第2頁 Without a resolution to abandon my Life, I'm not alive today.

 デメルザ・ドゥリップと名乗るその人物は、参ったかと言わんばかりに得意気な表情を浮かべた。怒りに顔を歪めていなければ、かなり整った顔だということが分かる。デメルザはコートの裾をサッと払うと、

「さて、マジで行くからよ。デメルザ・ドゥリップ、覚えておけば人生悔いなしだぜ。」

彼女はそう言うと、いつの間にやら持っていた小さな袋を見せびらかした。振ると何やら硬いもののぶつかる音がする。


「あっ!!」

 シーラは思わず声を上げると、自身の腰元を探った。あるはずのものがないのだ。

「テメェ、俺の金だろ!!」

「分かりやすいとこに入れとくのが悪いんだぜ。残念It's too bad!!」

 デメルザは指を鳴らしてそう言うと、脱兎のごとく逃走した。

「あ、おい! コラ待て!!」

 シーラは慌てて追いかける。



「──どこいった?」

 店の外に出ると、なんとデメルザの姿はどこにもなかった。市場は混みあっていたものの、たった今駆け出した人間を見失うような状況ではないのだが、シーラは見失ったのである。辺りを見回すも、市場に集う人々の間からあのマゼンタコートが見える事はなかった。

「クソ……。」

 シーラ静かに悪態をつくと、仕方なく家に戻っていった。



「ハン!バカだな、アイツ。こんな簡単にいくとは思わなかったけど。」

 デメルザはシーラの後ろ姿を見つめていた。彼はシーラが出て来ない内に、酒場の屋根へ素早く登っていたのだ。デメルザは奪った金袋をおもむろに取り出すと、収穫を見ようと中を覗いた。

「さぁて、どんなもん──ハァッ!?」

デメルザは愕然とする。

「銅貨3枚? パン1かけ程度の金額かよ。クソッ、儲かってるくせしてケチりやがって!」

 デメルザは怒って袋を爪が手に食い込む程握りしめ、拳を屋根に叩きつけた。砕けて落ちた屋根の欠片には、僅かに赤い染みがついていた。デメルザはしばらく大きく息をしていたが、やがて薄ら笑いを浮かべて立ち上がった。

「まぁ、いいかな。今回は許してやるよ。デメルザってば、優しいーっ!」

 コートの人物は高らかに笑いながら、屋根伝いにどこかへ去っていった。



 シーラは家に戻ると、魚を出し終わった木箱に勢いよく座った。表情は険しくため息もつき、纏めた髪が跳ねるまで頭を掻きむしる。

「どうした? また髪型がダサいってからかわれたのか?」

 父親は客を待ちながら陽気に尋ねた。シーラは頭を掻きむしるのをやめ、頬杖をついてぶっきらぼうに答える。

「……金盗られた。」

「盗られたって、お前ケチって少ししか持ち歩いてないだろ。犯人、可哀想だな!」

 父親は笑って流すが、これはシーラを酷く不快にさせた。無駄に使ってしまわぬよう少額しか持ち歩いていなかったのは事実だが、盗難に額など関係ないのだ。彼はそう考えていたので、父の言葉には舌を打ち、またもや悪態をつく事となった。

「……有り金全部盗られちまえ。」

「まぁそういうな。ほれ、まだ向こうにある奴、こっちに運び出してくれ。それが済めば、今日は大体終わりだな。」

 シーラはもう一つため息をつくと、重い腰を上げて品を運び始めた。父親の軽薄な態度に生真面目な息子が苦い顔をする。いつも通りの光景である。



 シーラが品を運び終えた頃には、日はとっぷりと暮れていた。ロットバーンズでは夜市はやらないので、この時間帯になると客足も途絶える。

 シーラは一息つこうと、港を歩き出した。夜間に出航する船の周辺以外は、しんとした空気が漂う。昼間の暑さもあって、海風が心地よかった。


 するとシーラはある事に気がついた。


 彼自身も漁に出る事はよくあるので、港の船は散々に見慣れている。だが1隻、どうにも見慣れぬ船がポツンと停まっていた。シーラが怪訝な顔で見ていると、その船のそばに人影が見える。シーラはハッとした。


 ──紅紫色のロングコート。デメルザだ!


