第5話 繰り返す懐中時計 其ノ参
その日、私は絶望していた。
既に色々と試していた。この日までには。
そして、わかったことは……私を十分に奈落のどん底に突き落とした。
あの懐中時計……どうやら、あれはとんでもないものらしい。
私はまず、さっそくあの懐中時計を売りに行くか、それとも捨てに行ってしまおうと思った。
しかし……それはできなかった。時計に触れた瞬間、いつもの繰り返しの循環に組み込まれてしまう。
つまり、自分からは捨てられないのである。
となれば、第三者に頼めば良いのではないか……そう思い、佳乃に頼もうとするも、頼もうとする瞬間に、繰り返しの循環が発動し、それができないのである。
結論として……自発的に私があの懐中時計を捨て去るのは……不可能だということがわかった。
ではどうすればいいのか……どうすることもできない。終わりである。
佳乃は私が懐中時計を受け取ったことさえ知らない……よって、帰ってくれば飯を作り、そのまま寝てしまう。
つまり、どう私が頑張っても、あの時計は、この店に永遠に存在し、私は永遠の繰り返しを続けるのである。
「……酷い話だ」
無論、私の生活は実際繰り返しのようなものであったが……それでも、無変化というわけではなかった。
それになにより、これでは、会話する相手が佳乃だけになってしまう。
おまけに、佳乃とする会話も全て限定されてしまう。
今日どんな一日だったか、と、それに対するどうしようもない答え……
……さすがに悲しすぎる。私は思わず大きくため息をついてしまった。
「……このまま……ずっと、同じ繰り返し……」
考えただけで恐ろしかった……頭がどうにかなってしまいそうだ。
しかし……私にはどうすることもできない。今までの経験上、もうそろそろ、私は店先へと顔を出す。そして、意味もなく周囲を見回すのである。
どうやら、この時計が売られた日を、永遠と繰り返してしまうらしい。私は来るはずもない客を待って、店先まで出ていっていたのである。
「……ん?」
しかし……その日は不思議と、そんな気持ちにならなかった。いつもなら半ば強制的にそういうことをさせられているというのに。
「……どうしたんだろう?」
私は思わず杖を持って立ち上がった。そして、そのまま懐中時計が置いてあると思われる棚の方へと向かう。
「……おや?」
……ない。懐中時計がないのである。
私は思わず驚いてしまった。信じられない……それまでそこにあったはずの懐中時計が完全に消滅しているのである。
「……どうしたんだ?」
「あれ? 旦那、どうしたの?」
と、そこへ佳乃が帰ってきた。おかしい……佳乃が帰って来るのも、もう少し先の話のはずである。
「あ、ああ……おかえり」
「うん。ただいま。あ、そうそう。これ、見てよー」
そういって、佳乃は嬉しそうに私に何かを差し出す。それは……銀紙に包まれた板チョコレートだった。
未だに甘いものはこのあたりでは高級品である。
「え……どうしたんだ。そんなもの」
「あはは。買ってきちゃった。臨時収入があったからね」
嬉しそうにそう言う佳乃。ふと、私はピンと直感が働いた。
「……君、もしかして、ここにあった懐中時計……売ったのか?」
それを聞いて、佳乃は気まずそうな顔をする。
そして、それからすぐに苦笑いを浮かべた。
「あ……あははー……いや、その……壊れてたし……商品としては売れないと思って……」
「……まさか、君、今回のことが初めてじゃない、とは言わないよな?」
私がそう言うと、佳乃は申し訳なさそうに目を伏せた。
……なるほど。たまーに、ガラクタもどきの商品がいつのまにかなくなっていることがあったが……佳乃のせいだったらしい。
「あー……だ、旦那……その……ごめんね……」
至極申し訳なさそうにそういう佳乃。
しかし……どうやら、幸運なことに、我が妻が、私を繰り返しの地獄から救出してくれたようだった。
「……いや、別にいい。むしろ、君も……たまには、良いことをするのだな」
「……へ?」
私がそう言うと、佳乃はポカンとしていた。それ以上は何も言わなかった。
しかし……こうして、佳乃が売り払った懐中時計を手にした誰かは繰り返しの日々を送ってしまうのだろう。
そして、その誰かが運良く手放すことができれば、また他の誰かが……というように、延々とあの時計は繰り返しを続けるのかと思うと私は恐ろしい物を感じた。
そしてそれと同時に……私は、ほとほと良い妻を持ったと実感したのだった。
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