Dark Clouds

詠村 ハミア

第1章 In Maydia

第1頁 I'm Demelza. Yeah, Demelza Dlip.

 少女は問うた。

「人はどうして悲しむの?」

 返ってきた答えはひとつ。

「世界が悲しませるからさ。」



 あの時、少女が愚かでなければ。あの時、少女に才がなければ。あの時、少女の目が滅びと憎しみを映さなければ。世界は今、どうなっていたのだろうか?


「過去を見るか、未来を知るか。星は道を指し示し、月は笑って妨げる。太陽が姿を隠したその時、血と涙は流れで、の王はやがて、希望と死の苦しみを知る。


 最期の王は闇をもたらし、そして光を示すだろう。」


 あの時読まれたこの予言。ここから全てが始まった。




 港町ロットバーンズ。メイディア公国の最西部に位置するこの町は、今日も夜明けと共に目覚めた。この辺りでは複数の海流がぶつかる為に、魚介類に関してはこのメイディア公国で随一の収穫量を誇る。そればかりか、内陸に行けば肥えた土のおかげで農作物もよく育ち、ロットバーンズを活気づかせている。まさに世界に恵まれた理想郷である。


「よぉ! 久しいじゃないか。どうした?」

店の主がそう言えば買い物に来た女は、

「色々あってね。あ、そのスズキくれるかい?」

と答え、また別の店主が、

「なぁ、お前!こっちのニシンもどうよ? 良いのが捕れてるよ」

などと呼び掛ける。市場での競り、客同士の世間話、売り子の客引き、飲んだくれの喧嘩──。そんな人々の声は、空に向かって高らかに叫ぶ海鳥の声と、海岸や停泊している船に打ちつける波の音と混ざり合い、町全体を埋め尽くす。いつも騒音でいっぱいのこの街も、今日は例を見ない程の賑わいだ。



 無論、賑やかな彼らのみで商売が成り立っている訳ではない。華やかな市場の裏で汗水流しながら働く男達が買い物を楽しむ者に気づかれる事はない。今日も市場が賑わう最中さなか、朝の漁を終えた5隻の船が白い帆を膨らませ、ひっそりと港に到着した。その船を見ると、ある1人の青年が駆け出す。


「親父! 親父!!」


 その青年は、1つに縛った長い金髪を振り乱し、漁船に向かって叫んだ。ズボンの左裾はブーツに収まっておらず、だらしない印象を与えるが、彼の表情からは真面目で誠実な本性が見て取れる。


「親父! なんかヤバイぞ、今日は。人手が足んねぇよ!!」

 青年は1隻の船を緑色の目で鋭く見据えている。するとそこから、恰幅のいい薄汚れた男が現れた。青年の髪と同じ色をした立派なヒゲを蓄え、海の男さながらの風格を示しているが、青年と違いおおらかな雰囲気を纏っていた。


「なんだシーラ。何が足りない?」

「人手と品全部! とにかく急げよ。お袋がぶっ倒れたら、俺知らないからね」

 シーラと呼ばれた青年は魚の入った箱を3つ積んで持ち上げると、市場の方へと全速力で駆けていった。

「分かった分かった! 忙しい奴め……。ふぅ、全く暑くて敵わんよ。“暗雲の日”が存在しないのかと思うな」

 父親は汗を拭いながら愚痴とを済ませると、船員たちと共に市場へ急いだ。



 さて、こんな日に賑わうのは市場だけではない。酒場である。そこは広間にいくつものテーブルと椅子が置かれ、昼間だというのに、酒を飲み交わす者達で溢れるのだ。奥には厨房があり、ここではロットバーンズ産の新鮮な食材で作られた料理が多く並ぶ。それらをつまみながらの発泡酒が、この店を人気たらしめている。


「エリナちゃーん、今日も可愛いねぇ」

 1人の男が顔を赤らめ、回らない呂律で話しかける。相手はこの酒場の看板娘である。快活で人柄の良い彼女は町でも人気者で、彼女目当てで来る客も多い。パッと明るい表情とサッパリとした性格が、男の心を掴むのだ。

