第36話 結果の分からない実験室
「……ここか」
私は一人、町の中心地から離れたバラック小屋の前にやってきていた。
それは昨日のことであった。手紙が来たのである。
手紙は何通かまとめて封筒に入っており、私宛となっていた。差出人は書いていなかったが、ウチのポストにはいっていたらしい。
「……どうにも嫌な予感しかしないのだがな」
そういって私はバラック小屋の扉を叩いた。
「すまない。古道具屋の古島堂の主人だ。家財を買い取ってもらいたいと言われたのでやってきた。開けてくれ」
しかし……返事はなかった。
「……おかしいな。手紙には『待っている』と書かれていたのだが……」
私は今一度手紙を読み返す。
『親愛なる古島堂の主人へ。突然の手紙申し訳ない。ここらへんで存在を知っている古道具屋は君の店しかなかった。私はしがない学者だ。昆虫の研究を専門としている。この度、いらない家財道具を処理したいので、直接家にまで来てもらいたい。待っている』
確かに手紙にはこう書かれていた。私は手紙の内容を信じて今一度扉を叩く。
「……ん?」
と、私はあることに気づいた。扉は……鍵がかかっていないようなのである。
「……本当はよくないことだが……仕方ない」
そう言って私は今一度鍵を開いた。小屋の中は……雑然としていた。ゴミや雑誌が散乱している。実際家財道具もあるようだが……かなり少数であった。
そして……
「うおっ!?」
私は思わず飛び退いてしまった。黒く、素早く動く物体が私の足元を通過したのである。
その直後、杖の先がぐちゃっ、と嫌な感触を伝えてくる。
「……やってしまったか」
……あとで佳乃に杖の先を洗ってもらって……とても怒られそうである。
仕方なく私は今一度手紙を読んで見る……というか、3枚ほどが入っていたのだが、最初の一枚しか読んでいなかった。
『私は外地に存在する軍の研究機関にいた。国民の健康を研究する部隊だ。そこで私は昆虫がいかに国民の健康に役立つかを研究していた』
「……国民の健康……ということは……」
私は今一度後悔した。なぜ、きちんと手紙を全部読んでからここに来なかったのか、と。
どうやらこの家の主人は国健部隊の研究者だったらしい。
『私の研究は人間に昆虫の特性を組み込むことであった。その理由は何か? 簡単である。昆虫の特性は兵士の能力を飛躍的に上昇させ、戦場でも八面六臂の活躍間違い無しだからだ。しかし……実験は上手くいかなかった。何体もの失敗作を作る羽目になってしまった』
不気味な内容の手紙はこれで、二枚目が終わっていた。どうやら、家の主人は、狂気の研究者だったらしい。
しかし、人間に昆虫の特性を組み込むというのは……少し考えたくない実験である。
『結果として軍の頭の硬い連中は私を解雇した。私は内地に戻り、研究を続けたが……やはり潤沢な資金と設備がなければ研究は成功しないようだ……だからこそ、私は賭けに出ることにした』
そう言って手紙の先を読みながらも、私は嫌な予感を覚える。
『君の店のポストに手紙を投函した後、実験を実行する予定だ。すでに被験体は存在しない……そう、私しか。よって、最後の被験体は私だ。私は研究機関にいた際に作成した自信作である薬品を私の体に注入することで組み込むつもりだ。成功すれば私は素早い動き、そして、強靭な生命力を手に入れることができるはずである。しかし、失敗した場合はおそらく私は醜く地面を這いずり回ることになるだろう……失敗した場合のために君を呼んだ。もし、失敗した場合は私の家財道具は商品として売り払ってもらって構わない。よろしく頼む』
手紙は終わっていた。そして、私は今一度言葉を脳内で反芻する。
素早い動き、強靭な生命力……そして、地面を這いずり回る。
その言葉の羅列で私は瞬時にゾッとするものを感じ、そのまま小屋を飛び出す。
私は小屋の外で杖の先を見る……確かに、潰してしまっている。
「つまり……」
私はものすごく嫌な気持ちになりながらも、そのまま店に戻ることにした。
実験は失敗したとは限らない。
もしかすると、あの小屋の主人は強靭な生命力、素早く動ける能力を手に入れたのかもしれないのだ。
それにあの汚らしい小屋にはおそらく黒く蠢く物体は多数いるはず……仮に家の主人が「失敗作」の一つに成り果てていたとしても、私がその生命を潰してしまったという確証はない。
とにかく一つ言えるのは……あの家の主人の実験がそもそも成功なのか、あるいは失敗であるのかを確認する術は……もはやどこにも存在しないということであった。
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