 デメルザは深刻そうな顔つきで船を見上げていた。いや、もしかしたら空を見ていたのかもしれないが。いずれにせよ、彼の姿には先程までの飄々とした雰囲気は、全く漂っていなかった。


 シーラが寄ろうとすると、デメルザも彼に気づいた。振り返ってシーラを見つめる彼の顔は、気のせいか、可憐な少女にも高貴な乙女にも見えた。しかし、しばらくするとデメルザは再びあの邪悪な笑みを浮かべて、どこかへ去ってしまった。

 シーラは呆然としていた。何がそうさせたのかは分からない。



 ──翌日。


 昨日に引けを取らない程、今日も市場は賑わいを見せていた。相変わらず店員達は忙しい!

「シーラ!!そこの取っとくれ!モタモタしないで!」

 気の強そうな女性が叫ぶ。シーラの母親だ。

「怒んなよ。まだイライラしてんの?」

 シーラは頼まれた魚を渡しながら問いかけた。母親は忙しなく動いている。

「文句言わない!!忙しいんだよ、分かってんのかい!?」

「へいへい。」

 シーラは適当に受け流す。


 今日は酒場で騒ぎがあったとは聞かない。デメルザは現れていないのだろうか?それとも単に気を悪くしていないだけか?──少なくとも不思議な人物だ。本来ならただ厄介なだけの人間に思えるはずが、彼の事が気になって仕方ない。恋や興味とはまた違う、何らかの魅力があるのだ。

「なんだ……?」

 シーラは頬を叩いて仕事に励む。



 やがて今日の仕事も終え、シーラは片付けをしに船の近くへ行った。昨日デメルザがいた場所を無意識に眺める。


 すると、デメルザはそこにいた!


