第7話 友達
「紫織!」
覚束ない足取りで本館へと引き返している道中、私を見つけた静ちゃんが駆け足でこちらに向かってきた。
振り返れば、私とは裏腹に、とても期待に満ちた眼差しで私を見ている。
聞かなくても、言いたい事がひしひしと伝わってくる表情。
そんな顔をされると、キリキリと胸が締め付けられる。
だけど、ここは笑わなければ。
落ち込んでるなんて事がバレたら、それこそ完全に怪しまれてしまう。
私は、自分の中でのありったけの笑顔を作って静ちゃんに見せる。
その瞬間、静ちゃんの表情が一気に曇りだした。
「…………紫織、あんた何か私に隠してない?」
そして、瞬殺で私の心境を見抜いたのだ。
「……な、なんで!?なんで分かるの静ちゃんっ!?」
あまりにも早過ぎる静ちゃんの察しに、私は否定する事も忘れてあっさりと認めてしまった。
「あんたはいつも感情丸出しなんだから、顔見れば一発で分かるわよ」
そんな慌てふためく私に対し、静ちゃんは呆れ顔で溜息混じりにそう言う。
そうかなあ……と、自覚が全くない私は首を傾げていると、突然静ちゃんに肩を思いっきり掴まれた。
「……っで、何を隠してるの?何でもいいから白状しなさい」
急に本題に戻され、私はぎくりと冷や汗が流れ始める。
「ご、ごめん、静ちゃん!これだけは……いくら静ちゃんでも言えないのっ!」
もう誤魔化すことは不可能だということを悟った私は、無理矢理隠し通す。
「いいから、神谷と一体何があったの?あいつに何言われたの?」
しかし、何も言ってないのに八割方言い当てられてしまい、私はもう後がない。
神谷君にも負けない鋭い眼差しで、私を追い詰めていく静ちゃん。
ギリギリまで粘ってはみたけど、火が付いた静ちゃんの勢いに私は勝てるわけがない。
……ごめんっ、神谷君っ!
私、やっぱり静ちゃんだけには隠し事なんて出来ないっ!
そして、堪忍した私は全てを打ち明けてしまった。
神谷君に他言無用だと言われてから、ものの十数分で。
※
「……ヤ、ヤクザ組織の跡取り息子って……それ、マジで言ってんの?」
一通り話を聞き終えた静ちゃんは、暫く絶句した後、ようやく掠れた声で言葉を発した。
静ちゃんの問い掛けに、私は無言で大きく首を縦に振ると、勢い良く静ちゃんの手を握りしめる。
「お願い、静ちゃん!この事は誰にも言わないで!勿論、美咲ちゃんや蓮君にも!もしバレたら私、殺されるかもっ!」
涙目になりながら必死に懇願する私。
あれだけ脅されたのに、それから直ぐに人に話したなんて事が神谷君に気付かれれば、最低な人間だと思われる以上に、何をされるか分からない。
私は体を震わせながら、静ちゃんの手を更に強く握り締めた。
「そんなの分かってるって。安心しなさい」
そう言うと、静ちゃんは泣きつく私をなだめるように優しく背中をさすってきた。
「……どうりで様子がおかしいと思ったわよ。まさか、あいつがそんな秘密を抱えてたなんてね……。うちの大学にそんな人がいるなんて信じられないけど」
いつの間にか落ち着きを取り戻していた静ちゃんは、視線を足元に落としながら、納得したように頷く。
「……っで、神谷の裏側を知ったあんたは、それでもあいつのことが好きだって言うの?」
すると、突然話が切り替わり、私は一瞬ぽかんとした。
「……それは……」
ようやく静ちゃんの言葉を呑み込んだ私は、ゆっくりと自分の胸に手をあてる。
衝撃的な事が起こり過ぎて、かなりショックは受けた。
王子様のような神谷君は実はヤクザ業界の人で、優しいと思っていたのに、裏の顔は冷酷で粗暴な人で、私の思い描いていたものとは全然違う。
しかも、神谷君は私に対して何とも思っていない事がハッキリと分かった。
料亭で会った時のあの厳しい目と、先程見せた女の子だということを度外視した私への態度。
もう、私の望みなんて滅茶苦茶に砕かれてしまったのに……。
……それなのに、未だに神谷君の事を考えると胸が高鳴ってしまう……。
こんな絶望的な状況になっても、まだ諦められないなんて……自分でも呆れてしまうけど、私の気持ちは変わらなかった。
