第6話

 ここから動かずに敵の攻撃を耐え切るのと、相手が余裕をかまして睨んでいてくれる内に這ってでも逃げ出すのとでは、きっと後者の方が生存率は高い。身体をよじってうつ伏せに体勢を変え、腕だけで全身を運ぶ。かたつむりのような鈍行。出来損ないの匍匐前進。ハタから見ればどれだけ惨めな恰好だろう。

 ざりざりと地を擦って、白いワンピースもすっかり薄汚れてしまう。せめて道の脇、森の中に入ってしまえば……そうやって希望にすがって無様を晒していると、ふと気付くことがあった。

「あれ……。モグラのやつ、何して……」

 威勢良くお天道様の下に出てきたくせに、一向に手を下してこない。ふん、と一振り。あのでかい手で叩けば、虫の息の人間など一捻りだろうに。訝しんでそちらを見ると、モグラはいまだ同じ場所を睨んでいた。

 最初から変わらず、“さっきまで冒険者が倒れていた場所を”穴が開くほど見つめている。微動だにもしていない。まるで、蛇に睨まれた蛙だった。そうでなければ、本当は最初からそこにあった、エニムのモグラを象った大きな石像。

 逃げる手を止め、思わず観察してしまう。この隙にこそ脇目もふらず逃げ出すべきと分かっていても、モグラに突如として起きた異変を無視できるほど理性的な人間でもなかった。好奇心は何にも勝る。平和でもない世界を歩く酔狂ぼうけんなんて、そうでなければやるものか。

 だが、観察しても何も分からなかった。エニムの専門家ではないし、ここまで巨大なモグラ型のエニムも初めて見るのだ。何の知識もなく眺めて得られる情報などない。やはり無駄足か。命のかかっている場面で好き好んで無駄足を踏みに行くだなんて、笑い話にもならない。まあ、足は動かないのだけど。

 懲りずにしばらく眺めていると、唐突に、モグラに変化が訪れた。爪先一つぴくりともしないモグラの身体が赤く発光し始めたのだ。最初は、何か特殊な攻撃が繰り出されるのか、あるいはもう一段階上のエニムに進化でもするのかと身構えた冒険者だったが、すぐに、それらの心配が取り越し苦労だと気付く。

 最初は真紅に染まっていた光が、手を離した風船のようにモグラから離れると虹色に輝き出すのが分かったからだ。

「これって……還元? 還元が起こってるのか」

 身体モグラが光っているのではなく、その表面が光の粒へと分解されているために、結果として全身から光を放っているように見えたのである。現象としては、頭を吹き飛ばした犬型のエニムに起こったものと同じ。この世の全ての存在は、命が尽き果てると同時に、その身を光に砕かれ大地へと還される。それを成していた存在の属性が光となって分離し、やがて万物の素たる虹色に脱色まると宙に掻き消えていく。

 むろん、なくなるのではない。

 万物の素、自由自在の光、最低位にして最高位たる“虹光シラー”は、こうして世界に還り、次の存在を生む素となるのだ。

 要は、死んだのである。このモグラは。

 エニムもそうでないも関係なく、この現象は死を意味する。エニムもそうでないも関係なく、この因果からは逃れられない。

 だが、どうして? 若き冒険者を織り成して重なる好奇心は、生き延びた今を喜ぶよりも前に、その不可解な命拾いに疑問を呈さずにはいられなかった。“これ以上の不幸なんて起こりっこない”、そんな子どもみたいなわがままが神様に聞き入れられて、迫り来る敵を超常的かつ奇跡的に排してくれたのか? いや、まさか、そんな都合の良いことなどあるものか。神様がいてくれたのなら、“そもそも冒険者になどならなくて良かったはずだ”。

 もっと、ちゃんとした理屈があるはず。思い出せ、考えろ、モグラの死因は地上に出たことと関係があるに違いない。では、地上にあって地下にないものが原因なのか? 原因だとすれば、それは一体……。

「……ああ、まさか」

 頭の中に浮かんだものが一つあった。燦々と降り注いで地上を包み込む暖かな光。疲れ切った身体に染み渡ってくる差別なき慈愛。

 その答えに行き着いて、冒険者はとうとう力尽きた。もはや頭を働かせる気力さえ湧かず、ひやりとした大地に身を伏せる。全身全霊の満身創痍。幻想に崩れていく土中の竜のように、眠気が意識を突き崩していく。

「迷信が、本当だったなんて」

 ばからしいぐらいに、世界は広い。

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