3 気まぐれなキセキは起こって

 え、少年の妹はどうなったかって?

 かわいそうだけれど、それまでの人たちと同じように、あの絵の中に閉じ込められ、二度と帰って来なかった――となるはずだったが、どうやら今回は違ったんだ。

 どうしてかって?それはね……


 いなくなった女の子を心配して泣きじゃくる母。そうだろうね。大事な娘が見つからないのに、帰れ……なんて、ひどすぎる。

 そんな母をどうにか車の後部座席に乗せ、うなだれた少年は父に促されるまま、助手席に乗ろうとした。

 その瞬間、誰かが袖を強く引かれた。誰もいないはずなのに。

 不思議に思って、少年が振り返ると、そこに青でも紫でもない不思議な目をした藍色の着物を着た男の子が立っていた。

 「なんだよ。何か用か?」

 「今日の夜、三日月が中天に差し掛かる頃、もう一度ここへおいで。君が探している妹を連れてきてあげる」

 その不思議な目をした男の子はにこりと笑って、そう言って、くるりと身をひるがえすと美術館の中に駆けて行った。

 呆気にとられていた少年だったが、父にもう一度声を掛けられて、やっと車に乗り込み、そのまま美術館を後にした。

 家に帰ってからも、両親は落ち着きもなく、ただひたすら美術館からの連絡を待ち続けたが、一向に電話は鳴りならない。

 不安と恐怖が募っていく両親の姿に少年は胸を痛み、逃げるように自分の部屋に駆け込んだ。

 そうだろうね。何の考えも―悪意なんてこれっぽっちもなく、妹を美術館に連れて行っただけなのに、こんなことになったんだから。

 自分のせいだ、と思って、泣きじゃくる少年だったが、ふと窓を見上げると、弓のように細長い―銀色の月が夜空をゆっくりと登ってくるのが見えた。

 それを見た少年は、あの不思議な目をした男の子の言葉を思い出し、両親に気づかれないように急いで家を飛び出した。

 暗い夜道を走り抜け、ようやく少年が美術館についた頃、細長い三日月が中天に差し掛かり、美術館の入り口には人影もなく、しんと静まり返ってた。

 ふと耳を澄ますと、小さな―とても小さな泣き声が聞こえてきた。

 少年は辺りを見回し、その声を探すと、あのふしぎな目をした男の子に手を引かれ、泣きながら歩いてくる白いワンピース姿の妹を見つけ、急いで駆け寄った。

「やぁ、約束通り来てくれたね。約束通り、妹さんを見つけた。だから、もう帰るんだ。もう二度と妹さんには手を出させないつもりだけど、あの絵は何をするか、わからない。展示されている間は決して近づいてはいけないよ。いいね?」

 泣きじゃくる妹を抱きしめる少年に真剣な表情で男の子はそう告げると、再び美術館の中へと消えていった。

 しばらくして、女の子を捜索していた警備員に二人は保護され、無事に家へ帰ることが出来た。

 そうして、あの男の子の言うとおり、少年はあの絵が展示されている間、妹を美術館には近づけなかったんだって。

 ああ、それと事情を知らなかった警察官たちは、こんな時間まで一体、どこにいたのか、気になって、妹に尋ねた。

 職員たちは小さいから答えられない、と思っていたようだけど、妹は意外にしっかりして、ちゃんと答えてくれたんだ。

 でも、絵の中に閉じ込められていたなんて分からなかったけどね。

 妹はほんのちょっと兄とはぐれた途端、目の前が真っ白になって―気づいたら、美術館とは違う場所にいて、ずっと同じ場所を歩き回っていたんだ。

 延々と変わらない景色に怯えて、とうとう疲れて座り込み、泣き出した時に、あの不思議な目をした男の子が声をかけてくれたんだって。

 「大丈夫? 迎えに来たよ。君を家に帰してあげよう。お兄さんやご両親がとても心配している。さあ、おいで」

 差し伸べられた男の子の手を妹が恐る恐る掴むと、急にあたりの風景がぐらぐらと揺れ出した。

 そうして逃がさないとばかりに、それまで見えなかった噴水や踊り子、天使の像。そして、いくつもの真っ黒で、ゆらゆらと蠢く大きな影が迫ってきた。

 怖くなった妹が夢中で、男の子にしがみついた。

 すると、男の子は妹に優しく微笑み、頭をなでながら、こう言った。

「大丈夫、君はきつく目を閉じていればいい。ちゃんと家に帰してあげるから」

 言われた通り、妹は目をぎゅっと閉じた。

 その途端、鋭いものが何かを切り裂く音がしたかと思うと、耳をつんざく、恐ろしい悲鳴が響き渡り―気づけば、妹は男の子と一緒に美術館の入り口に立っていた。

「もう大丈夫。しばらくは追ってはこないだろう。お兄さんが迎えに来ている。さあ、行くよ」

 男の子は優しく笑うと、妹の手を引き―少年のところへ連れてきてくれたんだって。


 この騒ぎの翌日。展示場所から保管場所に移動しようとした時、あの女の子があったところが小さく切られていたんだ。慌てて、修復作業の部屋に運ばれると、どういうわけか、その傷はきれいに消えていたんだって。

 理由は分からなかったが、絵は無事、保存庫にしまわれ、美術館は静けさを取り戻し―しばらくして、厄払いとばかりに、新しい展示を始めた。

 それは、前のような賑わいも騒ぎも起こらず、静かな人気で終わったんだけど、一つだけ、お教えてあげよう。

 実はね、その展示品の中に、妹を助けてくれた男の子の目と同じ色をした石がはめ込まれた短刀があったんだ。しかも、不思議なことに、その鞘も男の子の着物と全く同じ色。そしてもう一つ、その短刀は、人を守る刀だったんだって。

 

 さて、それは、いったいどういうことか。全ては神のみぞ知る、ということさ。

 

 けど、全く―運のいい女の子だよ。あんなものが、この世にあるなってね。

 面白いもんだよ、全く。


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囚われのミュージアム 神楽 とも @Tomo-kagura

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