「静ちゃん……。私はそう簡単に神谷君の事、忘れることなんて出来ないよ」
怖いと感じているはずなのに、それでも残り続ける好きという感情。私だって、始めはミーハーな気持ちで神谷君の事を追っかけていたくせに、いつしか時を重ねていく内に段々とその気持ちは根深くなり、私の心を完全に支配していた。
だから、嫌いになれる要素は十分あるはずなのに、頑なな気持ちをそう簡単に引くことは出来ない。
私は力強く拳を握りしめ、真っ直ぐな眼差しを静ちゃんに向けた。
そんな私の目を見て、静ちゃんは大きく溜息を吐くと、改めて私の方へと向き直す。
「……紫織。あまり言いたくないけど、神谷の事は諦めなさい。そんな奴に深く関わってはダメよ」
そして、何時になく真剣な表情でそう断言する静ちゃん。
私はその痛烈な言葉に、顔が一気に歪み始める。
「で、でも静ちゃん、私は……っ!」
静ちゃんの言い分を受け入れたくなくて、私は抗議しようと身を乗り出した。
「いい、紫織。私は別にあいつの事を否定してる訳じゃないのよ。ただ、あいつとあんたとは住む世界が違う。あいつだってそれは重々承知のはずよ」
それを制するように静ちゃんは私の肩を掴んで、核心をついてくる。
「そんな状況での恋愛が上手くいくはずがない。ただ、紫織が辛くなるだけなの。それに、そんな世界に近付いたら身の保証はないかもしれないのよ。だから、まだ気持ちが一方的な時にすっぱりと諦めなさい!」
心にずしんと重りを沈められた私は、暫く言葉が出てこなかった。
……そう、静ちゃんの見解はいつだって正しい。
夢見がちな私の行く先を、その現実的な考えで導いてくれる静ちゃん。
だから、頼りになるし、静ちゃんの意見なら素直に聞く。
……だけど……。
……だけど、これだけは……。
「ごめん、静ちゃん!こればっかりは私も譲れないのっ!」
私は静ちゃんの忠告を跳ね除けて、力一杯叫ぶ。
確かに、静ちゃんの言う通りだ。
裏社会に一般人が踏み込んでいいものではない。
危険だって伴うと思うし、家族だって心配する。
全部分かっているのに、好きという気持ちは止まらない。
あわよくば、神谷君の恋人になりたいという気持ちが抑えられない。
まさに、恋は盲目という状態だ。
静ちゃんは少しの間、私の目を見たまま無言になった。
そして、再び大きな溜息を吐くと、私の肩を掴んでいた手をそっと離す。
「……全く。ただ見ているだけの人を、何でそこまで好きになれるのか理解出来ないわ」
静ちゃんは呆れたようにそう言うと、自分の額に手をあてて悩ましい表情を見せた。
それはごもっともだと自分でも思い、何も言い返せない。
私はバツが悪そうに視線を下に落としていると、静ちゃんは私の頭に軽く手を乗せてきた。
「いい?私はあくまで反対よ。あんたを危険な目に遭わせたくないし、泣く所なんて絶対に見たくないからね!」
厳しい言葉の中に見える静ちゃんの愛情。私の気持ちを認めてはくれなかったけど、その友達想いの静ちゃんの気持ちが純粋に嬉しくて、ちょっと複雑だ。
「……うん、分かった」
だから、それ以上反発はせずに私は素直に頷く。
静ちゃんの言い分を呑んだ訳じゃないけど、私を心配してくれているんだって事はちゃんと受け止めたいから。
それから静ちゃんも深くは追求することなく、この話はここで一旦収束したのだった。
※
___正午。
静ちゃんは午前中までの講義のため、私は一人食堂へと向かう。
今日は美咲ちゃんが家の諸事情によりお休みだから、一人でのランチは何だか久々だ。
……それにしても、私はこれから神谷君と会った時はどんな顔をすればいいのだろう。
でも、おそらく、もう向こうから私に声を掛けてくることはないかもしれない。
あの時、神谷君は私がいつか気付くのではないか警戒していたと言っていた。
つまりは、今まで神谷君の方から私に関わってきてたのは全部その為。
だけど、バレてしまった以上はもうその必要はない訳で……。
まあ、私があれから周りに言いふらさないかどうかは目を光らせているかもしれないけど。
