第9話 ストーカー女?
「紫織ちゃんっ!今日神谷君と一緒に講義受けてたんだって!?」
午前中の講義が終わり、神谷君は私を置いてさっさと部屋から出て行った直後、美咲ちゃんが慌てた様子で講義室に入って来た。
周りには人がまだちらほら居たが、相当驚いていたのか、御構い無しにと美咲ちゃんは声を荒げて私の隣に駆け寄る。
「……う、うん。でも、一緒にって言ってもただ隣に座らせてもらってただけだよ。会話もしてないし、講義終わったら早々に行っちゃったし……」
一体何処からそんな情報を仕入れたのかは謎だけど、何だかもの凄い期待の目でこちらを見てくるため、私は誤解がないようにありのままの状況を話した。
「またまた謙遜しちゃって。社交的な神谷君と会話がないなんて可笑しいでしょ」
しかし、王子モードしか知らない美咲ちゃんには全然話が通じず、むしろ変に誤解されてしまった。
「もう、私の知らぬ間にそんな急接近してたなんて……紫織ちゃんってば、やるじゃない!」
しかも、更に綺麗な目をキラキラと輝かしてくる始末。
そんな美咲ちゃんを見てとても複雑な心境になり、私はつい苦笑いをしてしまった。
「……紫織」
すると、背後から静かに私の名前を呼ぶ声が聞こえ、思わず肩が震えた。
恐る恐る振り向くと、そこには無表情のまま腕を組んで仁王立ちしている静ちゃんの姿。
しかも、その周りには何だか黒いオーラが立ち込めていた。
その様子だけで、静ちゃんの言わんとしていることが伝わってくる。
「静ちゃん……」
ごめんなさいと言いたいところだけど、美咲ちゃんがいる前では謝ることも出来ず、私はバツが悪そうに身を縮こまらせた。
そんな私達のただならぬ雰囲気に、美咲ちゃんはきょとんとしながら私と静ちゃんを交互に見る。
「……はあ~、まあいいわ。とりあえず、食堂行くわよ」
そして、盛大なため息を吐いた静ちゃんは、くるりと踵を返して歩き始めた。
「……ねえ、静香ちゃん一体どうしたの?」
一人情報を知らない美咲ちゃんは、静ちゃんの不機嫌そうな様子に訳が分からないといった顔で、ぼそりと私に耳打ちをしてくる。
私は上手い言い訳が思い浮ぶはずもなく、美咲ちゃんには申し訳ないけど、ただ笑ってその場を誤魔化すことしか出来なかったのだった。
※
あれから、静ちゃんは神谷君のことについて何も口にすることはなく、午後の講義から美咲ちゃん達と合流して一日が終了した。
今日はバイトがある日なので、私はそのまま静ちゃんと美咲ちゃんに別れを告げて一人最寄り駅まで向かう。
その道中、静ちゃんのあの納得していない表情が脳裏に浮かび、気分が淀んでくる。
神谷君のことが好きという気持ちは止められないけど、やっぱり、親友に応援されない恋というのは辛いものがある。
これは、少しずつでもいいから、静ちゃんに説得をしなくてはダメだ……。
私を心配してくれているからこその反対。そんな静ちゃんの思い遣りを無下にはしたくないけど、自分に嘘はつけない。
だから、ちゃんと話さないと。
私は重い溜息を吐きながら、駅の改札を抜けてホームへと続く階段を降りる。
そして、丁度来た電車に急いで乗り込むと、私は時間潰しのために鞄から携帯を取り出した。
電車に揺られながら、何気なく携帯をいじっていると、ふとある事に気付いた。
もしかしたら、神谷組について検索すれば色々と情報が出てくるかもしれない……。
お父さんが言っていたように、日本一歴史が古いヤクザ組織であれば、私は全然知らなかったけど、世間一般では知名度が高いはず。
そう思い立つと、早速検索ワードに打ち込んで開始ボタンを押してみれば、案の定。
検索結果のトップに、ウィ◯ぺディアで神谷組の説明が掲載されていた。
詳細画面を開き、上から順に目を通してみると、私は人目もはばからず、一人口を開けて唖然としてしまう。
そこには、想像を絶する情報が羅列していたのだ。
神谷組設立は1800年代からで、初代当主は当時江戸一を誇る大地主であり、ヤクザ組織では絶対的な権力を握っていた。
その力は江戸幕府も一目置いていて、裏で街の警備を一任していた程だった。
そして、その地位は今も健在であり、資産運用は年々拡大していき、今では年間収入金額は億を遥かに超えているという。
神谷組の当主は代々神谷家一族が受け継ぎ、初代から掲げられている“弱い者を助け、義のためならば命も惜しまない”という指針を固く守っているんだとか。
