第4話 空は続くよどこまでも
ある日本晴れの日。桜の満開な町はずれで乗客が乗ってきた時、私は思わず息を呑んだ。
「末広・・・」
白いワンピースを綺麗に着こなした一人の女性。
末広ルイ。高校時代私が片思いして、運命の人とまで思っていた女性だ。
「久し振りね。東山君」
「高校卒業以来だ」
もっと他に返す言葉もあっただろう。しかし私はそれくらいの、飽くまで運転士とお客様と云う関係でしか返す事が出来なかった。
彼女に片思いしていた高校三年間。
友達にも散々からかわれ、当の本人にも茶化され、結局告白には至らなかったのだが、まさかこのバスに乗って来るとは思わなかった。それも大きなスーツケースを引いて。
そんな相手が今、私のすぐ後ろ。薄い繊維のブラインドを隔てたすぐ後に座っている。
緊張のあまり息が苦しい。
私は気持ちを落ち着かせる為にハンドルをギュッと握り締め、深呼吸した。
バスは街の方へ走り出す。
車内は静かだった。この日の車両は最近導入された燃料電池車と云う事もあって本当に静かだ。
道行く時間、私はどうしても彼女に話しかける事が出来なかった。
話そうと思えば話せる筈だ。簡単な事だ。学生時代はあんなに話せたのに、いざ会うと言葉に詰まる。
「最近どうしてる?」
のように他に言う事があった筈だが、そんなことは出来なかった。結局、話しかける事も出来ず、駅でブザが鳴った。
これで彼女もこの街を出ていくのか。結局告白も何も出来なかったと私は思った。
降り際、ルイは口を開いた。
「私・・・結婚するんだ。半年後には子供も生まれる」
その言葉は私の想像を遙かに越え、私の胸をえぐるように、強く突き刺すものだった。
「お・・・おめでとう。良かったじゃないか」
私は顔ではにこやかだったが、心の中は黒く澱んでいた。
「東京にね、お父さんの知り合いが居るらしくって、大蔵省勤めなんだって」
「大蔵省!?」
「うん。三十五歳年上」
大蔵省、そして三十五歳も年上。最早私の出る幕ではない。私は心の中で大きく溜め息をついた。
「田舎の可愛らしい少女が、あっという間に玉の腰だな」
そう云って私ははっと気がついた。言いたかったのはそんな軽い言葉ではない。
「・・・ごめん」
「・・・私ね。ずっと待ってたんだよ」
「え?」
「栄君が告白してくれること」
想定外の返答だった。
「も・・・もしかして・・・」
「私も栄君の事が好きだったんだ。でも、もう遅いよ。明後日が挙式だから。今日はね。お別れを云いに来たんだ。それとお詫び。私も待ってばかりでごめん。私も自分の気持ちに素直になれてなかった」
ルイは私を安堵させようとしたのか、私に微笑みかけた。明らかに作り笑いだ。
「そ・・・そんな・・・いいのか?三十五歳年上なんだろ?」
「じゃぁ、栄君が結婚式に乗り込んで、漫画みたいに私を
「・・・・・・」
私は何も言えなかった。
「ごめんね。無理だよ。私、売られちゃったんだ。親が凄い借金背負ってて。私が嫁げば全部丸く収まるの」
「なんだよ…それ」
「私たちの力じゃどうにもなんないんだよ。…じゃぁね。栄君。…ごめんね」
ルイは涙を拭ってバスを降り、こちらへ向かって微笑んだ。その顔を太陽が明るく照らし、瞳に浮かんだ涙を輝かせた。
「私のこと好きでいてくれてありがとう。遠くに離れて行くけど、おなじ空の下にいるから。たまには思い出してくれると嬉しいな…なんてね。消えた女のことなんて思い出さなくていいよ。でも、どうか栄君も幸せになってね」
ルイは流れた涙に気がついて慌てて顔を背け、そのまま駅へと走っていった。
ドアを閉じ、誰も居なくなった車内で、私は声を上げて泣いてしまった。もしもあの時告白していれば、ルイは今頃私の隣で優しく微笑んでいたかもしれない。
しかし今となっては叶わない。彼女は結婚する。
私の知らない場所で、私の知らない人と、私の知らない愛を育むのだ。
「駆け落ちしよう」
彼女を想っていたならばそう云えた筈だ。それでも云えなかった。
怖かったんだ。
たかが高卒の薄給社員がルイを幸せにするなんて無理だ。そんな覚悟もなしにそんな口先ばかりの事なんて言えなかった。いや、それでも言うべきだった。身の程をわきまえなくてもいい。ルイが振り向いてくれなくたって構わない。
ここで素直に自分の気持ちを伝えるべきだったと、私は今でも深く後悔している。ルイに気持ちを伝えられなかった事、そしてこの現実から逃げた事を。
誰もいない車内には、まだ、ルイの甘い残り香が漂っていた。
この日はこんな気持ちには鬱陶しいくらいよく晴れた、日本晴れの桜日和だった。
この空の下で、ただただ彼女が幸せでいてくれることを私は
道は続くよどこまでも 正保院 左京 @horai694
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