静ちゃんにも同じ指摘をされて、最後には“紫織の恋愛がこれ以上発展することはないかもね”……なんて、残酷な台詞をはっきりと言われる始末。
……うう、やっぱり静ちゃんの鬼。
私は心の中で涙を流していると、突然誰かに肩を叩かれた。
「よっ、珍しい。お前一人なの?」
振り向くと、そこにはリュックを片手に持った蓮君が立っていた。
「丁度いいや、この前の課題のお礼でもしてもらうかな」
そう言うと、蓮君は食堂に続く道を親指で指してくる。
「いいけど……あんまり頼みすぎないでね?私今日お金そんなに持ってないから」
バイト給料日前の為、金欠状態の私は躊躇いがちに蓮君の顔を見上げた。
「そんな厚かましくねえよ。行くぞ」
すると、蓮君は私の腕を掴み、少し強引に私を引っ張る。
金欠だということと、朝から気持ちが萎えている私は、あまり気が進まない中、まるで引き摺られるようにそのまま食堂へと連れられて行ったのだった。
※
「……はあ~」
向かいで蓮君がカレーライス大盛りを食べているのを眺めながら、私は特大の溜息をつく。
「おい、またかよ。飯が不味くなるだろ」
そんな私にしかめっ面を向ける蓮君。
「ごめんね、無意識に出ちゃうんだ」
もはや、なりふり構わず落ち込む様子を露わにする私。
蓮君には申し訳ないけど、今は誰かを気遣う余裕がない為、気付けばこうして溜息が漏れてしまう。
「全く、何なんだよお前は。昨日は気持ち悪いぐらい機嫌が良かったのに、忙しい奴だな」
蓮君は呆れ顔で静ちゃんと似たような事を口にすると、再びカレーライスにありついた。
「……なんかさ、色々と上手くいかないんだよね。やっぱり私って夢見過ぎなのかなあ」
相談なんて出来ないのに、何故か蓮君の顔を見ると心の声が出てしまう。
なんて言うか、頼り甲斐があるからなのか、蓮君の前だと素直になれる気がする。
「……なんだよ。また神谷の事か?」
一通り食べ終わった蓮君は、スプーンをお皿に置くと頬杖をついて私の目を見てきた。
「……うん」
私の神谷話は既に日常化されている為、下手に隠す事はしないで、いつもの口調で話す。
「お前も飽きない奴だな。あいつの何処がそんなにいいわけ?」
目を細めながら尋ねてきた蓮君の質問に、私は言葉が詰まってしまう。
……確かに、何処がと言われると何処だろう……。
裏の顔を知る前は、優しい笑顔とか、紳士的なところだとか、色々出てきたのに。
それが全部崩れた今となっては、私は一体神谷君の何処にこんな惹かれているのだろうか……。
……やっぱり、顔?
「いやいや!それじゃあ、本当にただのミーハーと変わらないじゃないっ!」
「はっ?」
思わず心の声を口に出してしまい、的を射ない私の返答に、蓮君はぽかんとした。
すると、次の講義の予鈴が鳴り始め、私はハッと我に返る。
「不味い、行かなきゃ!それじゃあ蓮君、またね!」
午後一から講義を選択している私は、お盆を持って慌てて返却口へ向かおうと駆け出した時だった。
「きゃっ!」
「うわっ!」
丁度食堂の入り口から入ってきた人と衝突してしまい、反動で飲みかけのオレンジジュースがお盆の上でぐらつく。
「あっ!」
気付いた時には時すでに遅しで、飲みかけのオレンジジュースは見事目の前の人の上着に勢い良く零れ落ちたのだった。
「ごっ、ごめんなさい!」
私は顔を青ざめながら、相手の顔も見ずに勢い良く頭を下げる。
「……あ~あ、これまた派手にやられたな神谷」
……え?
気のせいだろうか。
何か聞き覚えのある名前を言っていたような……。
まさかと思い、私は恐る恐る顔を上げた瞬間、蛇に睨まれた蛙のようにその場で凍りついてしまった。
そこには、白い上着にバッチリとオレンジの染みを広げさせながら優しい表情をして立っている神谷君の姿。
私は一気に血の気が引き、益々顔を青ざめながら声にならない声を発した。
「僕は大丈夫だよ。……それよりも、紫織ちゃんは平気?」
にっこりと口元を緩ませながら、一歩踏み出してきた神谷君。笑顔なはずなのに、目が全然笑っていない。あまつさえ、そこから物凄い負のオーラがひしひしと伝わってくる。
……怒ってる!