そして、何よりも一番驚いたのは、総本山である神谷家の住所。
「……ここって、バイト先の割と近くじゃない!」
私は思わず心の声が漏れてしまい、慌てて口を手で塞ぐ。
若干周囲の視線が突き刺さるが、私は構わず携帯の画面を凝視した。
……なんということだろう。
まさか神谷家が自分の行動範囲のすぐ側にあったなんて……。
信じられない状況に、私は再び開いた口が塞がらなかった。
私のバイト先は、首都圏の高級住宅街の一角にあるレトロな洋食屋さん。
都心の大学に通う私は、バイト先もその近辺にあるお洒落な所がいいという強いこだわりにより、執念深く検索した結果、見つけ出した場所だ。
首都圏の高級住宅街というだけあって、マスターから聞いた話だと、政治家や、資産家の家が何軒かあり、私達のような並みの一般人には到底縁の無い土地である。
確かに、資産うん億円の神谷家なら、そこの場所にあってもおかしくないかもしれないけど……。神谷君がその家の跡取り息子だなんて、まさに裏世界の御曹司だ。
何だか、あまりにも次元が違い過ぎる話に、神谷君の存在が凄く遠くに感じ、私は暫く呆然としながら車窓の景色を眺めていたのだった。
※
「ありがとうございました」
時刻は午後九時。
私は店内にいた最後のお客さんを見送り、閉店作業に取り掛かった。
「紫織ちゃん今日もお疲れ様。まかない作ったけど食べるかい?」
すると、厨房に立っていたマスターはそう言って、優しい笑顔を向けながらカウンターの窓からひょっこりと顔を出してきた。
「食べる!マスター、いつもありがとう!」
私は目を輝かせながら大きく首を縦に振ると、急いでテーブルの上を片付けて、カウンター席へと座る。
厨房からケチャップのいい匂いが漂い、程なくして湯気立つナポリタンとサラダとスープがカウンターに並べられた。
「いただきます」
私は両手を合わせて一礼すると、熱々のナポリタンをフォークに巻いて口に運ぶ。
「……美味しいっ!やっぱりマスターの作るナポリタンって最高だね」
そして、口の中一杯に広がる深みのある甘いトマトケチャップを堪能しながら、満面の笑みを浮かべた。
「紫織ちゃんって、本当に幸せそうに食べるよね」
そんな私を、マスターはカウンター越しからとても穏やかな表情で眺めていた。
この店のオーナーである、牧野重道さん。通称マスター。
お年はもう六十を超えている白髪のおじいちゃんだけど、とても元気で、この洋食屋さんをかれこれ四十年間切り盛りしている。
この地区内では一番古いお店で、お昼時になると地元の常連さん達で賑わう。
バイトは私を含めて三人いるが、普段はマスターとバイトの二人で間に合う為、マスター以外の従業員さんとは、交代時以外殆ど顔を合すことがない。
なので、混雑時は大変だけど、それが過ぎればマスターとこうしてまったりとお喋りをしながら楽しいひと時を過ごしているのだ。
マスターも、とても気さくで優しく温厚な性格。面倒見も良く、まるで本当の自分のおじいちゃんみたいで私は大好きだ。
……もしかしたら、マスターに聞けば神谷家の情報が聞けるかもしれない。
神谷家も歴史あるお家だし、長年この土地にいるマスターなら、色々と知っている可能性が高いかも。
「……ねえ、マスター。神谷組って……この近所にあるの?」
私は動かしていた手を止めて、厨房にいるマスターに恐る恐る尋ねてみる。
「えっ!?急にどうしたの!?」
すると、相当驚かれたようで、マスターは目を見開いて、勢い良くこちらを振り向いた。
「え、えっと……、ちょっと最近話題にあがって。それで調べたらこの近くに本家があるって書いてあったから」
私は上手い言い訳が思い浮かばず、かなりざっくりとした形で答える。
それで納得してくれたようで、少し間を置いてから、マスターは顎に手をあてた。
「そうだね。ここからだと大体徒歩十分くらいかな。……実は、神谷組の人達もたまにこのお店に来るんだ。昔お世話になったことがあってね」
「ええっ!?そうなの!?」
マスターの返答に、今度は私が驚愕する。
「この地区一帯は、神谷組のお陰で昔から治安がいいんだ。何せ裏社会の絶対王者だから、下手な暴力団は先ず荒らしに来ない。それに、犯罪者も恐れてなかなか近寄らないしね」
なるほど。
……と、感心しながら、私はマスターの話に引き続き耳を傾けた。
