更新された老人

machi

更新された老人

 その日はやけに暑かった。

 私たち姉妹が搭乗している完全自動運転型の東京市バス・Mogryaは、旧赤坂迎賓館エリアの広大な敷地を抜けて、四谷麹町方面へと差し掛かろうとしていた。隣で眠るのは妹のキミコだ。3時間を超える長旅に疲れ果て、ぐったりとしている。

 エアーレント―新タイプ系統の空気清浄機―なしでは、この毒された都市で呼吸はできない。

 「ねえお姉ちゃん、おばあちゃんの家にはいつ着くの?」キミコが尋ねる。

 「もうすぐだからおとなしくしてて」その言葉を遮るように、私は答えた。鞄から取り出したハンカチで、妹の額をぬぐってやる。

 胸のプラグを外し、インサレーションを交換した。何か言いたそうな目でこちらを見ているが、姉として振る舞わなければ、と私は背筋を伸ばした。

 私たち姉妹の夏休みの宿題が残された、祖母の家はもうすぐだ。


※※※


 祖母は、2045年6月の第3次避難勧告を無視して、この府中という街にもう10年以上、たった1人で住んでいる。先の大戦で東関東に生物兵器が投下され、ほとんどの市民が新東京市とよばれる旧長野県に移住したにもかかわらず、祖母のように、かたくなに移住政策に反対し、住み慣れた場所に留まる者たちは少なくなかった。おかしな政治活動にのめり込んでいる、とよく両親は眉をひそめて囁き合っていたが、その活動、というのは、私もよく知らなかった。

 「お姉ちゃん。お家に帰りたい」キミコがぐずった。

 確かに、この府中の街には人っ子一人いない。キミコと一緒でなければ、私も一目散に逃げ去りたい街だ。滞在届けを出さないと、この区域には立ち入ることはできない。膝がふるえていたが、しかし自分は姉として権威ある姿を妹に見せなければならないと奮い立たせ、両脚をしっかりと合わせ、干涸びたアスファルトをしっかりと踏みつけた。

 「おばあちゃんに会いにきたのよ。しっかりしようね」

 

 許可エリア入り口でバスを降りると、いつの間にか、抜けるような青空が広がっていた。最後に母とここへ来たときと、まるで同じだった。駅から3分ほど歩いた商店街のはずれにその家はある。母の生家であり、私が生まれた場所でもあるらしい。

 ドアをこんこんとノックする。

「おばあちゃん、お久しぶりです。孫のアヤエとキミコです。新東京からきました」

「なんだって?」 

 立て付けの悪い引き扉がガラガラと開き、一人の老婆が私たちを睨んでいる。

 その人が私の祖母だった。ひどい身なりだった。どこかのゴミ収集場から拾ってきたような毛玉だらけのくすんだセーターに、黄土色の肌。眉はせりあがり、突き出た眼球でじろじろと凝視される。何日も風呂に入っていないような異臭がした。キミコが私の背中にそっと隠れたのがわかった。

 「まあ、驚いたね」


※※※


 「まったく、安武首相は何をしているんだかね。この日本は、戦争反対、なんていっておきながら、私のようなはぐれものの人権なんていっこも考えてくれなんだ。何でも機械に任せるようになったからこんな国のていたらくだってのに」

 味のないぬるい煎茶と、湿った茶菓子をつまみながら、祖母はとりとめない話を始めた。祖母は、政府に反抗することこそが生き甲斐のようだった。毎週末になるとわざわざここから国会前のデモに出かける。そこには同世代の友達がいて、ともに首相官邸前でシュプレヒコールをあげると、日頃のイライラや、一人打ち捨てられた場所で暮らす孤独がまぎれる、と祖母は言う。デモ後は飲み屋で一杯のんで、流行の皇居ラン用に容易されたシャワールームですっきりと汗を流すという。

 マルチーズのココアが、祖母の膝の上でぐっすり眠っている。ココアをあやうく自転車で轢きかけた通行人に祖母が因縁をつけ、警察沙汰になって以来、母は祖母から距離を置きたがっていることを私は知っていた。だからこれがばれたら、母にこっぴどく怒られるだろう。


 「お母さん、さみしがってます」

 「あんたのお母さんのことなんて、もうすっかり忘れたよ。さんざん迷惑かけておきながら、最後には体制側の外国人と結婚して、自分の生まれ育った土地を捨てよった」

 祖母はそっぽを向いたが、本心には12年も会っていなかった唯一の孫を見れた事に、うれしさを隠せないのか、しきりに私と妹の顔を交互に見比べた。

 「私は死ぬまでここの家を出るつもりはないよ。たとえ国家権力が私の家をブルドーザーで破壊しようとしても、私はここでお茶をすすっているからね。おとうさんのお墓を守らなくちゃならん。もしかして、夕子が、説得しにあんたたちをここにやったのかね?だとしたら、姑息だよ、まったく、子供をダシに利用するなんて」