間違いなく、怒ってる!
「お前も相変わらず温厚な奴だな。……てか、知り合いだったのか」
一方、そんな様子だとは露知らず。神谷君の表情が全く見えてない男子学生は、呑気に感心していた。
私は激しくツッコミたくなる衝動を抑え、目の前に広がるオレンジの染みに視線を向ける。
「と、とりあえず、それ何とかしなきゃ!あ、あの、スミマセン!ちょっと神谷君貸りますっ!」
今は恐怖心よりも自分が付けてしまった染みへの責任感の方が勝り、私は次の講義があるにも関わらず、大胆にも神谷君の腕を引っ張り、慌てて食堂を後にした。
予想外の私の行動に神谷君は目を丸くしていたが、私は構わず食堂から離れた女子トイレの前まで連れ出した。
そして、半ば強引に私は神谷君から上着を剥ぎ取ると、その場で待たせて急いでトイレの洗面台へと向かう。
※
……ああ、なんだろうこの状況。
石鹸を付けてオレンジの染みと格闘しているうちに、徐々に冷静になり始める私の思考回路。
午前中神谷君に脅されて、もう関わることはないのかとへこんでいた矢先に、何故か今私は神谷君の上着を洗っている。
信じられない展開に、いまいち気持ちが付いてこないまま、私は鏡に映る自分の顔に目を向けた。
……まさか、二度も神谷君とぶつかるなんて。こんな偶然あるだろうか。
そのせいで私は神谷君に再び迷惑を被らせてしまったのだけど、これはただの偶然とは言えないような気がする……。
そう思い始めた私は、上着に染みを作ってしまった負い目を感じつつ、自分の中でしぼんでいた希望が段々と膨れ上がっていく。
やっぱり、これは神様が私に諦めるなと仰っているのだろうか。
こんな事、静ちゃんに話したら間違いなく怒られそうだけど、私の思い込みはどんどん深くなっていく。
そして、絶望的だった私の心に一筋の光が差し込んできたような気がして、私は気付けば自然と口元が緩んでいた。
……そうだ、これは又とないチャンスだ。
神谷君の本性を知ってしまった以上、最初の頃と比べて一筋縄ではいかないと思うけど、再び神谷君とお近づきになれる絶好の機会。
それに、私はこの学校の中で唯一神谷君の秘密を知っている人間。だから、ありのままの神谷君と話せるのは、私しかいないんだっ!
そう思うと、段々とやる気に満ち溢れていく。
あれだけ私を心配してくれた静ちゃんには申し訳ないけど、やはり好きだという気持ちはどうにも抑える事が出来ない私。
一度暴走し始めた想いを止めることなんて、もう自分でも不可能なのだ。
「よしっ!頑張れ、私!」
私は自分を奮い立たせるために強く拳を握りしめると、ある一大決心を胸に刻んだのだった。
※
「神谷君、お待たせ!……ごめんね、やっぱり完全には落ちなかったよ」
あれから数分間格闘したが、やはりオレンジジュースの染みはしぶとく、うっすらと跡が残ってしまった。
私は申し訳なさそうな顔でトイレから出ると、トイレ脇に設置された椅子に足を組んで腰掛けていた神谷君に再び頭を下げる。
「……だろうな」
先程振りまいていた愛想はものの見事に消え失せ、とても不機嫌そうにこちらを一瞥する神谷君。
「本当に、何度も何度も。どうもお前とは妙な縁があるみたいだな」
度重なる偶然に神谷君も意識し始めたのか、不貞腐れた顔で私と同じような意見を述べたことに胸がときめく。
「本当にごめんね。この上着ちゃんとクリーニングに出して返すから」
とりあえず、私はバツが悪そうにくしゃくしゃになってしまった白い上着を見せた。
「そんなのいらねえよ。とにかく、もうこれ以上俺に関わってくんな!」
そして、拒絶するような言葉を言い放ち、神谷君は私から上着を奪おうと手を伸ばす。
「ダメ!これは私のせいなんだから、責任持って綺麗にしますっ!」
しかし、ショックは受けたものの、静ちゃんのお陰で打たれ強くなった私は、神谷君に突き放されてもへこたれず上着を後ろへと引っ込めた。
こういう事はしっかりとけじめを付けたい為、私は意地でも上着を渡すつもりはない。
「……ったく、好きにしろ」
そんな頑なな私を見て、神谷君は舌打ちをすると、諦めたように伸ばした腕を引っ込めた。
「とりあえず、俺は行くからな。くれぐれも、もうぶつかってくんなよ」