「それでも、十数年前に一度だけ荒くれ者達がここへ来たことがあったんだ。それで、警察に通報するよりも先に神谷組の人達が早々に駆け付けてくれて、一瞬で事を片付けてくれたんだよ。しかも無償で」
そう言うと、マスターはとても穏やかな表情で視線を宙に向けた。
「だから、恩義があるんだ。それ以来、うちは神谷組の人達が来れば快く受け入れててね。あの人達は歴史ある任侠だから、その辺の民間人よりも義理堅くて礼儀正しい人達だよ。……まあ、あまり周囲には言えない話だけどね」
そして、にっこりと微笑みながら私に視線を戻した。
マスターの話に、私は暫しの間黙って考え込んだ。
任侠道を貫く神谷組。確かに、世の中には犯罪を犯す暴力的なヤクザの方が圧倒的に多いのだろうけど、神谷組はきっと違う。
だって、神谷君が将来統べる組織だもの。まだ神谷君のことはよく知らないけど、とても悪人には見えない。ただ私が無知なだけだと言うなら、それまでかもしれない。
でも、それでも神谷組の人達はヤクザと言えども真っ当な正義を持っていると信じたい。
そう思うと、何だか益々神谷組に興味が湧いてきた私。
だからと言って、特に何をするわけでもないけど……せっかくこの近辺に本家があるのだから、せめて一目だけでも見てみたい……。
日本一のヤクザ組織であり、神谷君のお家が一体どんななのか、外観を見るくらいなら別にいいよね!
私は意を決すると、一人大きく頷き、コップの水を一気に飲み干したのだった。
※
____それから数十分後。
閉店作業を終了させ、私は着ていた制服を脱ぐと、洗濯するため手に持っていたトートバッグにしまった。
そして、マスターに別れを告げてお店を出た私は、いつもとは反対方向の道を歩き出す。
所々スマフォの地図情報を確認しながら、細い路地を抜けると、大きな家が建ち並ぶ住宅街へと出た。
お店の近所であっても、今までここへ来る用事が全くなかった為、なんだかんだで初めてこの地を踏み入れた私は、物珍しく辺りを見渡した。
流石は高級住宅街。
大きさもさることながら、家の造りがスタイリッシュなものばかりで、どのお宅にも立派な門構えがある。
きっと、この中のどれかに著名人の家があるんだろうなあ……と、半ば観光気分になりながら突き当たりを左に曲がった時だった。
目の前に広がる光景に、私は思わず立ち止まる。
そこには、今までに見たことのない広大な面積の屋敷が建っていたのだ。
「……す、すごい」
あまりの迫力に、つい感嘆の声が漏れる。
恐らく全長五十メートル程はあろう横幅に、私の身長をはるかに上回る高い石垣。
そして、その中央には幅十メートル以上はありそうな瓦屋根付きの鉄製の門扉。
入口脇には、黒い大理石に白地で“神谷”と書かれ、その下には松の紋章が彫られた表札が飾れていた。
まるで武家屋敷のような外観に、私は開いた口が塞がらない。
……ここが、神谷君の家。
なんだろう、あまりにも次元が違い過ぎる造りに、人の家だという感覚が全くない。
きっと中も凄いのだろうと思うけど、防壁のような高い石垣に囲まれている為、外からじゃ何一つ様子が伺えなかった。
「……やっぱり、ここまでが限界かあ……」
予想はしていたけど、もう少し神谷家の様子が見れるのではないかと少し期待していた私は、がっくりと項垂れた。
「……おい、お嬢ちゃん。こんな所で何したんだ?」
その時、突然背後から物凄いドスの効いた低い声が響き、私は思いっきり心臓が飛び上がった。
恐る恐る後ろを振り返ると、そこには身長190以上はありそうなガタイのいい黒いスーツ姿の大男が、腕組みをしながら立ちはだかっていた。
私を見下ろすその目は、神谷君のようにとても鋭く、刈り上げたヘアスタイルに、左頬には数センチ程の切傷跡があり、殺気立つ面構えはとても恐ろしく、いかにも“その道”の人だ。
「迷子……って訳じゃないな。ここがどんな場所か知っているだろ」
眼光を光らせながら、射抜くように私を睨んでくる強面の男。明らかに私を警戒しているのが分かる。
確かに、こんな時間帯に門の前で佇んでいては、不審者に間違えられてもおかしくないだろう。
「あ、あの……その……」
何とか誤解を解こうとするも、恐怖心と緊張感が込み上がって思考が上手く働かず、言い訳が全く浮かんでこない私は涙目になりながら声を震わせる。
「やめなよ」
すると、今度は落ち着いた静かな声が突如割り込み、強面の男の動きを制した。
声のした方に視線を向けると、いつの間に現れたのか。そこには、身長180以上はありそうなこれまた長身の二十代半ば位の男性が立っていた。
