第8話 主従関係


ついに言えた!

あの神谷君と友達になりたいって。


一時はどうなるかと思ってたけど、私はこれでまた一歩神谷君に前進することが出来たんだ。


……そう。


パシリとしてっ!


……。


…………。


……これは果たして喜ぶべきなのかな?


私は一人頭を抱えながら、机に広げている教材に目を向ける。

二度に渡って訪れた偶然の成り行き。そのお陰で、私は晴れて神谷君の友達になれた。

だけど、それは完全な一方通行。

神谷君は私をただの使いっ走りでしか接しないとそう断言された……。


それって、友達として成立しないよね。

つまりは、今までと何も変わらないってこと?



「……はあ~」


私は人目もはばからず、特大の溜息を漏らし、自分の顔を両手で覆う。

何だか隣からもの凄く視線を感じるけど、別に気にしない。


勇気を振り絞って言ったのに、神谷君にさらっと交わされてしまった私の決心。

パシリとしか扱わないなんて、酷いにも程がある。

けど、それは恐らく、神谷君は自分から私を遠ざけたいのかもしれない。


静ちゃんが言っていたように、神谷君と私は住む世界が違う。

そのことは私なんかより、きっと神谷君の方がよく分かっていると思う。

だから、私が神谷君の事情を知ってしまったことに対して、きっと彼なりの考えがあるのかもしれない。


それに、お父さんにはあまり関わるなと忠告された。静ちゃんにも、私が神谷君に近付くことを反対された。

こんな誰も良しと思わない状況で、私一人だけが突っ走っている。

それなら、ここは諦めて潔く身を引いた方がいい。


……。


……なんて、物分かりがいい人はその決断に至るだろう。


だけど、生憎私はそんな利口じゃない。

神谷君にバカだと言われてしまったけど、否定はしない。


バカで上等!

パシリでも神谷君に近付けるなら何でもいい。

私を心配してくれる静ちゃんに対しては、凄く後ろめたい気持ちはあるけど……。

でも、ごめんね静ちゃん!

私はバカに加えて、とても往生際が悪いのです!








