第3話 優しい殺人鬼

『ゴロスゥゥ』


 その声のおかげで死が頭によぎった。

 が、しかし。

 当の殺人鬼はといえば、なぜか一向に襲ってきそうな気配は無い。

 それどころか、何となく恥ずかしそうにしているようにも見える。

 息子も、不思議そうな顔で彼の様子を見つめていた。


「やだ、彼ったら、お腹すいてるんじゃないの?」


 妻がボソッと言った。

 

「えっ……?」


 そう言われてみると、さっきの声は殺人鬼の口元というよりは、もっと下の方から聞こえたような……


『ゴロスゥゥ』


 ……今度はハッキリわかった。

 それは、殺人鬼のお腹から出た音だったのだ!


「プ……プププ……」


 張り詰めた緊張から解放された事も相まって、僕は思わず笑ってしまいそうになるのを必死でこらえようとした。

 だって、殺すと言ってるのかと思ったら、殺人鬼の腹の虫が鳴く音だったのだから。

 まあそのおかげで、一気にその殺人鬼が身近な存在になったような気がした。

 妻は「ちょうど今カレー作ってる所なんだけど、殺人鬼さんもそれでいいかしら?」なんて呟きながらキッチンに戻っていった。

 ブーツを脱いだ殺人鬼は、こっちが用意したスリッパをちゃんと履き、その場に立ち尽くして僕の方をジーッと見てきた。


「あっ、とりあえず中へどうぞ」


 そうやって声をかけると、殺人鬼はのっそのっそと廊下を歩き出した。

 それを見て、息子が恐る恐る殺人鬼の元に近寄って行く。

 若干、ドキッとしたものの、すぐにホッとした。

 なぜなら、殺人鬼の右手が息子の頭を優しく撫でたから。


 

 それから、僕ら3人に殺人鬼が加わった生活が始まった。

 殺人鬼は食事の時以外、基本的に玄関の前に立って見張りをしてくれている。

 説明書にあった通り、殺人鬼は喋らない。

 けど、会社から帰ってきた僕の姿を見ると「ウガァ」と唸りながらちょこんと会釈してくれる。

 雨の日なんかはずっと立たせて置くのも悪い気がして、


「ちょっと、中に入れば?」


 って声をかけてみたりするのだが、彼は「ウガァ」と言って首を横に振る。

 熱心な仕事ぶりに感心するし、ちょっと心にグッときたりもした。

 そんなある日。

 とうとう、我が家に野良の殺人鬼やってきてしまった。


「わぁぁ! 怖いよ怖いよぉぉぉ!」

「だ、だ、大丈夫だ……お、お、落ち着いて落ち着いちぇ!」


 怯える息子を安心させるどころか、思いきり噛み倒す始末。


「もう、二人とも落ち着いて。こんな時のために、殺人鬼さんが居るんでしょ?」


 と、相変わらず妻は落ち着いていた。


「そ、そうだよな……。よし、じゃあ彼の活躍ぶりを見てみるとするか」


 僕は、玄関ドアのスコープから外の様子を覗いてみた。

 すると……


「うわっ! 野良殺人鬼のやつ、凄いやる気だぞおい! えっ、ちょ、ちょっと、えっ、なにしてる……や、やめろ……」

「やだなにどうなってるの?」


 妻が背中から声をかけてきたのだが、僕はスコープから目を離すことができなかった。

 ウチの殺人鬼は、とにかく一方的に野良殺人鬼に襲われ続けていた。

 なんで反撃しないんだよ! ……って思うのと同時に、だからと言って自分が外に出て行ったところで何もできないという無力感に襲われた。

 とにかく、傷つけられ続けるウチの殺人鬼。

 それでも、彼は絶対に倒れることなく、仁王立ちになってこのドアを守ってくれていた。

 その姿を見て思わず涙が出そうになる寸前で、野良の殺人鬼は雄叫びを上げながら立ち去っていった。

 どうやら、ウチの殺人鬼のしぶとさに根負けしたらしい。

 僕はすぐにドアを開けて、彼を家の中に入れた。

 あまりの傷つきっぷりにギョッとした。

 怪我だらけで顔も赤く腫れてるその姿を見て、心配そうな表情を浮かべた息子と妻が駆け寄る。

 僕は、走ってキッチンに向かい、冷凍庫の氷を取り出した。

 殺人鬼に効くのかどうか分からないけど、なにかせずには居られなかった。

 だって、彼は紛れも無く、ウチを救ってくれた恩人なのだから。

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