第92話 乙女ノ居タ日々

 乙女の一件は我が夫婦に多大な影響を与えた。


 まず、深夜、店からけたたましい銃声が聞こえたことに対して、警察沙汰になった。


 幸い、私が手入れしていた骨董品の猟銃が謝って暴発した、ということで決着がついた。


 無論、それで話が通るわけはない。裏で、伊勢崎家が手を回してくれたらしい。


 といっても、手を回してくれたのは伊勢崎ではなく瀬葉……あの老人はやはり信用しない方がいい。


 こちらはそこまで問題ではなかった。


 問題は……佳乃だった。


 乙女がいなくなってから、まるで魂が抜けてしまったかのようだった。


 いや、正確には魂は入っているのだが……なんとなくどこか違う。


 無理をしている……悲しみを隠しているような……そんな感じなのである。


 そして、既に乙女がいなくなってから数週間経とうというある日の夕刻。


「佳乃」


 居間でボンヤリとしている佳乃に声をかける。


「え? あ……何? 旦那? ご飯?」


 佳乃は目を丸くして私のことを見る。私は苦笑いする。


「違う。どうしたんだ? ぼんやりして」


 私がそう聞いても、佳乃は曖昧に微笑むだけである。


「……乙女のこと、考えていたのか?」


 私がそう言うと佳乃は少し困った顔をしていたが、観念したように小さく頷いた。


「……旦那には、隠せないねぇ」


「フッ……君はわかり易すぎるからな」


 佳乃は哀しそうに俯く。まぁ……こういう反応をするとは、私でも分かっていた。


「……わかった。佳乃。今日は店じまいだ」


「え……急にどうしたの?」


 佳乃は困り顔で私を見るが、私は構わずそのまま外に出る。


「旦那! 待ってよ!」


 私が歩いていると佳乃は私のことを追いかけてくる。私は振り返らずにそのまま歩いていく。


「え……どこに行くの?」


 私は黙ったままで歩き続けた。佳乃も渋々付いてきているようである。


 しばらくすると……私はある場所で立ち止まった。


「……ここは」


「ああ。前にも来たな」


 私がやってきたのは、近所の川に架かる橋だった。オレンジ色の光が流れる川に反射している。


「……どうして、ここに?」


「これを、君に」


 少し迷ったが、私は懐からある物を取り出すと、佳乃にそれを手渡す。


「これって……」


 それは……佳乃が乙女に渡した髪飾りだった。


 オレンジ色に輝くそれは、佳乃が乙女に手渡した時と同様に美しかった。


「……瀬葉さんに頼んで、返してもらった。幸い、あの銃撃でも破壊されなかったようだ。それは……君のだからな」


 佳乃はずっとその髪飾りを見ている。


 と、ふいにそれをギュッと握ると、そのまま橋の欄干から……川面に投げ込んだ。


 暫くの間、私と佳乃は無言だった。


「……良かったのか?」


 私が訊ねると、佳乃は少し目の辺りをこすり、それから私に向けて微笑む。


「……似てたんだ」


「似てた?」


「……小さい頃、武蔵家がまだ豊かだった頃……お母様とお父様に買ってもらったお人形……乙女ちゃん、それにそっくりだった。だから……つい可愛がっちゃったんだ」


 私は黙って佳乃の話を聞いている。佳乃は笑顔のままで話を続ける。


「結局さ。私は……昔の自分を思い出してただけなんだ。それを乙女ちゃんにも押し付けて……私も、乙女ちゃんのことをモノ扱いしてたってことだよね」


 そういってから、佳乃は私の方に顔を向ける。


「だから……捨てたんだ。もう、終わり。旦那。アタシ、もう大丈夫だから――」


 私は限界だった。無理をして……嘘をついてまで、自分が大丈夫であることを主張する、自分の妻の姿を見るのが。


だから……佳乃を優しく抱きしめた。


「え……ちょっ……恥ずかしいよ。旦那……」


 佳乃は震える声でそう言う。


「……言っただろう? 君は……分かり易い、と」


 私がそう言うと……佳乃は少し黙った後で、泣き出した。


 全てを吐き出すように、まるで子供のように泣いていた。


 こうして……私達夫婦と「護国ノ乙女」の日々は、終わりを告げたのだった。

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