「もぅ! ジェーラスさんってば、お世辞がうまーい! でもあんまりそう言ってると、またお父さんが怒っちゃうよ」

 すると店の奥から声が聞こえた。

「エリナ!! 何してんだ、早くしろ。また不届き者に声かけられてんのか? チンピラになんか嫁がせねぇぞ!」

「ほら、怖ーい」

エリナはくすくすと笑いながら、父親に返事をすると、

「じゃ、もう行くから。ごゆっくり!」

 と言って奥へと走っていった。



 そんな酒場に、さらに新しい客が訪れた。しかし──。


「おぉーい!!」


 十数人いるか、男達は突然酒場に押し入ると、他の客を押し退けて店の奥へと進む。あんなに騒がしかった酒場も一気に静寂に包まれ、客の赤い顔は凍りついたように真っ青になった。

「店主はどれだ?」

 彼らの親玉と思わしき大男が、静かに口を開いた。男はあまりいい格好をしていないが、似合わぬ華美な装飾品と短剣を下げ、手に持った拳銃を見せつけていた。先程客に怒声を浴びせていた店主も、この時だけは警戒して恐る恐る前へ出る。

「テメェか。まぁいい酒を寄越せ。何、こちとらただ1杯嗜みに来ただけよ」

 男が周りを睨みつけて威圧していると、エリナが腰に手を当て躍り出た。

「悪いけど、ほかのお客もいるから席に座って待っててくれる? お代は後で──」

「お代!?」


 男は突然、銃の口をエリナに向けた。鋼ように冷たい空気が辺りを満たす。男達はニンマリと口角を上げた。

「おい嬢ちゃんよぉ……。マジで言ってんのか、それ?」

 その瞬間、男は自分の左側の席に座っていた人物に向けて引き金を引いた。冷たい空気の砕ける音が心臓を揺さぶる。幸いな事に、弾は哀れな被害者をすんでの所で外し、持っていた杯に命中した。弾の通った穴が1つ、そこから酒がトプトプと流れ出る音が響き渡った。

「アンタもこうされたくはないだろ? だったら早くしな」

 エリナと店主が身構える。ゴロツキ達はじりじりと距離を詰め始めた。


 すると──。


「おいおいおい、ちょっと待たないかい?」

 突然声がした。声の主は、銃に杯を撃たれた例の人物だった。紅紫色マゼンタのロングコートの下には胸元を大きく開けた白いシャツしか着ていない。長い前髪を右に流しているため、周りからは左目しか見えないのだが、深く鮮やかな青──藍方石アウイナイトのような瞳が、目の前のならず者達を見据えていた。その人物はゆっくり立ち上がると、左足のつま先で床をコンコンと叩きながら話し出した。


「状況を整理しようか? お前たちは酒を飲みたい。しかも、タダで。タダでね! 思うんだが、それはとても素晴らしい事だ」

「あ? なんだテメェ?」

親玉が睨みつけると同時に、酒場がどよめきで溢れる。コートの人物は周りの目など気にも留めず、つま先を打ちつけ続けていた。

「だがしかし、お前はタダで飲みたいが為に、その辺にいた無関係な人物の酒飲みタイムを邪魔したと。ここまで分かるぅ?」

「ゴチャゴチャうるせーぞ!!」

 突然、ゴロツキの1人が剣を抜いてその人物に襲いかかるのだが、彼は負傷させる事も出来ぬまま、なんなく蹴り飛ばされてしまった。吹き飛ぶゴロツキにぶつかったテーブルと椅子が辺りに散乱する。そしてコートの人物は親玉を一切隠さぬ嫌悪を表情で睨むと、酒場のどこにいても聞こえる声で叫んだ。

「ロットバーンズの諸君! この常識知らずのブ男共がいい子ちゃんになるとこ、見たいかぁ!?」

 酒場の中が歓声で埋め尽くされた事を合図に、飲んだくれ達が一斉に乱闘を始めた。ゴロツキとコートの人物はもちろん、全く関係のない者たちまでが殴り合いを始めたのである。

「やれやれ、最近なくなったと思ったのに……」

父親が乱闘に野次を飛ばす中、エリナは呆れたように肩を落とすと、厨房にある裏口から店の外へ出た。



 この騒ぎは、一瞬でロットバーンズ内に広まり、市場にいた者も乱闘を見に酒場へ集まってしまったので、市場は静まり返って遠くの騒ぎ声と波の音が聞こえるのみとなった。客が消えて暇になった店員たちの何人かも、特にやる事がなくなったのと、久しく激しい乱闘に興味が湧いたのとで、やはり酒場に向かった。

