第79話 夢の後で 其ノ参

「あ、ああ……佳乃。帰ってきたのか……」


 佳乃は私の腕を掴んだままで動かない。


「今、猫に団子をあげようと……あはは。猫に団子なんて不味かったかな? あはは……」


「……旦那。そうじゃなくて……どうして、とても怖い顔してたの?」


 佳乃が真剣な顔で私を見る。私は……言葉に詰まってしまった。


 それから、黒猫を見る。黒猫は唖然とした顔で私と佳乃を見ている。


「……佳乃。離してくれ。これは、私の問題なんだ」


「……じゃあ、このお団子、アタシが食べてもいいの?」


「だ、だめに決まっているだろう!? こんな毒入りの……あ」


 そこまで言ってから私は自分の愚かさに気付く。


 私は団子を皿に戻し、佳乃を見る。


 佳乃だ。紛れもなく、現実の佳乃だ。


 私のことを裏切らない。裏切ったりしない。


 佳乃は絶対に私のことを裏切らないんだ。それなのに……


「……なぁ、佳乃。聞いてくれ。ここ最近……怖い……辛い夢をずっと見てたんだ。それで私は精神的にどうにも限界が来ていて……変な話なんだが……その原因はその猫なんだ……」


 言ってしまった。限界とは言え、言ってしまった。きっと佳乃は私のことを頭がおかしくなったと思うだろう。もう、おしまいだ。


 私はゆっくりと佳乃の方を見る。佳乃は……心配そうな顔で私を見ている。


「……そこの黒い猫?」


 落着いた口調で佳乃は私に訊ねる。


「……ああ。わかっている、変な話をしているって……でも! アイツは私じゃない! 君を……私にとって大切な君のことを侮辱したんだ! 君が私のことを裏切るわけがないのに……私はそれが辛かったんじゃない……私にはそれが許せなくて……! だから、私は絶対に報いを受けさせると誓った! 全て計算し……ソイツがこの店に戻ってくることまで織り込み済みだったんだ!」


 自然と涙が出てしまった。


 最初から決めていた。あんな夢を一度でも見せられたときから、この夢を見せた者を絶対に許さない、と。


 私は涙をこぼす。すると……何かが私の頭を優しく撫でた。私は顔を上げる。


「……旦那。旦那がついにおかしくなっちゃったかぁ、って……アタシが感じていると思う?」


 佳乃は優しい口調でそう言う。子どものように泣きじゃくりながら私は頷く。


「馬鹿だなぁ。そんなわけないじゃん。アタシ、旦那が頭が良いの知ってるよ? 旦那は嘘もつかないし、悪いこともしない……だからさ、あのお団子、猫にあげちゃいけないってわかっているよね?」


 そう言われて私は今一度大粒の涙をこぼしながら、頷いた。


「よし! じゃあ、これで話は終わり! 旦那も、困っていることがあったらアタシに話せばいいのに」


「……すまない」


 私がそう言うと、今度は佳乃は黒猫の方に近づいて行った。そして、いきなり黒猫を掴みあげる。黒猫は驚いた顔で佳乃を見ている。


「あ。この子、尻尾が二本ある」


 そういってから、怪訝そうな顔で、今一度佳乃は黒猫を見る。


「……アナタ。何をしたのか知らないけど……旦那があんなことをしようとしたってことは相当大変なことだよ? もし、また旦那に何かしようとしたら……アタシが許さないから」


 最後の部分はものすごく淡々とした、それでいて、容赦を一切感じさせないものだった。


 黒猫は佳乃から開放されると……そのまま怯えた様子で慌てて店の外に出ていった。


「……ん? あれ。その白い猫は……霞ちゃんのところの猫じゃない?」


 佳乃はそう言ってから麻子の方に近づいていく。麻子は少し怯えた様子だったが、佳乃はただ、頭を撫でただけだった。


「あ。旦那、お茶でも飲む?」


 そういって佳乃はこちらやってくる。私は佳乃の顔を見ながら小さく頷く。佳乃は笑顔で頷くと、店の奥へ戻っていった。


 その時、私は漸く感じた。


 私の悪夢は、去ったのだ、と。


 そして、温かい現実に戻ってきたのだ、と。

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