 「いえ、そうじゃないんです・・・私のわがままなんです。勝手に来てほんとうにごめんなさい」

 「おねえちゃん、ここ、暗い」

 キミコがぐずりかけているのが手に取るようにわかった。私は、母がこの祖母のもとを離れて暮らすようになった理由がようやく理解できたような気がした。

 キミコを必死にあやした。大人にならなくてはいけなかった。しかし、ぐずって大きい声をあげはじめると、祖母のしかめ面に、さらに深い皺が入った。

 「しっかし、子供の世話もせずに子供2人だけここに連れてくるなんていったいどういう神経してるんだかね」

 「す、すみません。今日、母には内緒できたんです。こっそり手帳を見てここの住所を突き止めたの」

  祖母はあきれたように私を見ていた。


 「あのね、おばあちゃん。実は、死んだおじいちゃんが今家に住んでるんだ」

 死者の毛髪から全ゲノム情報を解読し、フルスクラッチでDNAを複製し、ハードウェアに実装する。AIを量産することが一定の法律で制限されつつも実施されどこの家電量販店でもオーダーメイドで販売されていることを祖母にどう説明すればいいのだろう。このいかれた偏狭な老人に。

 「ねえ!この人知ってる」

 突然、キミコが鴨居につり下げられた老人の白黒写真を指差して叫んだ。祖母がじっとキミコを凝視し、その方向をゆっくりと見やる。

 「この人、よくきてくれる掃除の人じゃないの?」

 「まさかそんなわけないじゃん、キミちゃん。見間違いだよ」

 実の父を掃除人にする、いや、掃除人の顔を父にする、母の傲慢。そう思っていた。だから、祖母に《その存在》を、知られたくなかった。

 「実は、・・・そうなの。おじいちゃんの姿を復活させることができるようになったの。その人は今、週3回うちの掃除にきてくれるの。それだけじゃない。洗濯もしてくれるし、いろんなことをリマインドしてくれる秘書としても、働いてくれてるんだ」

 私は内心、ヒヤヒヤしながら説明した。いつ、祖母が怒鳴り散らしはじめるだろう。

 この打ち捨てられた地で祖父の墓を守り続ける祖母に、この話が受け入れられるはずもない。

 祖母は神妙な顔つきのまま、黙っていた。

 「お母さんはおばあちゃんにそれを言ってないでしょう? でも私は、おじいちゃんに一番会いたいたいのはおばあちゃんなんじゃないかって・・・それを教えなきゃと思って、だから」

 「・・・だから来たの」声が震えているのをこらえているうちに、すっかり小声になってしまった。

 しばし沈黙が流れた。

「で」

 祖母の一言に、私はギクリとし、体をこわばらせた。

 「で、あんたはそのお手伝いとやらが好きなのかい」

 逆に質問され、私は困惑した。実際のところ、私自身は好きではない。が、キミコと母がそれをいたく気に入っているから、2人がご機嫌でいてくれる意味においては好きだといえるだろう。

 「いろいろ手伝ってくれてお母さんがうれしそうな姿を見るのはうれしいけど・・・。でも、実際のおじいちゃんは掃除なんてする人じゃなかったし、料理なんてまさか、するような人じゃなかったんでしょう? だからへんてこだな、とは思う。でも、好きなおじいちゃんの面影をみんながまた見れるならいいのかなって」

 「なら、そのじいさんは私のじいさんじゃないよ。別人だよ」

 祖母はそうぽつりと言った。感情のこもらない声だった。

 「これだからハイテクは嫌いなのさ。さあ、今日は泊まっていきな。わかったら帰って、あんたの母さんにそう伝えておくんなよ。できたならこんな姑息でみみっちいことしてないでさっさとあのバカ旦那と別れろってね。あと子どもに伝言ゲームの使いっ走りさせるのもやめなって。日本政府はいったい何やってんだか。中国政府に乗っ取られちまうよ」

 怒られることはなかったけど、想像した通り、無駄だったか。私はため息をつき、脇に置いた荷物をみやった。学校の宿題もまだ終わっていないことだし、早く帰る準備をしなければと思った。

 キミコは、マルチーズのココアの後を追いかけて、「けんけんぱ!けんけんぱ!」といいながら、畳のふちの花模様を数えている。そのすぐ向こうに祖父の仏壇があった。

 背後で、祖母がキミコに訊ねるのが聞こえた。

 「…そのじいさんってのはやっぱり、歩くとき、左足ひねりながらドスドス、音たてて歩くのか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

更新された老人 machi @komusume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る