第5話
「良し、やった! ざ、ざあ、ざまあみやがれ……うわっと!」
悪態を吐いて余力を使い切ったのか、今まで必死に辛抱してきた駆け足がとうとう絡まって、冒険者は坑道の出入り口から数メートルのところで盛大にすっ転んだ。どしゃあ、と顔面ごと地面にキス。計ったように、どおおおおん、と大地が揺れて頭からひっくり返された。せっかくのきれいな顔も真白の衣装も、こうなっては台なしである。
しかし、それが何だと言うのか。生き延びた事実に比べれば土埃に塗れるなど些細な問題である。どおおおおん、どおおおおん。仰向けにされ背中越しに揺れを感じながら、山の一角に開けられた暗い口を睨んで冒険者は笑った。空を淡く染める虹の光が祝福してくれているようにも見える。モグラ野郎はいまだに頭をぶつけて地面を掘って(?)来ているようだが、地上まで逃げてきた冒険者は、もはや危険は脱したのだと胸を撫で下ろしていた。モグラは太陽に当たると死ぬ、なんて迷信にすがるまでもなく、この巨大モグラ野郎は地上にまでは出てこれないはずなのだ。
何しろ、あの図体にエニムらしい凶暴さで地上を闊歩できるのなら、既に近隣に被害が出ていなくてもおかしくなかったからだ。が、近隣住民である酒場のマスターでさえそれらしい話は一切していなかった。いくら意地が悪くたって、生き死にに関わる情報を客に提供しない
だから、そうしなかったのは単純に、マスターがモグラのことを知らなかったから。今日まで大人しく、反抗的ではない箱入り娘のように坑道に潜んでいたのでは、どんな化物だって地上に知られていなくても不思議はない。こんな辺鄙な鉱山に訪れる物好きな冒険者が少ないことも鑑みれば、
どおおおおん、どおおおおん。
ただ、その人柱となってしまった運の悪さは間違いない。冒険者は自らの不運を呪いつつ、その悪運にも走り勝ったという美酒に酔いしれていた。
どおおおおん、どおおおおん。
世の中は有限だ。どんなものにも限界がある。これ以上の不運など起こりっこない。やがて、地上に近づいた事実に気付き、モグラはいそいそと闇深くへと戻っていくのだ。二度と会うこともないだろう。もはや一歩も動けなかった。肺は焼け、視界は薄れ、脳にはかすみがかかって、脚は棒のようである。満身創痍で地に伏しながら、冒険者は勝利を確信し、目を閉じようとした。
ばああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!!!!!!!
爆音。見たくもなかった追跡者の黒貌が地面を突き破って現れた。闇色の体毛に覆われた丸い頭部。大小の土塊が雨のように降ってくる。いや、それどころではない。両手を挙げた格好で、一挙に半身までもを地上に露出したのだ。
「あ、はは、あははは……」
どしん、とモグラが両手をつく。地上に出ている分だけでもゆうに四、五メートルは越しているだろうか。想定していた大きさの範疇とはいえ、実際に見上げて覚える威圧感は相当なものだった。ひりひりと緊張し、身がやけつくようだ。
坑道の出入り口を囲む木々よりも背の高い巨躯が、とうとう追いついたぞ、とでも言いたげに冒険者を見下ろした。当の冒険者には、この挑発的な行動を黙って受け入れる以外に何の選択肢もなかった。
「はは……あー、戦う気力なんて……」
残っていない。ちっとも、わずかも、みじんも、こっぱも残っていない。全力で走らなければ追いつかれていた、後に余力を残そうなんて甘く考えていては確実に餌食になっていた。こんなことなら最初から立ち向かっておけば、かえって命を繋ぐ結果になっていたのかも知れない。
無意味な後悔だ。燃え揺らぐ炎のような双眸がじいと冒険者を見つめている。銀髪の冒険者はそれを見つめ返して、何とか生き残る方策を考えていた。今の疲労では先制も反撃も不可能。唯一可能そうな行動は、腕一本で十分なマントでの防御。しかし、その上から全力で叩かれて、あるいは木の幹よりも太い爪を突き立てられて無事でいられる可能性はほとんどなかった。質量が違い過ぎる。個人で戦える範囲の敵を想定した防具で、個人で戦うべきでない強大な敵の攻撃に耐えられる道理などない。
……それでも。
「死ねない」
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