ。
酒場の中も、やはり数人しかいなかった。それだけ、酔っ払いの話し声が鮮明に聞こえる。暗雲の日のことをすっかり忘れているようだ。
するとデメルザは、店の奥、カウンター席に横を向いて座る男を見つけた。妙な出で立ちだ。傷んだブルネットの髪は毛先の方で括り、頭には破いた白い布を巻いている。コートの下にきた服は、庶民にしては高級そうだ。──だが何より妙なのは、頭の布や服のあらゆる所に「血がついている」事だった。しかもまだ赤く、つい最近ついたように見える。男本人も、よく見ると顔や指──素肌の見える部分には、いくつものザックリとした深い切り傷がついている。これも新しそうだが、血は出ていない。
男は酒瓶から、左手に持った杯に酒を注いだ。利き手は左なのだろう。男は近づいてきたデメルザに気がつくと、瓶と杯を持ったまま、動きを止めた。
「君、酒は好き?」
男は突然問いかけた。酔ってもおらず落ち着いているが、やけに楽しそうだ。
「そこそこ。」
デメルザは短く答え、男の2つ隣に座った。
「いいよねぇ。発明した人は天才だと思うんだ。」
男は依然として静止したまま、淡々と話し続けた。淡い若葉色の瞳。優しい色合いなのに毒々しく思えるその目は、夢を見ているかのようにうっとりとしていた。……目だけが、だ。
「辛い事があった時はね、ものすごく強い
デメルザが黙っているのをいい事に、男はウキウキと話す。デメルザは少し苛立って口を開いた。
「今日は人少ないな。」
男はキョトンとした。
「そうなの?俺が来る時ってどこでもこんなだから、これが普通だと思ってたよ。」
男はクスクスと笑う。
「ま、暗雲の日が近いからなんだろうけどね。」
「お前はいいのか?帰るタイミング逃すと、明日一日中ここにいることになるぜ。」
男は椅子の背もたれから背中を離した。
「君もだろ?」
するとデメルザは立ち上がり、男の持っていた杯を奪って一気に飲んだ。
「確かに。じゃ、行くかな。」
そう言うとデメルザは杯をカウンターに置く。彼女の行動に動揺するも、男は穏やかに微笑んだ。
「じゃあね。ないとは思うけど──。」
男は一旦言葉を切ってから、カウンターに置かれた杯を持ち上げる。
「君とまたどこかで会ったら、それは運命の巡り合わせかな?そんな予感がするよ。」
男の言葉を深く考えることなく、デメルザは去っていった。
「ごちそうさん。」
デメルザが出ていくと、男は手を持った杯をまじまじと見つめた。先程の夢を見ているような目つきではなく、現実を直視したようなハッキリとした目だった。しばらくして男はその杯を、
──カラン。
後ろに放り投げると、酒瓶から直接酒を飲む。そして酒が無くなると、仰け反るようにして座り、瓶を持ったまま両手を下にだらんと垂らした。
静かで不気味な笑い声が聞こえる。
「フ……フフフフフッ……!」
彼のすくそばの床には、赤い液体が垂れていた。
民家に戻ったデメルザは、音を立てぬように部屋に入った。何も聞こえない。起こしはしなかったようだ。
しばらく座り込んでいると、突然空気が冷え込んだ。肌が寒さでピリピリとする。部屋に飾ってあった花の水も凍ってしまった。
「暗雲の日……来たか。」
デメルザはそう呟くと、締め切った窓を見つめて不敵な笑みを浮かべた。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます