生首と白骨

くれいし よみこ

第1話 生首と白骨

 ある日、目が覚めると私は生首になっていた。

 埃っぽい大通りに面した街頭市場の肉屋の店先で、生首のわたしは値札を付けられて台の上に鎮座していた。顎の下には転がり落ちていかないように輪っか状になった支えが置かれている、顎の骨に当たってちょっと痛い。生首なので首はない、顔は正面を向いたまま天を見上げることも俯いて地に目線を落とすことも後ろを振り返ることもできない、周りが確認できない状況でなぜここが肉屋だとわかったというと、ヒントのひとつはこれだ。

「いらっしゃーい、いらっしゃい。上質上等なお肉はいかがですかー」

 頭上から眠たげな、おそらく青年期をとうに過ぎた男性であろう、店主とおぼしき人の客引きの声が聞こえてくるからである。たまに、形ばかりの客引きの文句の中に「本日は珍しい生首も入荷いたしました〜」などという物騒極まりない言葉がさらりと混ざっている。わたしは眼球がつりそうになるほど右と左を何度も見たが、わたしと同じような生首は並んでいない。つまり店主らしき人物が売りにしているところの「珍しい生首」というのは高い確率で私のことを指し示しているのだ。なにせ値札も付いている。わたしのほうから見えるのは裏側なので、一体自分にいくらの値がついているのかはわからない。

 いや、値段など気にしている場合ではない。ここは肉屋で、わたしは売られているのだとしたら、うっかり誰かに買われた後には美味しくいただかれてしまうのではないだろうか。端的に言うと命の危機である。なにせ生首、自ら逃げ出すことはできないのだ!

 逃走手段を求めて、わたしは二つの目をめいっぱい動かし、辺りを見渡した。頭上からは麻糸で縛られたハムやウインナーなどの加工肉がぶらさがっている。わたしの両隣、白い布が敷かれた陳列台にはワインと思しき濃緑色のビンが並んでいる。パッケージに書かれた言葉は外国の言葉で、なんと書いてあるかはわからない。生肉の類は後ろの方にあるのか、わたしの視界には見当たらない。

 そして視界いっぱいには、人、人、人!

 祭りでも開かれているのかと思うくらいの人波が、目の前をどんどこ流れていく。人々の姿は、どこかちぐはぐとして、服装や髪型にまとまりがなかった。切り替えのない丸襟のワンピース、ソバージュをかけた縮れ髪、ポマードで撫でつけられた美しきシチサン、パナマ帽子をかぶった髭の紳士、ボサボサの丁髷を乗せた若いサムライ、チーフを頭に巻いた美しい女、袷の中に立て襟の白シャツを着た書生風の男、などなど。テレビや教科書で見たことがあるような、様々な時代のスタイルが混在している。

わたしが親近感を覚えるような服装をしている人はむしろ少数派だった。祭りのような賑わいといい、そういう催し物なのだろうか。つまり、往時のファッションを楽しむ祭り、みたいなものが開かれているとか。それか端的にコスプレイベントであるとか。

 そんな推理をしながら人通りを眺めていると、人の隙間から道路の向かい側にも店が並んで着ることに気がついた。ジューススタンドの二つ揃いの泣き黒子の娘、アクセサリーと一緒に笑顔を売る年齢不詳の女性、路上に座り込んで絵を並べる頭にバンダナを巻いた髭面の男、おっかなびっくり火を噴く白塗りのパフォーマー、何十年も前から変わらぬような佇まいを見せるコロッケを売る老人、などなど、こちらも実に多彩な商いの光景が広がっていた。ある店にはひっきりなしに客が訪れては出て行き、また別の店はそこに存在していないかのように素通りされている。歩く人たちのほとんどは誰かと連れ立って歩いている、大抵は笑顔だ。俯いて早足に歩き去る人はいない。ただ所在無さげに一人でぼんやりと歩く人が、何かを探すように時折空を見上げていた。おしげもなく降り注ぐ陽光と、ゆるやかな風。すてきな週末のバザールの風景といったところだ。

 私はこの景色に、さっぱり見覚えがなかった。

 もちろん、知り合いなど一人も見当たらない。

 道行く人は肉屋の店先に並ぶ生首に悲鳴をあげることも嫌悪を示すこともなく、目の端にかすめるだけで、ただ興味なさげに通り過ぎていく。さみしいな、と思ったが、どこかぼんやりとした感情だった。締め付ける胸も、握りしめる手もない。

 身体のない、頭だけが認識する感情は、茫洋としてどこか他人事のようだった。

 いやしかし、誰も目に止めないということは、誰にも助けてもらえないということだ。食用に買われるのはごめんだが、そこはほら、食材になると決まったわけでもない。食肉用で売られている鶏にうっかり情がうつることもあるだろう、食用の生首をペットにしようと考える奇特な人物もいる…………いるかもしれない。

「いらっしゃーい、いらっしゃい。限定品の竜タンもあるよー」

 溶けかけの生クリームのようなもったりとした店主の呼び込みは頼りにならない。

 ならばどうするか?

 私は口を開いた、ごりっと顎が留め具に食い込む。

 喉もないのに声が出せるだろうか、と理屈めいたことが頭の隅をよぎったが、役に立たない常識など

「だれか−−−−」

 それはひどく掠れて、か細い声だった。覇気のない店主の呼び込みの声にも負けるくらいの、小さな声はあっさりと雑踏にかき消される。私はもう一度だけ、声を上げた。

「だれか……!」


 そのとき。


 熱い視線が私に注がれたのを感じた。誰かがこの生首をじっと見つめている、わたしは目玉をぐりぐりと動かし視線の主を探した。すると、大通りを流れる人波の中で一人、足を止めるものがいるではないか。襟を左前で合わせた白の単衣を着た、男か女か老か若かわからない、二足歩行の白骨が一人、わたしのほうをじっと見つめていた。

 白骨、である。

 なので、当然その人の顔は髑髏だ。傷ひとつない綺麗な白骨に、図らずもわたしはみ惚れてしまった。骨を見るのは初めてではない、祖父の骨を火葬場で見たことがあるし、獣の骨の標本だって見たことがある。だがわたしを見つめる骸骨はわたしが見てきたどの骨とも違っていた。火葬場で見た骨は焼かれてカサカサに乾いて、箸でつかむとすぐに崩れるほど脆かった。しかし今そこに立つ白骨にその脆さは感じられない。肉も皮もまとわずに、すっくと背筋を、いや背骨を伸ばすその姿は、一個の美術品のようでもあった。わたしと白骨はしばし見つめ合った。わたしの口の中はカラカラに乾いている、白骨と直で接する機会なぞそうそうない、わたしは緊張しているのだ。

 白骨が肉屋に近づいてきた、目ざとく客を見つけた店主がすかさず声をかける。

「いらっしゃい!」

 白骨はたぶん、微笑んだ。頸椎をかしげ、かたりと骨を鳴らして白骨が顎を下げた。

「こんにちは、おじさん。この生首ちょっと見てもいい?」

 骸骨が喋った。男の声であるようだ、少年のようにも聞こえるし、青年のようにも聞こえる。すくなくとも背後の肉屋の店主よりは若く聞こえる声だった。

 店主は愛想よく「いいとも」と答え、わたしを持ち上げた。

「なんなら手にとって御覧よ」

「いいの? わあ、ありがとう」

 骸骨は弾んだ声をあげると、骨の継ぎ目もあらわな両手を伸ばしてきた。関節をつなぎとめるものがないのに、いったいどういう原理で崩れずにいるのだろうか、細いワイヤーが張り巡らされている? はたまた磁石がつかわれている? 眼前に迫る白い手から目を離さないようにじっと見つめたが、とくに細工がしてあるようには見えなかった。そんなことを気にしているうちに、わたしは白骨の手に抱えられていた。白骨は太陽に掲げる供物のようにわたしを高々と持ち上げ、しげしげと私を眺め上げた。

「すごいや、本当に生首なんだねえ。でも切り目がないよ?」

「これは本物の生首だからね、胴体があって、そこから切り離したような生首もどきとは違うんだよ。正真正銘、これこそ本当の生首ってやつさ」

「へえ、じゃあ天然なんだ」

「もちろん! 加工は一切施していないよ!」

 加工なしでこうなったと、待て待て、それは納得しがたい。すくなくとも覚えている限り、わたしには昨日まで首から下だって存在していたのだ。最初から生首だったわけではない。しかし、何かしらの加工をされてこの姿になったというのも嫌だ、過程を想像したくない。外科的な加工が施されているとかだったら嫌すぎる。その場合、わたしはいかにして生命を維持しているのかという問題にもなり、そもそも、わたしは生きているのかという問題にもなってくるではないか。心臓がないのにどうやって血液を循環さているのか、肺がないのにどうやって酸素を取り込んでいるのか、胃や腸がないのだからエネルギーはどこから摂取すれば良いのか、諸々。考え始めてしまったら、終わりになりそうだ、そんな予感がする。だからわたしは考えることをやめさせていたというのに。

「ねえ、この首ってしゃべれるの?」

「いやあ、喉がないからねえ。難しいんじゃないのかな」

 肉屋の店主の口調はどこまでも軽い。

 失礼な、私は理屈を超えたところでしゃべっているというのに。

 白骨はわたしを眼前の高さまで下ろすと、二つの黒い窪みでじっとこちらを覗き込んだ。上に肉がないものだから、表情がさっぱりわからない。けれど恐ろしさは感じなかった、何故なら先程からわたしを支える両手は慎重で、思いやりに満ちていたのだ。

「きみは、どこから来たの?」

 そう問われた。それはわたしも知りたいところである、なんと返したものか判らず代わりに瞬きを二つ返すと白骨は口を開き嬉しそうに言った。

「すごい、声も聞こえてるんだ!」

「そうともまだ生きているんだ、このまま頭をぱっくりあけて生の味噌を食ってもいいし、丸ごと煮込んでも美味しいよ」

「でもぼく今は何も食べないからなぁ」

かたかたと骨を揺らしながら白骨は笑った。たしかに、食べたところで骨の隙間から全部溢れてしまいそうだ。

「この生首いくらなの?」

「九千八百圓だよ!」

 果たしてその値段が高いのか安いのか、白骨はカチン、と骨を鳴らして頷いた。

「ひとつ下さい!」

「毎度ありぃ!」

 かくして私は白骨に買い取られ、あれよあれよという間に風呂敷包みにされ、肉屋からの脱出と相成ったのであった。




(続)

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生首と白骨 くれいし よみこ @yomico_kure

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