第91話 護国ノ乙女 其ノ拾

「え……なにこれ……」


 佳乃が驚いた表情で目の前の光景を見ている。私は咄嗟に佳乃の側に寄る。


「佳乃……乙女とは……お別れなんだ」


「……え?」


 異様な状況だった。伊勢崎は乙女に羽交い締めにされている。瀬葉は銃口を乙女に向けている。


 そして、私達夫婦だけが……逆に場違いな存在に思えた。


「お父様、お母様。お別れではありません」


 羽交い締めにしたままで乙女は私と佳乃にそう言う。


「乙女ちゃん……なんで……」


「この者を排除すれば、ずっと、乙女はお父様とお母様と一緒にいることができます。ですから、乙女に、お勤めを果たさせて下さい」


 そういって、一層強く乙女は伊勢崎のことを締め付ける。


「ひっ……せ、瀬葉ぁ……早くこの化物を……」


 伊勢崎は限界のようだった。瀬葉は落着いた様子で引き金に指をかける。


 しかし、引き金を引けるわけはない。


 いくら瀬葉が射撃の名手だとしても、あまりにも乙女と伊勢崎の距離は近すぎる。


 乙女は瀬葉が撃ってくることを予想しているのか、伊勢崎の頭に顔を寄せている。


 私は思わず佳乃のことを見てしまう。佳乃は……両方の目からとめどなく涙を流していた。


「旦那……乙女ちゃんとは……お別れなの?」


 私は言葉に詰まる。いや、言わなければいけないのだ。これは、私の責任だ。


 私は佳乃の手を握る。そして、じっと佳乃のことを見る。


「……佳乃。今から私は……鬼になる」


「え……それって……」


 私は杖をついて立ち上がる。そして、伊勢崎の方に近づいていく。


「お父様。どうしたのですか?」


 私は乙女のことを見る。普通だ……普通の女の子だ。


 彼女は普通の女の子はずだった。それが悪辣な存在のせいで、悲しみを背負うことになったのだ。


 その悲しみはきっと彼女をこれからもずっと苦しめる。きっと、私や佳乃に、乙女をその苦しみから開放させてあげる術は……ない。


 そう……全てを終わらせる以外には。


「……お前は、化物だ」


 私は乙女の目を見て、はっきりとそう言った。


 乙女は私の言葉を理解できていないようだった。


「……お父様。何を言っているのですか?」


「お前は化物だ。失敗作だ。本当ならば捨てられる存在だったんだ」


 乙女は哀しそうな顔で私を見ている。私自身も悲しみで胸が張り裂けそうだった。


「だから……お前は……もう……廃棄されるべきなんだ……」


 私は言い切った。自然と頬に、生暖かい涙が伝っているのがわかった。


 乙女はずっと私のことを見ていた。それから、ふっと、優しげに笑顔を浮かべる。


 その瞬間、今まで伊勢崎の喉元に当てられていた乙女の刃が、手の平に引っ込む。


「……ありがとうございます。お父様」


 乙女は笑顔でそう言った。


 その瞬間だった。私の背後からけたたましい銃声が響く。


 そして、それは的確に乙女の頭を撃ち抜いた。


「い……いやぁぁぁぁぁ!」


 佳乃の悲鳴と共に、乙女が伊勢崎の身体から離れ、そのまま床に後ろ向きに倒れる。


 そして、私はその光景をただ、呆然と見ていた。


「……正しい、判断でした」


 私が我に返ったのはポンと背中を叩かれた時……乙女を「廃棄」した瀬葉の言葉によってだった。


「……いや、そもそも……これしか私には……できなかった……」


 そして、私もようやく……自身の妻が大泣きしているのを見て、涙を流すのだった。

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