第35話 密酒「別人」 其ノ弐

「さぁ、どうぞ」


 夕飯時……私と佳乃は戸惑っていた。


 霞は……本当に雑用と家事をやってのけたのだ。


 霞はそもそも、家事や雑用なんてのはほとんどできなかったはずだ。それなのに、見事にやってのけたのである。


 しかし、今目の前には、佳乃が普段作るようなまともな食事が用意されている。


「さぁ、召し上がってください」


 そう言われて俺と佳乃は少し戸惑ったが……言われるままに食べてみることにした。


「ん?」


 私は思わず声を漏らしてしまった。それはただの味噌汁だったのだが……美味いのである。


「どうです? お味は?」


 嬉しそうな顔でそう尋ねる霞。私は少し戸惑ったが、言うことにした。


「あ……ああ。とても美味しい」


 そう言うと霞は満足そうだった。というよりこんなことを言うのも何だが……佳乃が作る飯より美味いのだ。


 無論、佳乃が作る飯も美味いのだが……ただの味噌汁とは思えない味なのである。


「奥様はどうですか?」


「え……あ、うん。霞ちゃん、お料理上手だったんだね……」


 佳乃も信じられないという表情だった。しかし、確実に目の前にある食事は霞が作ったのだ。


 そして、一通り食事が終わり、霞は俺達にお茶まで出してくれた。


「ああ、ウチは、少し戸締まりを確認してきますね」


 そう言って霞は店先の方へ向かっていった。お茶をすすりながら俺と佳乃は顔を見合わせる。


「……ねぇ、旦那。霞ちゃんって……あんなにお料理できたっけ?」


 そう言われて私も黙ってしまった。


「……私の記憶では……違うな」


「そう……だよね……ふわぁ。なんだかよくわからないなぁ」


 そういって大きなあくびをして、佳乃は目をこする。


「どうしたんだ? 眠いのか?」


「うん……なんだか急に眠くなってきちゃって……旦那。悪いんだけど……寝て……いいか……な……」


 そう言っている間にも佳乃はそのまま机に突っ伏してしまった。まるで倒れ込むように寝てしまったらしい。


「おいおい……大丈夫か、君?」


「ええ、大丈夫です。朝までは起きませんよ」


 そう言って今に戻ってきたのは……霞だった。


「……何? どういうことだ? 霞」


 私がそう言うとニンマリと嬉しそうな顔で霞は私を見る。その目は……明らかに異常だった。


「いつものウチは……酔っ払っても冗談めかして言うだけですよね? でも、本当に思っているんですよ? 今からでも……ウチは旦那の奥さんになりたいって」


 そういって霞は私の方に近づいてくる。私は慌てて立ち上がろうとしたが……体が動かなかった。


「フフッ……闇市で仕入れた、眠り薬としびれ薬……値が張っただけに本物だったんですね……」


「き……君……一体何をしようとして……」


 私がそう言うと、霞は私の方に近づいてきながら、シャツのボタンを一つ外す。


「簡単です……ウチと旦那で既成事実を作ってしまうんです。大丈夫。明日の朝まで可愛いがってあげますよ……奥様が起きるまでね」


 そういってまたボタンを一個外す。


 まずい……これは本当にまずいと私の脳が警報を発していた。


「ま……待て! 君は変な酒を飲んで酔っているんだ! 落ち着け!」


「ええ! ウチはこれまでないほどに酔っていて――」


 そういってまさしく、霞が私に飛びかからんとしようとしたときだった。


 バタン、と畳に向かって盛大に、霞はぶっ倒れた。


「……え?」


 私は動きにくい体を何とか動かしながら、霞の方を見る。


 霞は……気持ちよさそうな顔でよだれを垂らして眠っていた。


「う~ん……旦那ぁ……この酒……悪酔いするよぉ……」


 寝言は……いつもの霞だった。


「……酔っ払った挙句、眠った、というわけか」


 私はそう言って大きくため息をつく。


 どうやら……清浦酒店の親父さんの秘蔵コレクションは、一度怪しいものではないか、確認したほうがいい……私は強くそう思ったのだった。

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