「おい、シーラ。お前は行かないのか? 楽しそうだぞ」

 シーラの父親は品並びを整えながら言った。シーラは椅子にふてぶてしく座り込み、水平線を眺めていた。

「興味ねぇよ。ガラ悪い」

シーラが言うと、父親は笑いを漏らした。

「お前の言えた事かよ。でも、客引きの為に行ってきてくれ。客がいないと困るだろう?」

 シーラが首を横に振っていると、パタパタと走る足音が聞こえ、息を上がらせたエリナが顔を出した。

「よかった、いた! シーラに手伝ってほしいの。実は──」

「タダ飲みぶっかまそうとする奴らが来たと思ったら、ソイツらに絡んでいったアホンダラがいて、今、お前ん家でどんちゃんやってんだろ」

「あぁ、やっぱりね。みんないないと思ったら、拡散されてた。とにかくアンタ止めてよ! お父さんノッちゃって、止めようないしさ」

シーラは渋い顔で拒否の意を示したつもりだったが、父親と酒場の娘の期待の眼差しに負けて、仕方なくエリナと共に酒場へと向かった。


 その頃には乱闘はあらかた片付き、ゴロツキの親玉とコートの人物の一騎打ちの勝負になっていた。建物から溢れ返る外野の盛り上がりはまさにいま最高潮で、一体誰が何と言っているのか、全く分からない。

「うわぁ、近年あまりなかった大盛況。懐かしいまであるな──おい、行くから。押すなって!」

エリナに背中を押されながら、シーラは人だかりを掻き分けて酒場の奥へと進んでいった。

「へっ! 不細工な顔して粘るねぇ。」

 コートの人物が短剣を構えながら言い放つ。斬り合いになっていたようだ。ゴロツキの親玉も剣を抜いている。そして再度剣を違え、一旦離れると、親玉が口を開いた。

「フン。本来ならお前みたいな奴に手を焼くことはねぇけどな!」

「言うねぇ。でもそんな海綿みたいな顔で勝てるかと言えば無理だよな。お前はどう見ても美しさで負けてる!」

「何だと!?」


 激昴した親玉が剣を振り下ろそうとしたその時、突如彼の頭に大きな鍋が叩きつけられた。ゴロツキの親玉は気を失って正面に倒れる。その背後には鍋を持ったシーラがいた。

「はいはい、終わり! ショーはこれにて終了。酒飲む奴以外は出てけ。ほら、終わりだって、お疲れさん!!」

 シーラはそう言いながら、野次馬を外へ追いやった。しばしば、興を削がれた者達の悪態が聞こえる。


 コートの人物は短剣を鞘に収めると、近くにあったテーブルに浅く座り、先程の剣幕はどこへやら、軽い口調で話し始めた。

「兄ちゃん、ありゃないぜ……。美味しいとこだけ持っていきやがってさ。」

 するとシーラはその人を鋭く睨みつけて、威圧するように詰め寄った。

「いいか? 次ここいらで暴れるような真似したらただじゃ置かねぇぞ。迷惑だ!」

 コートの人物は挑発的に鼻で笑い、肩をすくめる。

「あれ〜? ロットバーンズはガラ悪いって聞いてたから、こん位許されると思ってたんだけど。」

「許されるぞ!」

 店主がこう口を挟むが、シーラが恐ろしい表情で睨んできたので、

「いや、嘘。」

と言わざるを得なかった。


「まぁいいや。そんじゃ、見知らぬ人は帰りますよ……と。」

 そういうと男は立ち上がって店から出ようとした。

「全く、どこの誰だか知らねぇけど、変な騒ぎを起こさないでくれよ。」

 シーラが呆れて言うと、コートの人物は何故だか嬉しそうに振り返った。

「お、なんだ? 名前を知りたいか、そうかそうか!」

「いや、いい。聞きたく──。」

 しかし、そんなシーラを無視し、男は指をピシッと差して名乗る。

「デメルザ。」

「……あ?」


「そう、デメルザ・ドゥリップだ。」

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