第34話 密酒「別人」 其ノ壱

「旦那」


 と、店先から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「……ん? 霞か?」


 霞の声だった。私は杖を持ち、店先へと歩いていく。


 霞はいつものような笑顔を浮かべておらず、無表情で私のことを見ていた。


「なんだ? 金は貸さないぞ」


 すると、霞はいきなり私に大きく頭を下げてきた。


「え……お、おいおい。どうした?」


「……今まで、すいませんでした」


 そういって無表情のままに顔を上げる霞。むしろ、私の方が混乱してしまった。


「え……君、どうした?」


「いえ……その……実はウチ、酔っているんです」


「……はぁ?」


 ちょっと意味がわからなかった。酔っていると言われても……どう見ても、素面だ。むしろ、いつものほうが酔っているように見える。


「先ほど、父ちゃんのコレクションの一つを勝手に飲んでみたのですが……まさかここまで酔うとは思いませんでした」


「ちょっ……ちょっと待て。君はどう見ても普通に見えるが?」


 すると、霞は目を丸くして私のことを見る。


「この状態が、清浦霞の通常の状態と同じ、というのですか?」


 そう言われると……霞はこんなにも落ち着いていないし、そもそも、こんな喋り方ではない。


「……で、どんな酒を飲んだんだ?」


「『別人』という酒です」


「別人……もしかして、そのままの意味か?」


 私がそう言うと、霞は小さく頷く。


「はい。あの酒は飲むと、酩酊状態になり、通常の人格ではない、別人格がその人間に宿ります。酔った時に現れる人格は通常時の記憶を保持していますが、酔いが覚めると、酔っていたときに体験した記憶は消滅します」


「……とんでもない酒だな。清浦の親父さんはそんな酒をなんで……」


「父ちゃんは面白い酒を集めるのが趣味でしたから。それで、ウチも知っていたので、少し飲んでみようと」


 私は困ってしまった。そもそも、こんな態度の霞がそもそも慣れないし……さっさと元に戻って欲しい。


「つまり、酔っているわけだな。君は。だったら、水でも飲んで早く酔いを覚ますことだな」


「いえ。この手の酒の酔いは、時間経過でしか解決しません。ですから、私は後数時間はこのままです」


「なんだそれは……面倒だな」


 と、その時だった。


「あれ。旦那。霞ちゃんと何話しているの?」


 と、そこへ、買い物に出ていた佳乃が戻ってきた。


「ああ、奥様。こんにちは」


「……え? 霞ちゃん、どうしたの?」


 佳乃もさすがに驚いたらしい。私は説明するのが面倒になってしまった。


「ああ、そうです。では、後数時間は、いつもの罪滅ぼしをさせてください」


「……は?」


 すると、霞はニッコリと微笑む。


「いつものウチはお二人にはご迷惑をおかけしています。ですから、後数時間は、雑用や家事なんかをやらさせてください」


 そういって、頭を下げる霞。私と佳乃は思わず顔を見合わせてしまう。


「え……霞ちゃんが御夕飯とか、作ってくれるってこと?」


「はい、そうです」


 そう言われて佳乃は少し嬉しそうな顔をする。そして、私はどう考えてもめんどくさいことになりそうという、嫌な予感を覚えていたのだった。

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