 相変わらず船を──いや、今度は間違いなく空を見ている。シーラもつられるように見上げてみた。雲一つない青色と、炎のような赤色が混ざりあっている。


 シーラは盗難の件について文句を言うため、デメルザの方へ歩いていった。今回は、デメルザも逃げない。

「なんだ?昨日からジロジロと。」

 デメルザは笑いながらシーラに問いかける。シーラは苛立って、歩きながら答えた。

「なんだ?じゃねぇよ。金返せ!」

 デメルザは呆れたようにシーラを見つめる。

「あ?銅貨3枚がそんなに大事か?」

「あるだけ違う。」

「ハン!商売人はめんどっちぃなぁ!」

 デメルザは明らかに嘲笑っている。


「……これ、お前の船か?」

 シーラは船を見つめて尋ねた。よく見ると、他の漁獲船よりもはるかに立派な帆船だ。うごかすのには相当な人数がいるはずだが……。

「停めちゃ悪いのか?じゃあ、どっかに書いとけよ。」

「いや、別にいいんだが……。」

 シーラはしばらく考え込む。デメルザは如何わしい顔をしている。

「なんだよ。」

「お前、コレ動かせるか?」

「ハ?なんで?」


「──乗せてほしい。」


 デメルザは黙りこくってしまった。だがシーラの目は真剣だ。

「……なんだって?」

「お前の船に乗せてくれ。」

「ヤダ。」

 デメルザの表情は、完全にシーラを厄介者と見ているものだった。

「なんで乗りたがるのかは知らないけど、見ず知らずの人間を──。」

「弟がいるんだ。」

 デメルザはシーラをひしと見据える。シーラの顔は曇っていた。


「3年前、両親と揉めて出ていったんだ。船を勝手に使って……。お袋はそれでヒステリックになっちまったし……。どうにか、ソイツを連れ戻したい。」

 デメルザはしばらく腰に手を当てて考え込んでいた。その間、シーラはじっとデメルザを見つめる。

「お前ん家の船じゃダメなの?」

 デメルザが尋ねると、シーラは首を横に振る。

「仕事で使う。アイツに持っていかれた分、ここのは使えない。」

 シーラの声は重く響いていた。しかし、デメルザはため息をついて肩をすくめる。

「ダメだダメだ。親御さんが許してくれる訳ねぇだろ?」

「何とか話を──。」

「親ってのは、この世で1番意味の分かんねぇ生き物だぜ?表向きは気を使って許してくれても、裏では真反対の事考えてんだからよ。気持ちわりぃ。」

 その言葉に、シーラは眉を吊り上げた。

「そんな言い方──。」

「注意!!“あくまで個人の感想です”。」

 デメルザは両手を顔の前に出して、シーラの言葉を遮り続ける。

「とにかく、やめとけ。命を落としても知らんぞ。」


「命を捨てる覚悟もなしに、俺は今日を生きていない。」


 デメルザはしばらく黙っていたが、遂に頭を押さえて口を開いた。

「こっちの手伝いもしてもらうぞ。」

「手伝い?」

 デメルザは正面に向き直る。海からの風がサッと吹き、彼の前髪をなびかせた。その下にあったものは、左と同じ青い目ではなく、真っ黒な眼帯だった。


「あたしは、。テメェにはそれの手伝いをしてもらう。レディーのエスコートだ。すぐには帰さねぇぜ。」


 シーラは愕然とした。

「レディー!?」

「あ?なんだよ?」

 シーラは我が目を疑った。よく見ると女に見えなくもないが、いや、やはり男にしか見えない。

「女……なのか……。」

 デメルザは呆れたように肩を落とす。

「お前もか!まぁいいけど。こんななりだしな。」


 デメルザは不敵に笑う。

「夜明け前だ。せいぜいそれまでに、ママに抱きついてろよ。ジェイソン。」

「“シーラ”だ。」

 シーラは腹を立てて言った。この女は自分の事を舐め切っている。

「そうなの?覚えにくいなぁ。シーラ……シーラ……。シーラ……何?」

「“クロックメイカー”。」

 デメルザは困惑した。

「クロック──、お前ん家何してんの?」

「漁業だよ。時計は作ってない。」

「あらそう。」

 デメルザはキョトンとした顔をする。

「じゃ、ミスター・クロックメイカー。さっさと帰って顔見せてやれよ。お前がここに来るのは最後かも知んねぇぜ?」

 と言うとデメルザは、シーラの背中を強引に押して、彼を追いやった。親切心はないようだ。



 家に帰ると、仕事を終えた両親は2人で食卓にいた。シーラに気づくと、2人は温かく迎えてくれた。

「シーラ。何かあったのか?」

 父親が心配そうに尋ねる。しかし、シーラは本当の事が言えなかった。こんなに自分を大事にしてくれる両親を、悲しませたくなかったのだ。彼は言葉をはぐらかした。

「いや、別に。帰りが遅くなったから……。」

「そうか。大丈夫だ。お前の事は信用してるよ。」

 父も母も笑っている。シーラは胸が痛んだ。


 ──真夜中に目が覚めた。物音はしない。両親は寝ているだろう。やはり躊躇いはあるが、1度決めた事を取りやめるのは男ではない。彼は覚悟を決めた。そして、両親を起こさないように、荷物を持ってソロソロと出口へ向かう。

 すると、テーブルの上に何かを見つけた。暗くてよく見えないが、月に照らされてやっと分かった。


 そこに置いてあったのは、金の入った袋と水の入った水筒、母の手料理、そして巨大な手を嵌める式の鉤爪だった。そばに1枚の紙が置いてあり、


grandpa's爺さんの


 と書かれていた。シーラの祖父が昔使っていたという鉤爪で、父が大切にする余り、触らせてもくれなかったものだ。

「……ありがとう。」

 シーラはそう呟くと、両親が用意してくれた物をまとめて、そっと家を出ていった。腰には鉤爪を着けて──。



 家を出ると、まだ明るくはなっていない。シーラは先程の場所へ向かう。デメルザはまっていてくれた。

「……来やがったか。」

 彼女は意地の悪い笑みを浮かべると、シーラが到着する直前に、波止場を蹴って船を出した。錨は既に上がっていたのだ。

「あっ……!!」

 シーラは慌ててジャンプし、どうにか船体にしがみつく。


「やるねぇ。」

 やっとの事で甲板に上がったシーラに、デメルザが言い放つ。

「ふざけんなよ……!」

「ハハ!まぁ、いいだろ?それよりも、ちゃんと見とけ。故郷との別れだ。」

 シーラは振り返る。そこには遠くに見える見慣れた町並みが、赤い光に照らされていた。1度も故郷を離れた事のない彼にとって、それは不思議な光景だった。


「おい!」

 デメルザがシーラの頭を叩く。

空想デイドリームは嫌いだぜ。夢を見るべきなのはナイトだろ?」

 シーラはフッと微笑んだ。

「分かってるよ。」



 こうして、片目の賊の本当の旅が始まった。しかし忘れてはならない。この旅は、大きな歴史の一片に過ぎないということを。



 物語は既に、始まっている──。

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