そして、吐き捨てるようにそう告げると、椅子から立ち上がりその場を去ろうと歩き出す。
「ま、待って、神谷君!」
それを、私は声を張り上げ引き止めた。
「なんだよ、まだ何かあんのか」
すると、神谷君はうんざりするような目でこちらの方へ振り向く。
そんな様子を見て、つくづく私は神谷君にとって迷惑がられる存在なんだということが伝わってくるけど、ここでめげるわけにはいかない。
「あ、あの……」
徐々に早くなる鼓動を抑えながら、私は小さく深呼吸をして神谷君の目を見据える。
「わ、私と……お友達になって下さいっ!」
そして、ありったけの勇気を振り絞り、私はまるで小学生のような台詞を震える声で言い放ったのだ。
「…………はっ?」
沈黙の後、神谷君の腑抜けた声が静かな通路中に響く。
私は私で、思いの丈を言い切った達成感と、緊張感と不安が入り乱れていて、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。
程なくして、眼鏡の奥から射抜くような鋭い眼差しを向けてくる神谷君。
その目にビビりながらも、私は負けじと必死な表情で見つめ返した。
「……お前、何が目的だ?」
すると、予想だにしていなかった神谷君の返答に、私は強張っていた顔の筋肉が緩んだ。
「も、目的って?」
何故そんな事を訊いてくるのか全く理解出来ない私は、ぽかんとした表情で首をかしげる。
「俺は神谷組六代目跡取りだという事を知っているんだろ。……それなのに、何故俺に近付こうとする?」
まるで、警戒するような目を向けてくる神谷君に、私はどうすればいいのか分からず、たじたじになる。
「そもそも、あの料亭には色んな人間が集まる。……お前も、まさかその類の奴なのか?」
更に冷たい口調で尋ねてくる神谷君に、私はようやく質問の意図が分かり、思いっきり首を横に振った。
「そんなわけないじゃん!あそこに居たのは、新聞記者のお父さんが仕事で確保していたのに都合がつかなくなって、代わりに私を連れてってくれたからなの!だから、私はそんな大それ人間じゃないの!」
そんな風に誤解されるのが耐えられない私は、まくしたてるようにありのままの事情を打ち明ける。
「私は……ただ素直に神谷君と仲良くなりたいと思っているだけなんだよっ!」
そして、その勢いで自分の本心を叫ぶ。
我ながら、ここまで言えた自分にあっぱれだ。
どちらかと言えば大人しい方だが、気持ちが高ぶると誰構わず感情が剥き出しになってしまう自分を今は褒めたいと思う。
全てを言い切った後、私は軽く息切れをしながら、真剣な眼差しで神谷君の目を見た。
暫く神谷君はこちらを見据えたまま立ち尽くしていると、突然鼻で笑い、一歩近付いて私の顔を覗き込んだ。
「……確かに。始めから思っていたけど、お前みたいなバカっぽい奴がそんな訳無いか」
神谷君との距離が縮まり心臓が跳ね上がったが、痛烈な一言を放たれ、ぐさりと胸に突き刺さる。
バカっぽい!?
私、神谷君にバカだと思われてたの!?
かなりダメージを受けた私は、何とも情けない表情になり神谷君を見上げた。
そんな私の間抜け面がよっぽど可笑しかったのか、神谷君は急に吹き出してお腹を抱え笑い始める。
「いいぜ。お前がとんだ物好きで、とんだバカだっていうのは分かった。だから、友達になりないと言うなら好きにすればいい」
ようやく落ち着いた所で、神谷君は少しズレた眼鏡を中指で持ち上げながらそう言った。
再びバカと言われたのにも関わらず、私は神谷君の言葉に心が舞い上がり、そんなことはちっとも気にならなかった。
「ほ、本当に!?ありがとう神谷君!」
嬉しさで胸が一杯になった私は、目をキラキラと輝かせながら満面の笑みを向ける。
すると、神谷君は不敵な笑みを浮かべると、もう一歩踏み出して来て私を見下ろすように視線を落とす。
「ただし、俺はお前をパシリとしてしか扱わない。それでもいいならな」
そして、何とも最低な事を言ってのけると、踵を返してその場を立ち去っていったのだった。
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