「神谷君!」


講義が終わり、丁度入り口から出たところで、私は神谷君の姿を視界に捉えた。

人気者の神谷君はいつも誰かしらと一緒だけど(大半が女の子)珍しく一人で歩いていた事に、私はここぞとばかりに声を掛ける。


呼び止められた神谷君は、こちらの方へ振り返った瞬間、ピクリと眉が動いた。


「……僕に何か用かな?」


間を置いて、にっこりと微笑みながらそう尋ねてくる神谷君。

休み時間中の通路には人が沢山いる為、人目がある所ではあくまで王子モードを貫くつもりなのだろう。

私的には表向きの顔の方が断然話しやすい為、それにあやかり神谷君と肩を並べた。


「あのね、次の講義、私も一緒に受けてもいいかな?」


期待を込めた目で神谷君を見上げながら、私は満面の笑みを見せる。

以前の私では、とても考えられないような男の人に対する大胆発言。

けど、神谷君の秘密を握り、しかも接近出来るきっかけを掴み取った今では、まるで、静ちゃんの時のような積極性が私の中で溢れ出していた。


「受ければいいんじゃない。だって、紫織ちゃんもその講義を選択してるんでしょ」


相変わらず笑顔を崩さないまま、わざとなのか、神谷君は明らかに意味を取り違えた返答をしてきた。


「じゃなくて、神谷君の隣で!」


だけど、私はめげずに力強く言い直す。

すると、とても嫌そうな目で一瞥されてしまい、分かってはいたけど、少しだけ心が痛む。


「……どうぞご勝手に」


神谷君は面倒くさそうに小さく溜息を吐きながらそう言うと、視線を前へと戻した。


「……ねえ、何で神谷君って素顔を隠してるの?素性のことだけなら、別にそこまでしなくてもいいんじゃないのかな?」


一向に会話をしてこない事に痺れを切らした私は、ふと浮かんできた疑問を投げてみる。


「本性のままだとボロを出す危険性が高いからね。……ていうか、余計な詮索しないでくれないかな?」


意外にもすんなり答えてはくれたが、最後には目が笑っていない笑顔を向けて突っぱねられた。

まだまだ聞きたいことは山程あったけど、ここで制されてしまっては仕方がない。

それに、話をする仲になってから数日しか経っていないのに、色々と質問するのは確かに無粋かも……。

なんて思いながら、私はシュンとうなだれ反省する。


「ねえ、紫織ちゃん」


すると、今度は神谷君の方から話しかけられ、私は喜びに満ちた表情で顔を上げる。


「喉乾いた」


そして、一言そう言い放つと、光り輝くような素敵な笑顔を向けてくる神谷君。

そこで私は、はたと自分の立ち位置を思い出す。


……そうだった。

私、神谷君のパシリなんだっけか。


容赦ない扱いに、私は引きつった笑顔になりながらも、自販機の前で足を止めた。


「何がいいですか?」


まるで主従関係のようで、つい敬語になってしまった私。


「コーラ。ペットボトルの方で」


しかも、奢ってもらう身で一番高い物をこれまた容赦なく要求してくる神谷君に、私は文句を言う事もなく小銭を入れてボタンを押す。

勢い良く転がり落ちてきたコーラを自販機から取り出し手渡すと、神谷君はお礼も言わずにそれを受け取り、すぐ脇に設置された長椅子に腰掛けた。


「お前も懲りない奴だな。パシリにしかしねえっつってんのによ」


気付けば周りに人はいなく、神谷君の口調が元に戻る。


「……なあ。俺の何処がそんなに好きなわけ?ヤクザ組織の人間だって聞いたら普通怖がるだろ」


神谷君はコーラの蓋を開けて一口飲むと、眉間に皺を寄せながらその場に突っ立っている私を見上げる。

そして、核心をついた質問を投げてきた。


「……えっ!?も、もしかして……神谷君、わ、私の気持ち知ってるのっ!?」


予想外の問い掛けにかなり動揺した私は、狼狽えながら質問を質問で返す。


「あんな分かりやすい行動を取られて、気付かない奴なんていないだろ」


目を細めながら、神谷君は呆れた顔で溜息交じりにそう答える。


……なんと言う事だろう。

まさか、告白をする前に私の気持ちがバレていたなんて……。


よく静ちゃんに私の考えが手に取るように分かると言われるけど、もしかして神谷君も同じなのかな……。


私は一気に恥ずかしさが込み上がり、顔が真っ赤に染まる。


それなら、私を跳ね除けるような態度は、私の気持ちを知っててのことであって……。


それって、つまり私はフラれてるってことになるのでは……。


そう気付いた時、まるで体が灰と化し、風に乗ってサラサラと吹き飛んでいくような感覚に陥る私。

意識が遠のきそうになるのを、何とかすんでのところで掴み取るも、奈落の底へと一気に突き落とされた気持ちに、私は立ち直れない。


「言っとくが、お前が俺を好きだろうが知ったこっちゃねえ。だから、俺に深く干渉しないっていう条件が呑めるなら普通に接してやるよ」


しかも、傷口に針を刺して塩を塗りだくるような神谷君の言葉に、私の心は更に打ち砕かれる。

普通に接してくれることは嬉しいけど、その時点でもう友達以上になることは絶対にないということ。


そもそもとして、今の神谷君は、私のことなんてこれっぽっちも興味がないことが分かった。


……。


…………。


……そう、今は。




「…………いい」


「はっ?」


小声でぼそりと呟いた私の一言に、神谷君は首を傾げる。


「パシリでいいっ!私は神谷君のこと諦められないから、それならパシリのままでいいよっ!」


遠くの方でまだらに人が居るのにも関わらず、私はなりふり構わず大声でそう叫ぶ。

暫しの間、私の勢いに圧倒されたのか、神谷君はぽかんと口を開けながら私を凝視してきた。


例え、今は神谷君に見向きもされなくても、これから頑張っていけばいい。

まだ先の事なんて分からない。可能性は全くのゼロではないかもしれない。

そんな希望が少しでも持てるなら、私はずっと神谷君のパシリでいい。

つまりは、これからも私は干渉し続ける。

神谷君に拒絶されようとも……。


私は涙が出そうになるのをぐっと堪え、強い意志を持ちながら、神谷君を睨みつけるように鋭い眼差しで見つめ返した。


「…………」


ほんの少しの間、沈黙が流れる。


「……はは」


すると、その沈黙を、神谷君の乾いた笑いが破る。


「お前、本当バカ過ぎてウケるわ」


そう言うと、神谷君は背もたれに寄り掛かり、苦笑しながら私を見上げた。


……バカ。

これで言われたのは三度目だ。

けど、人は慣れるもので、最初に言われた時よりもあまりショックを感じない。

私は何も言わずに立ち尽くしていると、神谷君は私から視線を外して遠くを見つめた。


「……俺の正体を知って、そこまで言う奴は初めてだよ」


そして、何処か憂いげな目をしてポツリと呟く。

その垣間見せた神谷君の寂しげな表情に、私は胸が締め付けられた。


その時、次の講義を知らせる予鈴が鳴り響き、同時に神谷君が立ち上がる。


「行くぞ、紫織」


何気なく名前を呼ばれたことに、私は思いっきり反応してしまった。


「……何だよ?」


そんな私に、神谷君はとても怪訝な目を向けてくる。


「い、いや……私、同い年の男の人に下の名前呼び捨てされたの小学校以来だったから、びっくりして……」


しかも、本性モードの神谷君に名前を呼ばれたのも、これが初めてだ。

私は激しく脈打つ鼓動を抑えながら、何とか顔がにやけないように気を張る。


「俺、お前の苗字知らねーし」


神谷君は面倒くさそうな表情で吐き捨てるように言うと、さっさと歩き始めた。

私は咄嗟に駆け出し、神谷君の隣に並ぶ。


「原田!私、原田紫織って言うの!」


そして、満面の笑みで今更ながらの自己紹介をした。


「……あっそ」


けど、神谷君はこちらを見ることもなく、とても興味無さそうに、素っ気なくそう答えたのだった。



__それから、私は夢のようなひと時を過ごした。


今までずっと遠くから見ていた神谷君が、私のすぐ隣にいて、ふと横を見れば整った綺麗な横顔が視界に入る。

あまりチラチラ見ていると、突き刺さるような鋭い目で睨まれるので、隙をみてはこっそりと覗き見して一人でドキドキする。


やっぱり、講義を真剣に聞いてる神谷君は本当に素敵だ。

それに、その背中には政界に名を轟かす神谷組の跡取りという重荷を背負っている。

だから、のうのうと生きている私とは大違いで、その目にはどれ程の想いが詰まっているのだろう……。


そして、先程一瞬だけ見せた神谷君の寂しそうな表情。

一体彼の歩んで来た道がどんなものなのか全く想像もつかないけど、ヤクザ組織の人間というのは、きっと私達のような平凡な人生ではないのかもしれない。


だから、知りたい。

ただの怖いもの知らずなんだと思うけど、それでも、私は神谷君のことをもっと知りたい。

なんで自分がこんなにも惹かれているのかよく分からないけど、彼の隠れた一面を見て益々引き込まれてしまう。

もはや、この気持ちを止めることなんて、自分じゃどうしようも出来ないよ……。

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