第8話 サイコロテントウ 其ノ壱

「旦那ぁ!」


 その日はいつも通りにボンヤリと店番をしていたのだが……突拍子もない声で私は我に返った。


「な、なんだ?」


「旦那ぁ! 助けてよぉ!」


 そういって店に飛び込んできたのは……おおよそ、女としては珍しい格好の人物だった。


 男のように短く切りそろえた髪、そして、上半身は白いシャツに、下半身には袴……ではなく、ズボンというものを履いている。


「……霞、か」


 私は瞬時に嫌な出来事がやってくると直感した。


「旦那ぁ……助けてよぉ……これじゃあ、ウチの代で清浦酒店を潰すことになっちゃうよぉ……」


 涙目でそう言いながら俺の上着の裾を掴む女性……清浦霞。


 彼女は、私の店の斜向いに位置する酒店『清浦酒店』の看板娘……ならぬ、バカ娘である。


 喋らなければ見てくれだけはいいのだが、喋ると途端にその頭の悪さが露見してしまうので、未だに嫁の貰い手はいない。


 いや、一時はいたのだが……


「……そういう相談は、私にするな。誰か別の人に頼んでくれ」


「そんなぁ! 一度は夫婦の誓いを立てた仲だろう? 助けてくれよぉ!」


 ……とまぁ、危うく私は、この頭の悪そうな女と夫婦になるところだったのである。


 私の親父と清浦酒店の親父は古くからの知り合いだったそうで……親父は酒店の娘がどんな奴かロクに知らずに、酒店の親父に自分の息子と結婚させることを約束したらしい。


 まぁ、後から聞いた話では……酒の席で勢いで約束したらしい。もっとも、霞の言うとおり下手をすると、俺と霞は夫婦になってしまう可能性もあったのだが。


 だが、その後、親父も不味いと思ったのか、さすがに霞について調べたらしい。それでまぁ……霞がどんな奴かわかったので、俺と結婚させるのは辞めの方向にしたようだった。


「……で、なんだ。何があった?」


 しかし、霞の方は私と夫婦になるかもしれなかったという事実を最大限利用している。とにもかくにも、面倒事に巻き込まれた時、彼女は私の店にやってくるのである。


「それが……賭場で」


「……帰れ」


 「賭場」という言葉を聞いた瞬間、私は霞に背を向ける。


「そ、そんなぁ! 話くらい聞いてくれたって……」


「知らん。賭け事に負けたのは君の責任だ。私の責任ではない」


「で、でも! なんかおかしかったんだよぉ……さすがにあんな負け方するのはおかしいって……」


 ……これが親父が俺と霞の結婚を取りやめた理由である。


 霞はとにかく賭け事が大好きである。小さな賭けから大きな賭けまで……賭けられるのならなんでもするくらいの女だ。


 しかし……大して強くない。おまけにイカサマの警戒もしていないので、そういう悪い輩にとっては、良いカモなのである。


「どうせ、君がイカサマに引っかかったんだよ。諦めろ」


「で、でも……も、もうお金がなかったから……」


 その言葉を聞いて俺は振り返る。


「まさか……店を賭けたのか!?」


 俺はあまりのことに目を丸くしてそう聞いてしまった。霞は暫くの間申し訳なさそうにしていたが……しばらくすると小さく頷いた。


「君という奴は……なんで、そんな……」


「だ、だってぇ! いくらなんでも負け過ぎだったし……行っただろ? おかしかったんだって!」


 必死にそう弁明する霞……私としても放っておけばいいのだが……どうやらこれは対応しない限り永遠に帰ってくれなさそうである。


「……わかった。君がそこまで言うならどうしておかしいと思うのか、明瞭に説明してくれ」


 私がそう言うと、霞は話を聞き入れてもらったことが嬉しかったのか、ぱぁっと目を輝かせて私に近寄ってくる。


「あ、ありがとう! 旦那!」


「……わかったから。で、どうおかしかったんだ?」


 すると霞はうーんと唸って、腕組みをしながら目を閉じる。


「そうだねぇ……なんというか……サイが生きているみたいだった」


「……はぁ? 生きている?」


 私が疑っていると思ったのか、霞は必死の形相で私に訴えてくる。


「だ、だってさぁ! 肝心な勝負の時にはまるでサイが生きているみたいになぜかジゴロに揃いやがって……あれは絶対イカサマしているぜ……」


 悔しそうにそう言う霞。イカサマはともかくとして……生きているサイには、私は心当たりがあった。


「……なるほど。生きている、か」


「そうなんだよぉ……はぁ……って言っても、サイが生きているわけないか……」


 苦笑いしながらそう言う霞。しかし、私は別に笑わなかった。


「いや、別にそういうサイは存在するぞ」


「……へ?」


 驚いている霞を他所に、私は杖をついて立ち上がる。そして、戸棚の奥まで言って、小さな瓶を取り出した。瓶には紙が貼り付けてあり、大きく「禁」と書かれている。


 私はそれを持って、霞のもとに戻ってきた。


「これだ。これを持って、賭場に行くぞ」


「へ……これって、ただのサイコロじゃないか」


 霞はまじまじと小瓶の中に入った3つのサイコロを見る。確かにどう見たって小瓶の中にのサイコロは、ただのサイコロにしか見えない。


「ああ、ただのサイコロに見えればそれでいい。今日は店は終わりだ。私も付いて行く」


「え……よ、佳乃さんにまた怒られるんじゃない?」


「佳乃に? 別に店主は私だ。店を閉めても佳乃が文句を言う筋合いはないだろう?」


「あ、いや……ウチと一緒にいるところ、あんまり佳乃さんに見られたら不味いし……」


「はぁ? なぜ?」


 私がそう言うと霞はなぜ気まずそうな顔をする。意味がわからないが……とにかく、さっさとその賭場とやらに行ったほうが良い。


「君は店を潰したいのか? 清浦酒店が潰れても、君をウチでは雇わないぞ?」


「わ、わかっているって! ウチだって、この店には雇われたくないよ! それじゃあ……旦那! 一緒に来て」


 霞のその言葉を契機として、私は杖を持って、霞が案内する賭場へと向かったのだった。

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