第7話

 夕方を回って西日の差す寂れた酒場にはほとんど客がいなかった。ホールに小汚い冒険者が一組と、カウンターには使い古した何の色気もないマントに身を包んだ冒険者が一人。それから一つ席を空けて、小奇麗な格好をした朱銀の髪の子どもが座った。年の頃は十四、五歳。紺青色プルシャンブルーのワンピースに真黒なつば広帽子キャペリンという場違いな出で立ち。重ための赤いマントを羽織っていても冒険者には見えず、どこかの家の令嬢が迷い込んできてしまったかのようだったが、むろん、そうではなかった。

 小太りの酒場のマスターも事情を知っているから、この似つかわしくない客を咎めるような真似はしない。席に着いた子どもには桃のジュースを振舞って、ついでに。

「何だ、死んだのかと思ったよ」

 と、毒を吐いた。

「おかげさまで」

 慣れたもので、子どもの方も適当に応えながら、桃のジュースに口をつける。身なりこそ整えてはいたが、その身体はぼろぼろで、もはや歩くだけでも精一杯なぐらいに疲れ切っていた。甘い桃の香りに鼻孔をくすぐられ、それだけで生き返ったような気分になる。一口飲み下せば、ひやり、しとりと身体に活力が染み渡っていくのが分かった。

「それで、お嬢様はどんな汚い手を使って生き延びたんだい?」

 他人が良い気分に浸っていても、マスターの皮肉は止むことを知らなかった。小太りで、黒縁の丸眼鏡の向こうで人の良さそうな笑顔をしながら、息をするように毒だの刃物だのを吐き出すのだ。場末の酒場の主人らしい、いかにもレトロで人畜無害そうな癒し系の微笑など、取り繕う努力さえ怠ったひび割れの仮面に過ぎない。

 透けて見えるのは、毒に浸った荒野。

 どんな強面相手にも態度を変えない辺り、ポーズではなく素で性格が悪いらしいので手に負えない。

 まあ、冒険者にとって、酒場なんてものは一時的に身を寄せるだけの止り木に過ぎないのだ。主と客。適当に付き合っていれば、いずれはさよならをする浅い関係だ。

「普通だよ、普通。あと、お嬢様じゃねー」

「そんな恰好で言われてもな、お嬢様」

「っち。大体、俺は男だ。最初に言っただろ、トリ頭かよ」

「トリ頭はどっちだ、それこそ有り得ない。俺はな、くそほど冒険者ってやつを見て来たし、冒険者ってのはイカれてる連中ばっかりだ。女装や男装も珍しくない。その俺の目で見て分からない女装癖うそつきがいるもんかよ」

「節穴なんだろ。認めろって」

「意地を張るなよ。みっともない」

 不毛な争いである。ぐい、とジュースを飲み干して、ところで、とお嬢様にしか見えない自称男の冒険者は話を変えた。

 このマスターとの言い合いは挨拶みたいなものだ。……酒場に入るのは、これで二回目だったけれど。

「モグラのエニムの話って、聞いたことあるか?」

「モグラ? ……そりゃ、モグラ型のエニムぐらい、坑道に入れば出遭いもするだろう」

「なら、とびきりでかいのはどうだ。等級クラスで言えばダルヤエ級」

「ダ級だって? はっはっは、冗談もほどほどにしておけよ。そんな化け物がいたら情報が上がって来るし、大体、てめえみたいなひよっこが遭って、生きて帰って来れるはずがないだろう」

「本当だな。良く生きてたもんだ」

 空になったコップを弄んでいると、新たに桃のジュースが注がれる。カクテルに使うための材料であるアルコールの入っていないものを、頼んで特別に出してもらっているのだった。自称男の銀髪はからきしの下戸、酒類は全く受け付けない。年齢で言うなら、その年での飲酒を禁止している国は世界中で半々ぐらいの微妙な頃合だが、どっちにしても呑めないのだから関係なかった。

 注がれるのを断る理由もなく、また口を付ける。さっきは勢いで二口でいってしまったが、今度は大事に飲むとしよう。タダではないのだし。

 ジュースの瓶を脇に置いて、それで、とマスターはいかにも興味がなさそうに話を続けた。客商売のくせに、少しぐらいおべっかを使ったらどうなのだろう。指摘するだけ無駄なので指摘はしてやらないが。

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ディア・ミスチア -女装子が巡る石と不思議の世界- のまて @nomate

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