第121話 『自己中心的な心中』 其ノ壱

「おや? 佳乃、何を読んでいるんだ?」


 私が散歩から帰ってくると、佳乃が珍しく本を読んでいた。


「あ……旦那……お帰り……」


 なぜか佳乃は少し元気がなさそうである。しかし、それでいて半笑いを浮かべながら私を見ている。


「どうしたんだ? その本は?」


 佳乃が本を読んでいるのも珍しいが……見たことのない本だった。


「ん? ああ……なんか今日、適当に駅前の市場を見ていたら何冊か本を売ってて珍しいから買っちゃった……不思議な内容だったよ」


 そう言って、私に本を渡してくる。


「……『自己中心的な心中』?」


 タイトルを見て私は思わず首を傾げてしまう。作者は「面藤久斎」……聞いたことのない作家だった。


「……どんな話だったんだ?」


 私が恐る恐るそう訊ねると、佳乃はぼんやりとした様子で私を見ている。


「う~ん……簡単にいえば、奥さんが旦那さんと心中しちゃう話。理由もすごい自分勝手なんだけど……ちょっと共感できちゃった」


「共感? 心中に?」


 佳乃は私がそう言うとなぜかニヤリと不気味な笑顔を浮かべた。


「ねぇ、旦那は……アタシが一緒に死にたいって言ったら、死んでくれるよね?」


 佳乃は笑っていたが……その目は真剣だった。私は思わず戸惑ってしまう。


「……あのなぁ。そういうことは冗談でもいうべきじゃないと――」


「冗談じゃないよ」


 私が最後まで言い終わらないうちに佳乃はそう言った。佳乃の口調は……真剣だった。


「……あ、ああ。悪かった。そうだな……あまり考えたくないんだが……」


「え? 死んでくれないの?」


 佳乃が絶望した顔をする。私はその顔を見て思わず慌ててしまった。


「あ、いや……君がそうしたいならば……そうするよ」


 そう言うと佳乃は満足そうに微笑む。不味い……明らかに何かが不味い気がする。


「そっか……安心したよ」


「……そうだな。私もこの本、読んでみることにするよ。勘定場にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 ニコニコ微笑んでいる佳乃を背中に、私は勘定場へ進む。


 ……手には先程の古本……そして、佳乃のあの様子……


「……『自己中心的な心中』……か」


 そして、その不穏極まるタイトルをつぶやきながら私は本を開いたのだった。

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