けど、その出で立ちは強面の男とは全く対象的で、私は暫くその男性に目を奪われてしまった。
兎に角、整った凄く綺麗な顔立ちの人。真っ先に受けた印象はそれだった。
首元まで伸びた少し長めの淡いブロンドの髪、神谷君のように小顔で、切れ長の目にふっくらとした涙袋が特徴的だ。
目尻が少し下がっていて、しかも若干垂れ眉気味だからなのか、何だかとても穏やかそうな顔つきに少し気持ちが和らぐ。鼻もシャープで高く、掘りも割と深めで、足はかなり長い。
そして細身だけど引き締まった体つきに、シルバー色のスーツがよく似合う。
まるで英国貴族のような姿に、危機的な状況下であるにも関わらず、私はうっとりと見惚れてしまった。
「彼女怯えてるだろ。こんな子に警戒しても仕方ないよ」
シルバースーツの男性は穏やかな口調でそう言うと、強面の男性の肩を軽く掴んだ。
「ごめんね、怖がらせて。……でも、この人が言うように、ここは君のような子が来るところじゃないんだ」
優しい顔付きで忠告してくる様は、見た目通り紳士的で、私は益々目を輝かせてしまった。
外向けの神谷君も王子様のように素敵だけど、この人も全然負けていない。
それ以上に、低音で甘くとろけるような声がよりそれを際立たせて、私の鼓動は先程からずっと鳴りっぱなしだ。
「あ、あの……ごめんなさい。ちょっと興味本位で来てしまって……」
強面の男性より断然話しやすい為、私はゆっくり呼吸を落ち着かせると、深々と頭を下げる。
すると、シルバースーツの男性は、急に真顔になり、まじまじと私の顔を見始めた。
「……え、えと……どうかしましたか?」
何故凝視されているのか全く理解出来ない私は、たじたじになりながら男性の目を見返した。
というか、男に慣れていない為、こんな綺麗な目で見つめられては心臓が持たない。
私は頬を赤く染めながら男性の言葉を待っていると、突然男性はにこりと微笑みかけてきた。
「……君、もしかして紫織ちゃんかな?」
「ほえっ!?」
まさかの名前を呼ばれたことに驚きを隠せない私は、かなり素っ頓狂な声を出してしまった。
「な、なんで私の名前を!?」
全く面識がないはずなのに、何で私を知っているのか訳が分からず、益々焦り出す。
そんな私がよっぽど可笑しかったのか、シルバースーツの男性は口元に手をあてて、声を殺して笑いだした。
「凌が言ってたんだ。自分にやたら付き纏ってくるストーカーみたいな女がいるって」
そして、衝撃的な男性の言葉に、私は目が点になる。
……。
…………ストーカーですとっ!?
何かの聞き間違いだと思いたいけど、確かに男性の口からはっきりとそう聞こえた。
私はあまりのショックに、暫くその場で固まる。
……酷い、神谷君。幾ら何でもあんまりだ。
確かに、始めは神谷君の電話を盗み聞きしちゃったり、偶然とはいえ料亭でばったり遭遇してしまったり、神谷君の正体を知ったその後も煙たがられているのにやたら声掛けたり、終いには家まで見に来ちゃったり……。
……。
…………。
…………これって、紛れも無いストーカー行為じゃん。
違うと否定したかったのに、自分のこれまでの行動を振り返ると、認めざるを得ない事実に私は更なるショックを受ける。
私って……神谷君のストーカーだったんだ………。
何だかもう途方に暮れてしまった私は、段々と意識が遠のいて行く。
「お~い、君大丈夫?」
一向に応答がない私を心配してくれたのか、シルバースーツの男性は視線を合わすように前屈みになると、私の顔の前でひらひらと掌を振った。
そのお陰で、はっと我に帰った私は、思わず大胆にも男性の手を握りしめる。
「お、お願いしますっ!私が来たこと、神谷君には秘密にしてもらえますか!?」
そして、必死な顔付きで私は男性に懇願した。
「……安心して、勿論そのつもりだよ」
私の心境を汲み取ってくれたのか、男性は柔らかく微笑むと、まるであやすような穏やかな口調でそう答えた。
「それじゃあ、夜道は暗いから気を付けてね」
それから、特に咎めることもせず、むしろ私を気遣うように甘い低音ボイスで優しい言葉を掛けてくれると、そのまま踵を返して強面の男性と一緒に屋敷の中へ入っていったのだった。
純情トライアル 蒼井さよ @chapi
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