第29話
かつひこのポケットに入っていた、一通の手紙の封を震える指で開ける。握りしめたようにしわくちゃなそれには、私への永遠の愛と謝罪が数ページにわたり、乱暴に書き殴られていた。手紙のあちこちに黄色い水滴が滴っていて、私が眠りについた後、安い発泡酒を片手に書いていたのだろうと思ったら、また、涙が止まらなくなった。
手紙の中には何度も、「生きろ」という言葉が綴られていた。随分身勝手な言葉だけれど、やっぱり、かつひこは私のことを良く知っている。かつひこの死体を見たときの、すぐに身を投げてしまいたくなる私の気持ちを、誰よりも分かってくれるのはこの世界でかつひこしかいなかった。
—生きろ、まこ。この不条理な世界で、思うように、生きろ。恋人をつくって、結婚をして、子どもをつくって、幸せになれ。だが、いつまでも僕のことを、忘れないでくれ。
ああ。この人は、とうとう最後まで、父親になることができなかったのだ。
死臭を放っているかつひこの形をした置物のそばで、私はじっと目をつぶる。
この先私は、誰かと甘ったるい恋をしたり、女友達に心からの笑顔を見せたりすることなど、決してできないだろう。かつひこのかけた蜘蛛の巣に囚われて、身動きもとれなくなって、きっと息をすることもままならない。だけど、それで良いのかもしれない。それが私の幸せなのかもしれない。かつひこと私をつなぐ、たった一つの絆だから。
*
新緑の匂いを、思い切り吸い込む。糊のついたままの喪服は、まだ着慣れない。ホトトギスの花束を右手に持って、かつひこの墓石の元へと進んでいく。腰に手を当てながら墓の手入れをしている老人は、私の姿を認めると目を細めて寂しそうに微笑んだ。曖昧に笑い返して、かつひこの眠っている場所に、毒々しい色をした花を葬る。しなだれかかっている花弁は、かつひこに向けてぱっくりと口を開けているように見えた。1日たりとも、かつひこのことを思い出さなかった日はない。どんなに時が経ったとしても、私はおとうさんを愛してる。
老人が痛ましいものでも見るような目で、墓石に唇を押し当てる私の背中を見ている。構わずに、私はかつひこの文字が刻まれた部分を丹念に舐めた。
きょっきょっきょ。そんな私を笑い飛ばすように、墓石の広がる山の向こうで、1羽のホトトギスが鳴いたような気がした。
【了】
血海心中 ふわり @fuwari
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